料理とワインの店:BISTRO KRI-KRI  
   

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センブリ
 

 近隣から山から減っていく花を数えているとき、ふと思い出したのがセンブリである。この花こそ頻繁に見かけたものだった。あまりに小さいので摘むにしのびなく、眺めて楽しむのを常としていた。だから図鑑に「噛むと苦くて胃薬にする」と書かれていても試したことはない。そのうちにと思いつつ、気付けば姿を消していた。

 昭和の三十年代初頭は東京でもまだ火鉢で薬を煎じることが珍しいことではなかった。我が家の場合は持病をかかえる人間がいなかったせいか、そのような記憶は無い。火鉢はもっぱら継父の煙草の火種として使われ、あとは正月に餅を焼くぐらいであった。餅を焼く係も継父である。火鉢はほとんど継父の付属品のようになっていた。灰は丁寧に整えられ火箸の位置も決まっていた。間違えても私が灰に悪戯書きをすることなどなかった。継父の機嫌の良いときに、そっと両手を温めさせてもらうだけである。

 だから我が家では、継父が挽く朝のコーヒーの香り、昼に母が飲むロシアティーの香り、それとトーストにたっぷり塗ったバターの香りがすべてであった。
それが一歩外へ出ると、どこからともなく煎じ薬の匂いが漂ってくる。煎じるものは多岐に渡っていたと思うが、何故か一様に泥の匂いがした。決して不快ではなかったが、コーヒーなどと違っていつまでも鼻につくので気になった。
 小さい頃から母の仕立物を届ける手伝いをしていたが、その届け先で嗅ぐのも味噌汁や糠味噌に混じった煎じ薬の匂いだった。老人の顧客が多かったせいもあるかもしれない。
 
 ある家へ行った時のことである。教えられた通りに裏にまわると、小春日和の縁側で老婆が日向ぼっこをしていた。
「まあ、あなたが来たの?いつもそうやってお手伝いするの?」と顔を覗き込んだ瞬間、白髪が鞠のように足元で弾んだ。どうしていいか分からず見ていると、「手をかして、手」と片腕を上げている。懇親の力を込めて助け起こすとそのまま縁側に腰掛け、「滑っちゃって、ああ、ああ、やんなっちゃう」と顔をしかめて膝を撫でていた。
 それでもしばらくするとヨッコラショッと立ち上がって座敷に入り、盆を手にして戻ってきた。菓子と湯のみがのっている。他所では飲食しないようにしつけられているので「けっこうです」とかわい気のない挨拶をすると、「これ、あったまるから」と茶碗を手渡されてしまった。渋々口をつけると何かの煎じ茶だった。私がひどい顔をしたのだろう、老婆が歪んだ眉根を開いて可笑しそうに笑った。追いかけるように別の笑い声がした。なんと部屋に老人がもう一人いたのである。おそらくは老婆の連れ合いであろう、ドテラ姿の、達磨の如き巨体がユサユサ揺れていた。部屋が暗いのと、老婆が落ちて動転してしまったために気づかなかったらしい。
 変なものを飲まされ、笑われた上に騙された気分になって、半べそで家へ帰った。それでも母の優しい顔を見ると何も言えなかった。その後その家に行った覚えはない。(2009年10月20日)

 

 
センブリ リンドウ科 径1cmくらいの花で花弁に紫色の線が縦に通る。日が当たるとほぼ平開する。蕾のときは赤紫色。
 
 
 
     
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