料理とワインの店:BISTRO KRI-KRI  
   

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イカリ草
 

 桜が終わると、近くの山の斜面にイカリ草がいっせいに花を咲かせる。その形が錨に似ているというなら、それはもう妖精の世界の話だろう。それほど繊細な植物なのだから。
 
 中学へ入る頃から、私は水上スキーの選手をしていた。知人の紹介で、京橋にあった真珠会社のクラブに属してたいた。学校から帰ると重いスキーをかつぎ、毎日江戸川まで通った。多摩川の競艇場で練習したこともあった。その時には競艇用のモーターボートを使ったので、演技で綱を引く度にボートが後ずさりして、ずいぶんと自分が力持ちになったような気がしたものである。
 中禅寺湖や琵琶湖、それから海にもずいぶん通った。油壺では海底に生えている長い藻が足にからみついて気持ち悪い思いをした。熱海ではデモンストレーションまでした。ピラミッドの一番上に乗るのはいつも私だった。ショーが終われば、ロープを舫ったり錨を下ろしたりして甲斐甲斐しく働いた。

 当時、クラブには男女の日本チャンピオンがいた。そのせいか女性の世界チャンピオンが来日した時、しばらく一緒に練習をしたことがある。練習の合間に加山雄三がギターを弾いてくれたのも、この17歳のヴィッキーがいた時だったと記憶する。ヴィッキーと私は「中学生」という雑誌の記事になったりした。

 ジュニア大会で優勝すると、私は大学選手権を飛び越えて、社会人の大会に出場した。そこで高校生の私はスラロームの日本チャンピオンになった。その時の総合成績は三位であった。水上スキーというのはスラローム、トリック、ジャンプと三競技があり、それぞれを争い、また総合の順位も争うものなのである。
  それから間もなくのことだった、ジャンプに失敗し、背骨を痛めてしまったのは。半年間は寝たり起きたりの生活だった。最悪の事態は免れたが、心の痛手は消えなかった。大好きな水上スキーをやめるように言われたからである。水上スキーは大きな事故が多いので母はそれを心配していたし、お金のかかるスポーツを続けられる経済的余裕もなくなっていた。
 大小のトロフィーは徐々に捨てていった。最後の一つを捨てたのは結婚後である。

 練習場所が限られていたので、慶応や国学院の学生たちとよく一緒に練習をした。顔見知りになって冗談を言い合う仲の学生もいた。大手製鉄会社の息子とか、政界のフィクサーの息子とか、錚々たる家の子息ばかりであった。容姿も抜群に良い青年たちだった。
 あの、美しい人たちは皆どこへ行ったのだろうと思う。いや、どの世界からも、しょんぼりと去らなければならなかったのは私の方なのだ。私だけが錨のない舟のように突然、皆の前から消えさって暗い海に漂ってしまった。 

 イカリ草を見るたびに、妖精の羽のように水を舞い上げて滑る快感と、舞台のような桟橋の上の、日差しに輝く笑顔の数々を思い出す。(2005年4月19日)

 

 

イカリ草 メギ科 花の径2センチくらい。茎の上部に紅紫色の長い距を四方に突き出し、舟の錨形をした花を下向きに沢山つける。

 
 
 
     
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