料理とワインの店:BISTRO KRI-KRI  
   

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花族
 
 
 
 

 三月になると桃の節句がある。山梨では旧暦で、四月に行う。桃の花が四月にならないと咲かない事情もあるが、とにかく三月はまだまだ寒い。雛祭りとはほのぼのとした陽気こそが似合う行事なのである。
 

 私にもかつて一対の立雛があった。子供時代には雛祭りが近づくと、母の手製の人形やお手玉をお供に、玄関脇の小部屋に飾られたものだ。その中に小さな人形群があった。幼児のしぐさをさまざまに表現した、指の関節一つ分くらいの人形たちだった。博多人形のような肌をして、裸に腹巻という金太郎さんのような格好である。曾祖母からのものらしく、母は毎年、「おばあさま、またお雛祭りが来ましたよ」と、愛しそうに箱から出すのであった。
  赤い毛氈の上で、真っ白な幼児たちは今にも動きだすかのように生き生きとしていた。

 三月三日には必ず来客があった。甘いもの屋のおばさんだった。私はよくそこへ買いに行かされたが、一度も口をきいたことがなかった。返事をするのは必ず奥に座っているお婆さんの方で、おばさんは無言で大福やら団子やらを包み、つり銭をくれた。
  そのおばさんが来るのであった。いつもの割烹着ではなく、折り目のついた花柄のエプロン姿だった。
  母が高い声で喋り、おばさんは低い声で相槌を打った。私はこの人の声をその日にしか聞かないのである。母がうれしそうに白酒をいただく。白酒はいつもおばさんが持ってきた。おばさんはお酒に弱く甘いものに強かった。母の作ったケーキをいくつも平らげた。ぜんたい母はケーキといえばショートケーキなのだった。お祭りでも誕生日でも同じだった。それでも私は飽きるということがなかった。おばさんと競争してケーキを頬張った。
  そうやって夕方まで遊んで、おばさんは帰っていった。


 そのおばさんが入院した。甘いもの屋ではお婆さんが一人で腰を曲げて働いていた。なんだか元気のない虫のようだった。その後退院したと聞いたが、お店にはいなかった。うちにも来なかった。どこか遠い所へ行ったのだろうと私は思った。もしいたら、雛祭りに来ないわけがないからである。
 

 さて母の豆人形であるが、引越しを繰り返すうちいつの間にか姿を消してしまった。
 母が死んで、遺品を整理していたら、小さな赤い布張りの箱を見つけた。中には豆人形の遊び道具が入っていた。昔の玩具や楽器を模した極小の品々だった。それらを私は、まだ納骨していなかった母の骨壷へ入れた。

 私の立ち雛はどうしたかというと、翌年に山梨の借家の庭で焼いてしまった。仕舞いっぱなしにしていたら、男雛の首から上が無残に虫にやられてしまった。女雛だけは残そうと思ったが、ひとり取り残される哀しみを思って一緒に焼いてしまった。
 なかなか焼けないお雛様をひっくり返しながら、想うのは、やはり遠い日の母と甘いもの屋のおばさんのことであった。
 というわけで、今私に残されているのは母方の曽祖父の手になる掛軸のお雛さまだけである。(2005年3月4日)

 

 

 

  バラ科 中国原産で古くから日本でも植えられ品種が多い。食用、切花、薬用と、用途により各地で栽培される。

 
 
 
     
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