料理とワインの店:BISTRO KRI-KRI  
   

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ポインセチア

 十二月に入ると花屋さんの店先は真っ赤に染まる。ポインセチアが所狭しと並ぶからだ。近頃はピンクや黄色、マーブルまであって一層華やかである。私も決まりごとのように買い求めた時期があった。それがお正月になるとそぐわない感じになるから困る。鉢をベランダの隅や家の裏に置き、水をやるも結局は枯らしてしまう。そのことに罪悪感のようなものを覚えてポインセチアを手にすることはなくなった。
家の飾りつけも以前に比べれば地味になった。壁に掛けた聖母マリアとヨセフの版画の前に、キリスト磔刑像と聖書讃美歌を置くだけだ。ツリーもイルミネーションも無い。聖書と讃美歌は中学へ上がる前に母が買ってくれたものである。カバーが革、タイトルとページ側面が金色、今でも見られる装丁のものである。後ろには学校名と名前が母の字で書かれている。革も傷み金色も薄くなっているが、毎年これを出さないと我が家のクリスマスは始まらない。
母の死後、一つ増えた。洗礼を受けたときに使ったマリアさまの小さな画像だ。母はずっとプロテスタントに馴染んでいたはずなのに死ぬ直前にカソリックの洗礼を受けた。たまたまお世話になった病院がカソリック系だったので、毎朝訪ねてくださる神父さまに感謝し、また救いを求めたのであろう。苦しい晩年を送った母は来世こそ確かな安寧をと思ったのではないか。そんな淋しい胸中に追いやったのは、ひとえに娘である私の罪に他なるまい。

 生涯帽子を愛した母は、若い頃には自らも製作していた。さすがに縁のある大きな帽子は難しいのか、頭の上にちょこんとのせるコサージュのようなものを作っていた。デザインも多彩で、素描画を貰いにくる人までいた。
お出掛けには私がポニーテールにチュールのリボン、母の頭にはずり落ちそうなコサージュ帽子、という時期が何年か続いた。当時の母は髪をホラ貝のように巻いていたから収まりが良かったのかもしれない。
 花の形は薔薇や牡丹が多かったが、時々何の花か分からないものもあった。世の中にはそんな花もあるのだろうと思っていたが、それらは母の想像の産物だったのかもしれない。
一度、子供の私が見ても花とは思えない代物があった。大きな葉のような物が重なって垂れていた。鏡の前で左見右見する母に、「あ、サーカスの人」と言ってしまった。今ならポインセチアと言ったかもしれない。母は苦笑していたが、翌朝になると明るい色のフェルトはバラバラになって裁縫箱に仕舞われていた。傷つけてしまったかと胸が詰まって母の方を窺うと、いつもと変わらぬ笑顔を返してくれた。夜になるとテレビの前で何かをせっせと作っていたから社交ダンスの会でも近づいていたのだろう。その姿に安堵したことを鮮明に覚えている。
当時の私は母だけを見つめて生きていた。酔って訪ねてくる実父や母に手を上げる継父から何としても守ろうと心に誓っていた。母が傷つく姿は、一番見たくなかったのである。

ダンスといえば、私もダンスシューズを買ってもらったが、習いに行く機会はなかった。随分経ってから取り出してみると、土踏まずのあたりがひしゃげていた。湿気の影響もあろうが、小学生の頃から水上スキーをしていて体重があり、踏ん張る足にも力があったから試しに履いただけで、ひとたまりも無かったわけだ。
そういえば、あのダンスシューズも赤かった。(2013年12月26日)

ポインセチア トウダイグサ科 和名猩々木 背丈数メートルにもなる。九州南西部、沖縄などで自生しているものが見られる。

 
 
 
 
     
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