2003.07.13


      さて。今日は、僕が普段言わないような、踏み込んだ話をしましょうか。

      悪いことは書かないようにしている、と言う僕に、書いて欲しいというご要望。

      書かないことには、いくつか理由があります。    めんどくさかったからですぅ☆(大嘘)


      まず。この雑記は、日記ではありません。

      その日その日を記録するためではなく、読んだ人に楽しんでもらえるように書いています。

      その日あった最も重要な事柄ではなく、最も面白そうな事柄を選びます。

      お金払って、時間使って、ネットに接続して。

      それで他人の愚痴とか、不愉快になるようなことは読みたくないでしょう?


      ということなので。まったく悪いことを書かないというわけでもないのです。

      公的なことに対する憤りとか

      悪い結果になったけれども貴重な体験であった事とか

      そういうような、広い意味で楽しめる、読む価値があると思える事柄は、

      書いたりもします。


      もうひとつの理由は。

      『デバイスレイン』(PS) というゲームを知っていますか?

      残念ながらクリアには至りませんでしたが、設定が素晴らしかったです。

      確か、『イデア理論』 と呼ばれるものが出てきます。プラトンのとは違います。

      どういう理論かというと。

      物というのは、その物自体が持つ性質だけで成り立っているのではなく

      周りからの認識との相互作用で成り立っている、というような内容だったはず。

      例を挙げると。

      机というものは、それ自体が机という性質を持っているだけでは机たるには不十分で

      他の人々から机であると認識されることと併せて机になる、というような。

      確かに、組み合わさった木だと思われていては、机ではないかもしれませんね。


      ゲーム中では、

      何度も事故を繰り返す自動車の話が出てきました。

      最初の事故は、普通の事故だったのかもしれません。二度目も偶然だったのかも。

      だけど三度、四度、と事故を繰り返していくうちに

      周りから 「あれは事故を引き起こす車だ」 と思われてゆきます。

      するとそれは自動車自身の持っている性質へも影響してゆき、ついには

      事故を引き起こすという性質が加わってしまう、というような設定ではなかったかなあ。

      ちょっとうろ覚えですけど。


      もう何年も前になりますが。周りからの評価に無頓着だった僕はハッとしました。

      物はともかく、人の有り様にはそういう面があるのではないか。

      自分はこういう人間であると思っていても周りの評価と違えば、そうはなれない。

      例えば自分だけ、自分は天才だと思っていても、天才ではない。

      しかし周りからも天才だと思われればどうだ。

      それは天才ではないか?

      いや、よしんば天才でなかったとしても天才の名に恥じぬよう育つのではないか。

      そう思ったのでした。


      現状の正確な認識は大事です。でもそれは自分の胸の裡だけで十分です。

      物を考える若者であれば、みんな多かれ少なかれそうでしょうけど

      僕も、夜中に自分の体に手を回してのたうちまわる程度には苦しんでいます。

      だけど弱音も愚痴も吐きたくありません。

      言えばその状況で固定し、確定しそうだからです。


      久しぶりに会った友人の口癖が 「金がない」 になっていました。

      あちこちで言えば言うほど、 「金がない」 人だと思われていくはずです。

      「金がない」 と思い思われている人がお金持ちになれるでしょうか。

      たぶん、お金が来るチャンスは減ると思います。

      連発することで自己暗示の効果もあるでしょう。

      悩みとして打ち明けるというのなら良いけど。口癖はなあ。


      僕がこの雑記で絶対に書かないようにしている言葉。それは・・・

       ”ネタがない”

      あっはっはっは。


      はからずも最近、とある方から、

      元気だから笑顔になる、のと、
      笑顔だから元気になる、のどちらも真実ではないか

      というアドバイスを頂きました。