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薔薇は人気が高いのか、どこのホームセンターでも難しい名前の鉢が並んでいる。
我が家には不向きだと思っていたら主人がハマってしまった。甲府で買ったアンジェラが最初だが、その後も次々と苗を買ってくる。植えるそばからバラゾウムシにやられ、黒星病になり、薔薇園と銘打った一角は荒れ野の様相、佇む主人はリア王のようである。
薔薇というと美しい女性を想うが、私は一人の美男子を想う。若くして会社を興した満さんだ。
最初に出会ったとき年上らしき女性と一緒だった。とても怖い顔で接していて、堅気の人ではないような印象を受けた。彼女も暗い表情のままで会話ということをまるでしない。男女の末期の姿と見えたが、案の定別れたようだった。
とても友だち付き合いは無理と思っていたが、私たち夫婦に見せる弾けるような笑顔に驚いてるうちに、いつの間にか親しくなっていた。
改めて眺めると満さんはなかなか格好良い男性であった。顔が小さく背が高く、低い声はよく通り洋服のセンスも抜群だった。
経緯は忘れたが一度一緒に富士山へ行ったことがある。私たちの車は流行り初めの四輪駆動車、満さんの車は白い大型ベンツ。真っ黒なサングラスと長いマフラー姿でハンドルを握っていた。
片側一車線の追越禁止道路を走っている時のこと、私の前にダンプカーが割り込んできて急激に速度を落とした。どうやら嫌がらせのようだった。昔は女が大きな車に乗るのを生意気だと思う人種もいたのである。
しばらくのろのろと進んでいたが、突然満さんがものすごいスピードで私たちを追い越しダンプの前で急停車した。ダンプも驚いたように急ブレーキをかけた。あわや喧嘩かと思いきや、運ちゃんは窓から顔も出さない。私たちの車が追い越してもじっと動かない。きっと運転席で震えていたのであろう。まるで映画のひとこまのような思い出である。
九州出身の満さんが悪童だった時期があったかどうか知らない。それでも命を張るようなことが一度くらいはあったかもしれない。そんな風に思える迫力であった。
富士山から帰って間もなく結婚したと若い女性を紹介してくれた。その後しばらく音信不通だったが次に会った時、満さんは激変していた。入院生活をしていたとかで、顔がむくんでいて、髪の毛もすっかり薄くなっていた。あまりの気の毒さに私たちは言葉を失ったままだった。
当の満さんは、仕事も順調だし病のほうも快方に向かっているから心配するなと、いつもの笑顔を見せてくれた。
それから数年後、会社の宣伝写真を撮ったことのあるカメラマンから満さんの消息を聞いた。静岡にいる姉のところで息を引き取ったという。奥さんはどうしたのか、会社はどうなったのか、カメラマンも知らなかった。
胸を締め付けられるような訃報であった。
富士山での映画スターのような姿と、薔薇のように豪華で甘い笑顔が、今も鮮烈に心に残っている。(2010年10月30日)
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