料理とワインの店:BISTRO KRI-KRI  
   

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ユキワリソウ
 お茶に雪割れ何某というのがある。風雪に耐えた古木を、香合や何やの道具に仕立てたものをそう称するのである。今日は雪割れの古木のようだったあるカナダ人の話をしたい。

 雪は夜半過ぎに積もり始めた。私たちは雪見酒をしゃれこんでいた。  代々木公園へ行こうと言い出したのは夫だった。ベンが素早く反応した。
 フェンスを乗り越えるとすぐ坂になっていて、夫がヤッホーと転げ落ちた。するとベンがまっ逆さまに後を追った。ベンは長いコートを羽織っていた。その高価な毛皮が汚れるのも構わず何度も何度も転げ落ちた。私たちはそれまで聞いたこともないようなベンの大きな笑い声を耳にした。
  坂滑りに疲れるとウオッカを回し飲みしながら放浪の民のように歩き回った。雪はますます大粒になり、見る間にすべてを包み込んでいった。

 それから何年も経ったが、雪の到来は多くはなかった。それでも一度か二度、ベンと飲んでいる夜に雪を見ることがあった。ベンはそれまでの沈んだ顔を明るくさせて「スノウイング、アゲイン」と言うのだった。代々木公園に行くことはなかったが、楽しかった雪の夜のことは常に口の端に上った。特にその数年、落ち込みぎみだったベンの笑顔を見るにはこの話題が一番だった。
 ベンの酒量は増える一方になっていた。彼は明らかに絶望していた。日本にも日本人にも仕事にも。ことに老いていく自分が許せないようだった。特別の美男子というわけではなかったが、ナルシストには己の確かな尺度がある。早いピッチを心配して「なにか食べなくちゃ」と言っても首を小さく横に振るだけだった。それは緩慢な自殺といったらいいだろうか。案の定肝臓を壊して入院し、希望通り死んでしまった。

「あのとき知人の医者がね、もしエイズだったら病院には置けないなんて言ったの。何の根拠もないのに・・」
 ベンの相棒だったデザイナーは悔しそうに顔を両手で覆った。1990年代初頭、世はまだ誤解と偏見に満ちていた。
  それから二年と経たないうちに、今度はそのデザイナーの訃報を聞くことになった。やはり酒を飲み、自室で亡くなっていたという。
 デザイナーと私は実は折り合いが悪かった。特にベンという接点を失ってからはほとんど口をきかなくなっていた。そんな彼がどういうわけか、ハワイのお土産だと言って十字架の万華鏡を持って来たことがあった。
「きれいでしょう。見ていて飽きないの」

 人生は仲のよかった人とも悪かった人とも別れなければならないときがくる。残された者は亡くなった人との関係をそのまま一人で引きずっていかなければならない。
 はらはらと万華鏡の雪が舞う。(2007年2月25日)

 
ユキワリソウ  サクラソウ科 多年草 花屋などでユキワリソウとして売っているものは、ほとんどがキンポウゲ科のミスミソウである。
 
 
 
 
     
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