料理とワインの店:BISTRO KRI-KRI  
   

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美容柳
 美女の柳だと教わった。美女柳だと。
最初のお茶の先生のお宅にその木があって、茶花によく使われていた。女ばかりの生徒たちも「美女たちと美女柳」と喜んでいた。後年それがビヨウ柳だと知った。覚えた「美女」とは何だったのか。
楊貴妃の眉が柳の葉のように優しい線をしていたとの長恨歌から花の美しさと柳に似た葉で美容柳と命名されたらしいが、美容そのものが当て字のようだし、楊貴妃なら美女で何ら間違いはなかろう。

 駅への道筋に美容柳を植えたアパートがあった。窓の下一面が黄色く輝いていて道往く足を止めさせた。その時ちょうど窓が開き、女性が煙草の煙を吐き出した。なげやりな所作に似ず色白の顔は上品であった。「つい見とれて」と言い訳をすると、「いいのよ、気に入ったのならお持ちなさい」とくわえ煙草で枝を切ってくれた。それこそ柳の葉のようにしなやかな指で。
 お礼を言うと短くなった煙草をつまんで肩のあたりに掲げた。指先が丸い円を描き、それがOKという意味なのか煙草を庭に捨てようとしているのかわからなかった。奥から「おい」と男性の声がしたので叱られると気の毒だと思い、慌てて立ち去った。
 次にその前を通った時には美容柳は花を散らした後だった。わずかに残った花びらも茶を帯びて無残に見えた。日差しが暑く感じられる日だったが、窓はひっそりと閉じられたままであった。それから何度通っても開くことはなかった。

 お茶の先生のところで輪島塗を買う順番がきてしまった。先生の妹さんがデパートの工芸品売場に勤めていて毎年誰かが「今年はあなた、お願いね」と協力を乞われる。趣味の良い先生だったが、ついていくには金銭的に無理であった。稽古を止めてしまうと、お茶への未練が残った。別の教室をと思ったが、適当なところがなかなか見つからなかった。デパートの茶道具売場で、ある稽古場を教えられた。通いの先生が教えるお寺の道場であった。行ってみるとお寺の住職に「以前通っていた先生は大丈夫なんでしょうね?」と念を押された。その厳つい顔を見ていたら気が重くなってしまった。
また通い道になったアパートはいつの間にかビルになっていた。真新しい白壁の上に黄色い花と心優しい美女を想い描いてみたが、どうやっても幸せな絵にはならなかった。

道場の住職は演劇に携わった経験があり、私の実父のことも知っていた。打ち解けた話もできるようになった頃、分厚い禅語辞典をもらった。「茶哲」と冠されていたので恐縮していたら、「あなたは何でお茶をやっているの?」と質問をされた。うなってばかりで答えられなかった。厳つい顔が愉快そうにのけぞった。
住職が結婚をした。身体の不自由な女性との再婚であった。それまでお茶の稽古にはたまにしか顔を出さなかったが、急に熱心になった。奥さんに美味しいお薄を点てて上げたかったのだろう。

私は師範の免状を取り、自宅で生徒に教えるようにもなった。いざ教えてみると何もかも未熟だった。まともな茶室さえ持っていないのだ。好きなだけでは限界がある。条件と資質が必要な世界だった。先輩に私を嫌いな老女がいたこともあって道場への足が遠のきがちになった。その間に住職が亡くなった。とうとう質問に答えられないままだった。
あの美女ともそれっきりである。生きていれば相当な老木になっていよう。(2013年6月15日)

ビヨウ柳 オトギリソウ科 中国原産。300年前渡来。枝先が垂れ下がり葉が柳に似るが、柳ではない。

 
 
 
 
     
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