料理とワインの店:BISTRO KRI-KRI  
   

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雪花

 毎年二月三日になると、母を訪ねて誕生祝いと節分の行事をするのが習慣だった。母が亡くなってからもこの日の墓参を欠かさないでいたが、今年は雪になってしまった。仕方なく炭を熾してささやかに献茶をする。
 床の軸は二月になって掛けた和漢朗詠の紅梅をそのままに、さて花をどうしようと思案する。梅の文字があるから無くても良いかとも考えたが、折しも雪花である。これを逃す手はないと早速黒の漆盆に雪を受けて、母と私の語らいの始まりである。

 東京でも昔はよく雪が降った。五、六歳の頃だったと思うが、一度大雪になったことがある。夕食が終わると継父と母がスキーをかついで出かけてしまった。当時は大塚に住んでいたが、二人がどこの坂でスキーをしたのかは知らない。とにかくそれほどの大雪が降ったのだ。小学校の三、四年生ぐらいまでは私もスキー場によく連れて行かれた。継父は水泳が得意だったが、スキーも巧者であった。背が高く当時の日本人としては足も長かったので、どこでも目立っていた。水泳はスパルタで教えられたが、スキーは自分の楽しむ方が先なのか辛い思い出はない。そのかわりいつもゲレンデで一人ぽっちだった。今では子供を一人置いておくなどと考えられないことだが、昔は家でも行楽地でも結構一人でいる子が多かった。子供に対する犯罪が皆無だったわけではないが、子供の方も案外たくましかったのである。
 
 さて大塚の雪の夜、母は私を押入れに入れてでかけたのである。押入れは改造されて西洋風の段々ベッドになっていた。それ以前はどうやら両親の大きなベッドの真ん中で寝ていたらしい。
 押入れの内装は明るくこぎれいだったが、重い戸はそのまま残されていた。最初は少し開いていて、私が眠ってしまうと閉じられたようだった。しかしその夜は雪に興奮して眠るどころではなかった。それなのに母は戸を閉めて出かけてしまった。この戸は中には手がかりがなくて開けられない。暗闇の中で私はまんじりともせず母を待ち続けていた。
 誰にでも間違いはある。母のモダンな嗜好とか悪戯心あふれる行動にはずいぶん楽しませてもらったと思う。だがこの一点だけは母の大いなる誤りであった。暗闇に閉じ込められた私は、今もずっと閉所と暗所の恐怖症だからである。

 相伴の茶を喫しながら、母の写真に文句を言う。母はいつものように笑っているだけだ。今となればそれも、降る雪のように二度と戻らぬ儚い思い出ということだろう。漆盆の花もとうに消えた。頭に生えた小さな角を引っ込めて、仕舞いの点前にかかるとしよう。(2007年2月3日)


 

 

イチョウ イチョウ科 中国原産。 街路樹、庭木、盆栽とする。ときに幹や枝から気根を垂れるが、これを乳(チチ)という。

 
 
 
     
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