帰省した時のこと。
勝負強い友人に、勝負の機微を教えて欲しい、と素直に言ってみた。
すると「トランプある?」と。
家族でトランプなど小学生くらいからやっていないので不安ではあったが、本箱の隅に見つけることができた。
しかし・・・。
トランプゲームでは既に力量の差がはっきりしすぎていて、勝負以前の問題になるのではないか?
二人ともやったことのない新しいゲームを調達してきて対戦した方が良いのではないか?
という疑問が勝負を前にした不安と伴にわきあがって来るのだった。
やはり素直にそう言ってみると、まあまあ、と。
友人はトランプの山から、
10・ジャック・クイーン・キング・エースの五枚を二組抜き出して、その内の一組を僕に差し出した。
ルールは、
先に記した順に強いカードになってゆき、10は一番弱い代わりにエースに勝てる。
そしてお互いにカードを伏せたまま向かいにカードを並べ合い、
端から順にカードを開きながら勝敗を決めていって、三枚勝った方の勝ち。
確かに、これなら力の差は関係ないだろう、と思える・・・。
僕には運としか思えなかった。そこで、ヘタに思考すれば読まれてしまうと考えて、一切の思考を止めた。
勝敗は相半ばといった感じで何戦かしたのだが、何故か僕のエースが相手の10に食われることが多かった。
まったく、???なのだった。
驚くのはまだ早かった。
今度は、ジャック・クイーン・キングの三枚を抜くように言われた。
エースと10だけを手に持って、いっせいのっ、と一枚出して勝負するわけだ。
これ以上の運ゲーはないだろう。そこで僕はなお一層、考えるのをやめた。
ところが、出だしから5戦全敗を喫したのだった。
な、なぜ? そ、そんな、とうろたえる僕に友人はトランプを仕舞いながら笑って、
「これが、勝負の機微ってやつかな」
と言ったのだった。なおもよくわからない僕に、
「勝負自体が決まるのは一瞬のことなんだから、
そこにいかに集中するか、ってことやね」、
「ちょーさんは無意識に出しとった、そやろう? でもカードが交互に出てた。」
最初の3戦以内で、もはや勝負は決していたわけだ。
まったく純粋な戦いであり、これほど力量が問われるゲームも他にない、ということか・・・。
また、別の日。
夜、同じ友人の運転する車の中で。
何を話してほしい? 何が訊きたい? と言ってくれたので、やはり勝負について話して欲しいと。
「ちょーさんは運をどう考えてる?」
「うーん。運かあ。大数の法則から言えば、偶然のゆらぎにすぎないけど。
その、何度も たくさんやれば、あれなんだけど・・・。
でも、勝負において流れ、ってのは確かにあるわけで」
「ふーん。そこまでわかっとるんや」。
やや間があいたので、僕は勝負に臨む精神状態について訊いてみたくなった。
「勝負に臨む心構えみたいなものを教えてほしいんやけど・・・」
「そうやね。何でも心構えやね。
心構えの出来とる方は勝つし、出来てやん方は負ける」
「具体的には?」
「負けてもいい、、、」
「ん? (負けてもいい? そう言えば僕はそう思うことが多いな)」
「、、、と思っとったら勝てんね。」
「そ、そうなの? (だからって勝ちたい勝ちたいと思っても勝てないよ?!)」
「・・・負けたくない、と思わんと。
負けたくない、と思って、常に負けやんためにはどうしたらいいか考える。」
衝撃だった。
簡単に最高のものを示された。
その後も話は続いたが、やや散漫になる。僕もボヤッとなっていたかもしれない。
今、欲しい物ある? ダメやね、欲しいものがないと。
貧乏やと強くなるよ。
もう、これはそういう教育方針やったとしか。常に負けないためにはどうしたらいいか小さいころから考えていたし。
だからって、今度はガツガツ勝ちにばっかり行ってもイカンのやけどね(笑)
「うん。そうすると、他の人に協力してもらえなくなるよね。常に単独プレイとは限らんわけやし(人生は・・・)」
その点、この友人は心配ない。周りのこともちゃんと考えてプレイしている。いつも。
ちょーさん、ちょっと考えてみん。本当に困る失敗ってあると思う?
どれもあとから笑い話にできるようなもんばっかやろ。そーやろう?
何でもやってみることやね。人よりも早く。
その後、カードゲームを朝までプレイした。
僕の勝率はドンドン落ちていく。疲労。
明け方には、競れば必ず負けていたように思う。
玄関で靴を履く友人を見送る。
「もう、最後の方は、ほとんど惰性でカードを出していただけだよ・・・」
ニヤッとして、
「そうなん? ボクはちゃんと考えてたけどね」。
僕はこれから眠ることができるのだが、友人は仕事に行く。
機微なんかの前に、相当、差があるのだった。
*ちょーさん=僕
*この物語はフィクションかもね。