料理とワインの店:BISTRO KRI-KRI  
   

ホーム
  ご来店になる前に
  歴史
  お知らせ
  メニュー
  最近のおすすめメニュー
  おすすめワイン
  マスターのコーナー
  マスターの奥さんのコーナー
  おもろいお客さん
  花族
  畑情報 嵐のち晴れ
  リンク集
  地図
  更新情報
   

 
花族
 
 
 
糊こぼし
 


 今年もお茶席で散華盆に盛られた紙の椿、糊こぼしを拝見した。二月堂のお水取りの趣向である。準備も含めると二月から三月まで一ヶ月にも及ぶこの大法会は実に謎と魅力に富んでいる。種々の宗教や土着の風習の片鱗がそこかしこにちりばめられ、水と火の雄大で繊細な生命の儀式が衆人を圧倒する。
 

 紙の椿は須弥壇を飾るためのものである。旧暦の二月ならば本物の椿を飾ることは不可能なことではなかろう。それなのに練行衆は一心に椿を造る。紅に白い斑があるのはあやまって糊をこぼしてしまい白く斑ができてしまったとか。造花なのは、紙の持つ一種の霊力が関係しているのであろうか。本物よりも禍々しく、本物よりも昇華された花・・・。

 私のフィギュアスケートの衣装は、ちょうどこの逆であった。白いチュールの襞の中に赤が所々浮いていた。フィギュアスケートといえば幼少の頃から練習をはじめるのが常識であるが、私は小学校五年生になってから習いだした。場所は後楽園、先生は片山という元オリンピック選手である。一緒のリンクには当時の女王福原美和さんがいた。
 実は片山先生は母の先生なのである。母は娘時代にフィギュアを習っていた。お茶やピアノや洋裁などの稽古事の一つとしてフィギュアもあったのである。洋裁はやがて生活を支え得るほどになったが、その他の稽古事はどれもものにならずに終わってしまった。それでも母はスケートが一番好きだったようだ。お茶漬け屋をしているとき、夜中の商店街をインラインのローラースケートで滑り帰って来たりしたのだから。
 

 さて私の方は、急にやらされたスケートが好きではなかった。そのせいか大して上達もせず、母が作ってくれた衣装にも手を通すことはなかった。
 衣装と一緒に母が誂えてくれたものに白いスケート靴があった。二十歳過ぎまで押入れに仕舞ってあったが、湿気と雑な保管のせいで踝のところから曲がってしまったので捨てた。
 母が一時社交ダンスに凝ったとき、赤いダンスシューズを誂えてくれたことがあった。母は他人に教えられるほどであったが、私がそのダンスシューズを履いて母に教わることはなかった。この靴も、いつの間にか消えた。
 

 とにかく母が誂えてくれるものは徹底して白か赤だった。靴は白、洋服も白、コートは赤というふうに。
 中学のときのコートも真っ赤だった。ブレザー以外は自由の私立学校だったが、さすがに赤いコートは突飛だったようだ。理科の先生の「だれだ、猿みたいな色のコート着てきたのは」という言葉がよくそれを物語っている。
 私が黒の中に閉じこもってしまったのは、諸々そのような事のせいだったかもしれない。(2006年2月27日) 

 

糊こぼし  アオイ科  別名良弁椿。東大寺開山堂南側の良弁椿の原木にも白い斑がある。 

 
 
 
     
    目次
    ページの一番上へジャンプ