料理とワインの店:BISTRO KRI-KRI  
   

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モッコク

 実がびっしりとついたモッコクが花屋で売られていた。公園などで名札を見かけたことはあっても、もっさりとした葉しか記憶に残っていない。面白いと思って一枝求めたのだが、重くて持って帰るのが大変だった。
 馴染みのある実ではなかったはずが、一晩経って皮が弾け、中から赤い色が覗いたのを見た瞬間ハッと懐かしい感じがした。
植物とは意外に粘液質である。一度見れば身体に浸みこむ。頭が忘れていても五感のどれかに記憶が付着している。私にとっては栗の花がそうだった。山梨の村で嗅いだ栗の花の香りは正に嗅覚の引き出しにずっと隠れていた記憶だった。モッコクもきっと庭にでも植えられていたのだろう。分厚い果皮の中の子供時代が弾けたのだ。
窓辺に飾って二日もすると、嵐にでも遭ったようにパラパラと実も葉も落ちてしまった。切ってから少し経った枝だったのだろう。それでも記憶を引きだしてくれたモッコクに感謝である。

 昔は花屋の行商というのがあった。背負った籠の中に季節の花々が詰められていて、おばさんが玄関に荷を下ろす途端に良い香りがした。持ちが良いせいか菊の花が多かったようだ。あとはガーベラとカーネーションを覚えている。ガーベラは少し高かったようだ。色の美しさに人気があったのだろう。木の実は見た覚えがないが鮮やかに色づいた紅葉はあった。お茶を飲んでいる行商のおばさんに「照り葉はある?」と母が訊いていた。照り葉という言葉が面白くて「てりはてりは」と呪文のように唱えて大人たちに笑われた。

 花好きな母の元へ通ってくる花商人はおばさん以外にもいた。おじさんだ。この人は籠ではなくて大きな風呂敷を抱いて玄関に立った。風呂敷を開くと花は縮緬皺の油紙で巻かれていた。多分自転車で運んでいたのだろう。おじさんは花以外に化粧品も売っていた。お店で買うより安いという話だったが、今でいう訳あり商品らしく、箱がつぶれていたり容器が欠けたりしていた。来るとなれば三日にあげず来るのに来ないとなれば二三カ月も来なかった。他にも仕事をしていたというより、訳あり商品の入手が難しかったのか。
そのうちおじさんはまったく来なくなった。故郷へでも帰ったのかねえと隣のお婆さんが言っていた。

 人が良くて人当たりの良い母はよく騙された。そのことは幾度か書いたが、母子家庭になってからはそこへ意地悪も加わった。父親の欠損した家庭にまだ偏見のある時代だった。不思議なことにそういう仕打ちをした人たちが天の制裁を受けている。
 ひどい事をした人たちに不幸が見舞うことが重なると、母は気味悪そうな顔つきをしていた。私はいい気味だと思っていた。
 近頃、自分の身にも同じようなことが起こったので、さすがに私も気味悪いと感じている。詳細は差しさわりがあるから書けない。
でもまあ私の方は考え過ぎだろう。第一、私は母のように良い人ではないから天が味方するはずもない。それに世の中は良い人にも不幸が起こる。むしろそっちの方が圧倒的に多い。

 子供のときは花の行商を楽しそうな職業だと思っていた。大人になってみれば大変な職業だと察しがつく。持ち運ぶ生花は水の心配があるし、花作りから携われば更に苦労もあろう。
今ではあちこちにお洒落な花屋が出来て、スーパーやコンビニでも花が買える。行商のおばさんの花は記憶の中だけに咲いている。(2013年10月21日)

モッコク  モッコク科 葉は互生で枝先に集まる。下向きに咲く花は芳香を放ち、秋の実は熟すと赤い種子を見せる。

 
 
 
 
     
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