料理とワインの店:BISTRO KRI-KRI  
   

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 下駄屋敷のシキちゃんは苗字がヤシキだったのか、名前にシキがついていたのか知らない。とにかく大人たちはシキちゃんと呼んでいた。子供たちの方はシキちゃんに会うと「ゲタヤーシキ、ゲタヤーシキ」と囃していた。
 

  シキちゃんは十八、九になっていたのだろう。ひょろりと背の高い青年で、本当に下駄屋さんに勤めていた。店は上野の方にあると聞いたような気がするが、なんのために本郷までやってきていたのかよくわからない。注文取りに歩くでもなく、個人的な用事があるでもなく、子供の集まる広場にふらっと来てはしゃがみこんでニコニコと子供たちの遊びを見ていた。下駄屋敷と囃されても全然気にならないらしく、それどころかキャッチボールの相手までしてやっていた。シキちゃんはキャッチボールが上手だった。だれかがバッドを持ってくるとシキちゃんは必ずピッチャーだった。チームがわかれるとどっちのピッチャーもやったのでシキちゃんは忙しかった。ボールが近所の家のガラス窓を破ると、謝りにいくのもシキちゃんだった。ときにはガラス代も弁償した。それほど世話になっていながら、子供たちは相変わらず「ゲタヤーシキ、やーい」と囃したてた。
  一つには血のめぐりの少しとろいところがあったせいだろう。子供が頼まれてパンを買いにいき、そのお釣をシキちゃんの手の中からちょろまかしても笑っていた。すると他の子供も今度は僕、今度は僕とやかましかったが、そんな騒ぎが面白かったのかもしれない。いくらなんでもシキちゃんだって気づいていたろうから、ハナからくれてやるつもりだったのだ。

 我が家の下駄はシキちゃんの働いている店から買った覚えはない。母は近所で下駄を買っていたし、それさえ特に気に入りの下駄屋があるようではなかった。浅草へ出たついでに買うこともあった。おそらく色や絵柄で衝動買いしていたのだろう。しかしまあ、それらは私や母のに限られていたから、継父の高級な桐下駄はあるいはシキちゃんの店の注文品だったかもしれない。
  イギリス紳士のような洋装が好みだった継父はめったに浴衣も着なかったが、なぜか下駄だけは愛用していて、銭湯や飲み屋に出かけるときは必ず下駄履きであった。
 

 一度シキちゃが私の下駄の鼻緒を挿げ替えてくれたことがあった。白山祭のときに鼻緒が切れてしまって誰かがシキちゃんを連れてきた。応急処置をしてもらうと今度は鼻緒が痛くてよく歩けなかった。結局家に帰って直してもらったのだが、あまりにきつく挿げ替えてあったので母が苦労して緩めていたことを覚えている。(2007年5月15日)

  

 

 

  ゴマノハグサ科 高さ10メートルになる高木で、成長が早い。花は五月ごろ大きな穂になって咲く。材は家具、箱、楽器など多方面に使われる。

 
 
 
     
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