料理とワインの店:BISTRO KRI-KRI
   

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  いぬけい  
     
 
左:MAY 右:十兵衛
撮影:岡崎伸彦
 
     
  黒い疾走  
     
 

 私はヒマこそあるがお金がない。だから訓練を必要とする猛犬を訓練には出さなかった。
 可愛い盛りに手放すのが惜しかったこともある。ハヤテが病弱だったこともある。ドーベルマンというのは内臓や皮膚が異常に弱くて、それで根を上げる飼い主は多い。病院通いを繰り返していたのでは訓練所に入れることもままならない。今のように飼い主ごと訓練を受けたり、インストラクターが出張してくれるような制度も一般的ではなかった。


 訓練士と飼い主の能力差ということも考えた。どんなに訓練しても家に帰れば元のモクアミ。腕力も技も劣る私はきっとナメられてしまうだろう。相手は頭のいいドーベルなのだ。というわけで、左手に本、右手にムチで訓練をはじめた。ムチと聞いて、「ははあ、愛のムチというやつだな」と思っているそこのあなた、あなたは無知である。私が使用したムチとは乗馬用の本物の鞭なのである。
 動物虐待が云々される昨今、ムチを犬に使うなどと言ったら新聞沙汰になりかねない。いくら乗馬用のムチは痛くなくて、しかも多くはお尻ではなく床を叩くだけです、と言ったとしても許されないだろう。だが、20年前である。市街にドーベルマンの数は少なく、雌といえども資質は今よりずっとワイルドであった。
 だがまあ一年後には、とにもかくにも言うことをよく聞く犬に育ってくれた。
 

 それは、いつものように中央公園で遊んだ帰りだった。私は黒装束にサングラス、すでにムチは持ってはいなかったが黒の皮手袋、ハヤテは金具の並んだ首輪をしている。それが全速力で疾走しているのだ。道行く人は唖然としたことだろう。
 西参道まで戻ってきたそのとき、両手を広げて進路を妨害する人がいる。遠目にもそのスジの人と知れる格好である。私の頭の中でコンピューターがカシャカシャと答えを検索する。
「どうしよう、きっとこう言うのだ、『おうネエチャン、ちと待てや、ずいぶん大きな顔して走ってるやんけ』そしたら恐れずにこう言おう、『金なんて持ってへんで』いやいや、そないな失礼なこと言うたらあかん。『なんやてバカにすな、ドついたろか』なんて言われるかもしれへん、難儀やな」
 といつの間にかコンピューターが大阪弁を検索してしもて、うちどないなってんのや。

「ネエちゃん、ネエちゃん」
 ほら、きた、案の定や。しかしまあオバハンでなくてゴッツウもうかったな。
「悪いねえ、止めさせちゃって。オレ、この犬だいすきなんだよ。ちょっとでいいから頭なでさせてくれる?」
「!?!???!!」
 コンピューターがこわれてしまって、仕方なく私は東京弁で「どうぞ」と言った。
「そうかい、悪いねえ、ほい、ポチ」
「ポチじゃありません」
「あ、そかそか。オレも古いねえ。なんて名前?」
「ハヤテです」
「ハヤテ、いい名前だ。ますます気に入った。よし、お手」
「ちょっと待ってください。いまオスワリさせますから」
「そうそう、そうだよねえ。なんでもケジメが大事だ。いいかっ、てめえらも見習えよ」
 男は急に怖い顔になって後ろを振り返った。お付きの男たちもニコリともしないで「はい」と言った。それから男は嬉しそうに何度もハヤテの頭をなで、「いやあ、今日はよかった。久しぶりに心が和んだ、ありがとよ」と待たせてあった車で去っていった。
 私が大きなため息をついたのは言うまでもない。

 

 
     
 
     
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