料理とワインの店:BISTRO KRI-KRI  
   

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クリスマスローズ
 


 クリスマスの名を冠してはいても、クリスマスにこの花を見かけることはあまりない。お正月気分も抜けたあたりからポツポツと鉢植えが店頭に姿を現す。わが家の鉢植えは三月の声をきかないと蕾が出ない。

 母のお茶漬け屋はいかにも母らしく、演劇人やら、音楽家、画家たちが集う場所になった。しかしやはり商売には不向きだったのだろう、十年頑張った末に潰れてしまった。ツケを回収できなかったのである。
 店を閉めてからも静かにしている人ではなかった。中国語の検定を受けて中国人に日本語を教えたり、残留日本孤児のお世話などのボランティアに精出していた。
 

 その母が花泥棒をした。当時は珍しいクリスマスローズが近所の塀からはみ出ているのを、あまりの可愛さについ摘んでしまったという。
 私は分別顔で叱責した。「いい年齢の人がそんな場面を見咎められたら、みっともない」
 母は寂しそうに笑っていた。しかし後になって、母をたしなめる資格などないことに気づいた。私はもっと悪質な花泥棒をしたことがあったのだ。

 母がお茶漬け屋を始めると、私は晩御飯を店でとることになった。ときに、食事中に早い客が来てしまうことがある。そんなときは茶碗を手に慌ててキッチンの扉の陰へ滑り込む。
「娘さんかい?隠れなくったって取って食いやしないよ」
 何度かそんなことがあると天岩戸というあだ名までついてしまった。母は母で若い娘の存在が雰囲気を盛り上げるとでも思ったか、何かと用事を言いつけては客の前に顔を出させるように仕向けるのだった。それを憎みながら、しかし母が生きることに必死なのも分かっていたので無碍に帰る事もできず、不承不承におしぼりを出したり味噌汁を出したりしていた。
 

 店の常連にカメラマンがいた。四十をいくつか越えた体格の良い人だった。母はそれこそ下にも置かないもてなしをしたが、私は自信に満ちたその言動が苦手であった。ある時その人に銀座のバーへ誘われた。「ね、ちょっとだけお供してらっしゃい、早く、さあ」。粘液質な母の言葉に追い詰められ、自棄のようになってついて行った。タクシーの中でも黙り込んだままで、カメラマンはどうしようもないという風にタバコをたて続けに吸っていた。店についてからも同様で、ママも扱いに困るというように横目で私を見るのだった。
 帰り際にトイレに立った。ふと見ると鏡の前にストレチアが飾ってあった。私は花を鷲づかみにすると上着の内側へ抱え込み、派手なオレンジ色をはみ出させたまま店の出口へ向かった。ママは目をむいたまま言葉が出ないようだった。カメラマンも棒立ちのまま私を見送った。駅のゴミ箱に投げ入れると、花は首を折られた鳥のような格好になった。
 母が真っ青な顔で待っていた。「花を盗ったんですって?こんな恥をかいたのははじめてだと先生おっしゃって・・・。どうしてまたそんなことを・・」
 カメラマンは来なくなった。大切な客を失って母は元気がなかったが、その時の私はしてやったりと思っていた。(2006年3月20日)

 

 

 

クリスマスローズ キンポウゲ科 ヨーロッパ原産の常緑多年草。五弁と見えるものはガクで、花弁はない。

 
 
 
     
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