料理とワインの店:BISTRO KRI-KRI  
   

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鶏頭

 

 公園に鶏頭ばかり植えている一角があった。どれも残暑にうだって首を傾げている。巨大な鶏冠は動物の内臓のようだ。植物は時としてこのようにグロテスクな一面を見せる。迷路のようになった襞の中に小さな虫たちが蠢いていた。花も虫も何やら凄まじい。

  はじめて鶏頭の花を見たのは山梨に家を借りたばかりの頃だった。山陰にある農家の入り口に数本ひっそりと立っていた。線の細い上品なその姿を橋本閑雪の絵のようだと思った。
 ガーデニングブームが到来しても花屋では小さなロウソクケイトウしか見かけなかった。前述の花壇でも色とりどりのロウソクケイトウを植えていた記憶がある。それが近頃は大きな花が流行らしく鶏頭にも出番が回ってきたようだ。
 鶏頭の面白さは、まずその形であろう。生命力そのもののような赤い色も魅力的だ。それが濃さを増していくと最後には血を吐いているようになってしまうから困る。今日見た鶏頭は殊に切なかった。

 切ないといえば、つい先日三十代の男性に切ないという言葉をよく使うと指摘された。その時は鳥の話をしていたのだが、渡りの時期の鳥の動きは切ないと、確かに私は言っている。「せつない」という言葉は彼より下の世代では死語になりつつあるらしい。その男性も言葉は知っていても意味がもう一つ分からないと言う。
どんな言葉も長い間に変化し、あるいは消えていく。今は時代のテンポが早いからあっという間に変化し消滅するのだろう。口語では特に顕著のようだ。その言葉を使っている人間も反古同然である。
話を切ないに戻すと、物悲しいとか儚い、やるせないという言葉はまだ健在のようなので置き換えることはできるのだろう。鳥の渡りは物悲しい・・。鳥の渡りは儚い・・。鳥の渡りはやるせない・・。

 私が切ないという言葉を使うとき、どこかで母を想っている。
母は幼い時に実母を亡くし、継母にはうとまれ、その継母に女学校を出るとすぐ、だいぶ年長の男性と政略結婚させられている。やがて家のサロンに招いた劇団の若い俳優と恋に落ち、駆け落ちをする。戦後の、まだ貧しい時代の裕福な夫人と売れない劇団員の恋。大変なことだったろう。実家からは勘当され、勘当した父親は間もなく他界するが、継母とその連れ子の画策で財産は一切分けてもらえなかった。
母は自分の着物を売って俳優を支え、名が売れだすや劇団の主宰から子供がいては人気に障ると説得されて別れるはめに。裁判所で親権を認められるも養育費は一切送られず、生活に困った母は折しも求婚してきた継父と一緒になる。だが俳優が酔っては訪ねてくるので家庭内は滅茶苦茶になり・・。

 命がけの恋に突っ走った母は切ない。母に去られた最初の夫と娘たちは更に切ない。酔っては訪ねてくる俳優の娘の、父親になった継父は気の毒なほど切ない。やり場のない継父は暴力を振るったが、手を上げられた娘だってやはり切ないのである。
母はとうとう最後まで不実な男を愛し続けたわけだが、これほど愚かで切ないことがあろうか。
切ないという言葉はどこかで血を流している。
物悲しさや儚さでは優しすぎ、やるせないは少し引いているようだ。傷ついても羽が折れても嵐に向かう凛とした姿は「せつない」といしか言いようがないと、私は思うのです。
間違ってますか? (2013年9月20日)

 

鶏頭 ヒユ科 学名は燃焼という意味のギリシャ語。和名は鶏の鶏冠に似ているから。奈良時代に渡来。韓藍と呼ばれた。

 
 
 
 
     
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