料理とワインの店:BISTRO KRI-KRI
   

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  某月某日
   中高年になってからメールを覚えると奇怪に思えることが多い。携帯やパソコンという機械そのものもキカイだが、メールのやりとりの中によく分からない魔物がいる。
 まず文章を書き、送信をクリックする。すると次の瞬間には相手に届いている。だから返事がすぐ来る。会話をしている要領だ。これは嬉しい。すぐに思いが伝わり、すぐに答えを得られるのだから。
 しかし待て、本当に思いが伝わり、欲しい答えが返ってくるのだろうか?
 事実、なかなか来ない返信があるではないか。何日も何日も「見てくれたろうか?気を悪くしたのではなかろうか?」と思い悩むことがある。すぐに返ってくるものだけに、なかなか返ってこないと心配になる。無言のメッセージでは、と勘ぐってしまう。
 

 もちろん相手だって忙しい。たとえメールチェックはしても、すぐに返信できない事情もある。その必要がないと踏んでいる可能性もある。それでも、メールには返事が付きものと決めている自分は何だろうと思ってしまう。手紙や葉書はこんなに返事を待たなかった。音沙汰なくとも、相手に意思が通じた安心感があった。ところがメールには、思いを必死でつづった自分の文章がどこか知らない空間に彷徨っているような恐怖感がある。
 

 だから思いを必死に綴ってはいけない。相手も迷惑している。長い文章に「了解しました」なんて一行だけで抗議してくるではないか。
 ちゃんと返事をくれる場合も、相手の都合のよいところだけ抜粋して答えが返ってくる。三つ質問したとして、二つは答えが返っても、あとの一つはやっぱりどこかの空間に彷徨ったままである。これは私もよくやってしまう。こちらの質問に答えている間にあちらの質問を忘れ、返信ボタンを押してしまうからだ。
 

 そこで登場するのが、相手の質問の下に自分の答えを書く形式である。これなら抜け落ちがない。便利だ。しかし、これが味気ない。自分の文章を、たとえ断片でも読まされるのは赤面ものである。自分で読んで赤面するような文章なんか、だから出すべきではない。 
 時々、絵文字入りのメールをもらうことがある。意外にこれは和むものである。真似してみようと思ったが、キャラが違いそうでやめた。
 参るのは「だよーーん」みたいなタメ口文章。真面目な文章の返事にこれがくると、正直ガクッとくる。しかしこれは、頻繁なメールに追い詰められた結果である。相手に同情すべきであり、いくら真剣だからといってメールで細々した要求を出したりすべきではない。魔物とは、キーボードに指を乗せた途端、ひたすら文章をたたきだしてしまう自分の心の中にいるのかもしれない。
 以来メールは五行を上限に出している。それ以上書けるのは私の場合、一人だけである。

   
   

 

 
 
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