料理とワインの店:BISTRO KRI-KRI
   

ホーム
  ご来店になる前に
  歴史
  お知らせ
  メニュー
  最近のおすすめメニュー
  おすすめワイン
  マスターのコーナー
  マスターの奥さんのコーナー
  おもろいお客さん
  花族
  畑情報 嵐のち晴れ
  リンク集
  地図
  更新情報
   

 
 
  畑情報 嵐のち晴れ  
 
 
  その九 庭木を守るには
   
   

 

 
 
 男主人が入院している間にまだ失われたものがあった。二本の椿だ。一本は男主人の父親の形見。三メートルの大木になっていた。もう一本は女主人が買った白椿。こちらは半分ぐらいの丈であった。その二本がすこんと無くなった。根元から切られていたのである。盛りに散った大量の花を見て、女主人は泣いた。ワタシも鳴いたワーーン・・。

 東京では所有権の問題があるから木一本といえども他人のものには手をつけられない。しかし田舎では事情が違う。木が邪魔なら切られても仕方ないのだ。村人と話すとこれに類する愚痴が多数出てくる。皆、一回や二回は苦い思いをしているのである。なぜ先に話し合わないのかと思うが、話し合えば喧嘩になる。そこでばっさりとやってしまう。その時は憤慨しても、無くなったものに執着している暇などない。日本人はこうやって狭い土地で共存してきた。
 

 木は、花や葉を撒き散らす。日当たりの邪魔をすることもある。それによって被害をこうむる隣人の思いを常日頃から酌んでおけということだ。
 入院生活をしている二ヶ月ほどの間に庭は荒れ、竹やぶも大きくなった。柿やら栗やらの大木もある。それらが道路に散乱したとは想像に難くない。誰が切りにきても文句はいえない状態だった。まして荒れ放題の庭を見て、この家の主はもう来ないと思われたとしても無理はない。入院している事実も知らせず木を切るなと言えるわけがないのだ。

 切った人に事情を訊きに行ったとき「父親の形見だった」と言うと、その人は「それは悪いことをした」と謝ってくれたそうである。それが、この場合せめてもの救いである。不幸なことではあったが、それによって理解しあえるようになるなら、これもまた無駄な習慣ではないのだろう。

 

   
 

教訓 隣人ノ不満ニハ常ニ敏感デアレ

                  つづく
   
   
 

 

 

           

   
 
 
     
    ページの一番上へジャンプ