料理とワインの店:BISTRO KRI-KRI  
   

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夕菅

 高原では今頃夕菅が満開のはずである。月の出とともに花開く姿は幻のように儚く美しい。
  今回は八丈島の思い出である。夕菅の色を無理やり黄八丈に喩えて。

 隣の席の母が指先で私をつついた。窓から下を見ると雲の切れ目に海が見えて、三角の小さな波が無数に尖っていた。その中にときどきキラッと光るものがあった。小さな舟である。その頃私も、後ろの席にいる彼と新しい船出をしようとしていた。
 急に機体が揺れだした。母も私も気分が悪くなって背もたれに頭をあずけて喘いでいた。空港へ着いてからもしばらくは気分がもどらなかった。
 

 八丈島に誘われたとき、母の方が喜んでしまった。何日も前から家中に荷物を広げて忙しそうにしていた。私は少し気が重かった。結婚を申し込まれた彼との間に温度差を感じ始めていたからだった。彼は離婚して間が無かった。そんなことには何のこだわりも持っていなかったが、ただ、少年のようにナイーブで涙もろい姿が気になった。まだ忘れられないのでは・・。
 
 海辺の宿に着くと母は休む間もなく精力的に動き回った。私も彼も母に引きずられて行動していた。そんな母に彼は優しかった。それがまた母にはどんなにか嬉しいことのようだった。酒が入ると母は益々饒舌になり食欲のほうも旺盛だった。食事が終わると「夜の海でも見てらっしゃいな」と気を遣った。そう言われると「それじゃ」と行けるものでもない。しばらくすると彼は自分の部屋へ下がっていった。
 

 翌日は八丈太鼓を聞きに行った。いつの間にかはぐれて、私は一人で太鼓の音を聞いた。地面も空気も人々も、ありとあらゆるものが揺れていた。心臓までが飛び出しそうだった。
 やがて長身の彼と小柄な母が歩いて来るのが見えた。母は両手に貝を持ち、彼は石を持たされていた。石は相当大きなものであった。「重くて仕方ないでしょう」と呆れると、「漬物石だもの。海の匂いのおしんこを作るの」と母が少女のような笑みを彼に向けた。
 帰りの飛行機の中で、「何があったの?あなた変よ」と母が陽気さを消して言った。「そう?」私はそれなり窓の外に目をやった。
 フライトは順調で、母は軽く口を開けて眠っていた。

 結局彼とは別れてしまった。その後、彼は部下と結婚して幸せな家庭を持った。歳の離れた彼の兄が訪ねて来てそう報告した。「それは良かったこと」母は心から安堵したようだった。私が一方的に破棄して迷惑をかけたと思っていたのだろう。  
 漬物石はずっと使っていたようだが、果たして海の匂いのおしんこはできたのだろうか。(2007年7月31日)

 

 

 

夕菅(キスゲ) ユリ科 花は10pくらいのラッパ状で、斜め上向きに開く。茎の上部に数個つき、それが次々と咲いて、翌朝にはしぼむ。カンゾウのように食用になる。

 
 
 
     
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