2007/02/27
ゴンザレス。
今、私のカワイイ息子と言えばゴンザレスです。
イカロスと共にゴンザレスとの付き合いも16年に及びます。
そのゴンザレスの近況報告します。
彼は蹄葉炎を患っています。
今は、実家から20kmほど離れた長野県のパン屋さんに預託しており、多分ヤツは自分が乗用馬であると言うことを確実に忘れているような生活を送っています。
現在、蹄葉炎は大分落ち着いてきましたが、去年の9月に左前肢で右前肢の蹄鉄を踏み掛けして、右前肢の蹄を半分近く剥すという大馬鹿な自爆をしました。
さすがにそのような状況ではヤバイかな〜と思ったのですが、そこはそれ、ゴンちゃんですので我々の気持ちを察したのか、さすがに自分の命に関わる問題であることを理解したのか知らないが驚異的な回復力でかなり良くなってきました。(^^;
ちなみにヤツは今年21歳です。
で、多分3月の終わりか4月頃には乗れるようになるかもしれません。
なので、ゴンザレスのリハビリを開始したら、リハビリの記録をつけますので、ご興味がございましたら是非ご一覧ください。
よろしくお願いします。
楽しみだけど、アイツの尻跳ねはかなりキツイので、私が無事でいられるか心配です。(^^;
2005/03/22
皆様、お久しぶりでございます。
フライング チェンジ管理人の たけぞう
です。
ここ暫くの間、乗馬とはかなり遠ざかっていました。
私の周りでなんか色々とツマラナイ事がグチャグチャ起こっていたので、とてもじゃないけど馬に乗ることができない状況であったのが一点と、ゴンザレス(サイトトップの右下のイラストの馬)が蹄葉炎及び、蹄叉腐乱になっていて大変な事になっていたのが一点です。
馬をお金払って預けているのに、管理が出来ていない証拠となるような病気にさせられるのは如何ともしがたい話でした。
去年12月にゴンザレスの主名義者である姉がとても管理の良い所を見つけてきたので、そちらに移動したところ、約2ヶ月半で蹄葉炎も蹄叉腐乱も直りました。(蹄葉炎に関しては完治はしないので、餌の量を調整して栄養過多及び栄養失調にならないようにし、柔らかい馬房と適度な運動(調馬策及び放牧)を与えることで症状を緩和でき、跛行も治まります。逆に運動不足で栄養過多になると発症します。)
そこの施設は、個人でやっているところで、飼育頭数も4頭と一人で十分手が回る頭数だけ管理しているので、非常に管理が良くゴンザレスもストレスがかなり軽減されたようで、見違えるほど良い顔になりました。
今回の騎乗は8ヶ月ぶりでしたが、乗馬を忘れるということは無いのでさほど心配しないで乗りました。
心配だったのは、新しい環境での騎乗でゴンザレスがどの程度慣れているかというところでした。
大きいほうの馬場へ行ったら案の定、ゴンザレスは緊張して馬場に入るのを拒んだので、感覚的には障害の馴致を行うつもりで騎乗しました。
その際、気をつけることは、馬を逃がさない事です。
馬は慣れない環境では逃げようとします。その方向は前後左右全ての方向へ逃げようとしますので、騎手は両脚を軽く引いて「ひ腹」のチョイ前くらいでしっかりホールドし腰が逃げるのを防ぎます。手綱は軽く開き気味にして肩が逃げるのを防ぎ、坐骨推進で後退を防ぎます。
このようにすると、馬は前方へしか進めなくなります。
この時、馬の精神状態は興奮状態へ近づいていますので、馬の首をよく愛撫をして馬の興奮を落ち着かせます。愛撫する際は開き手綱を維持できなくなりますので、愛撫し終わったらすぐ開き手綱を再開します。
このような形で、新しい馬場へ入ることを繰り返し、その場場が安全である事を覚えるまで繰り返し馴致を行います。
今のままのペースでは多分、初夏くらいまで馴致がかかりそうな気がしますが、気長にやります。(^^ゞ
今回はまだ病み上がりな感じなのと、私の筋力がかなり衰えている事を考慮して、フラットワークは常歩、速歩、駈歩それぞれの輪乗りと肩内、斜め横足と言った軽いもので20分前後行い、馬がうっすらと汗をかいてきたら、一旦落ち着かせて外乗に出ました。
ゴンザレスが今住んでいる所は、長野県と山梨県の県境付近で、この辺はまだかなり未舗装道路が多いので外乗向きです。
馴致を行いながら暫く歩いていると、ゴンがピタァッっと止まりました。
次の瞬間、私の脳の活動も一瞬止まりました。
野生のサルの群れ、しかも結構大群が目の前の畑にいました。
ええ、ビックリしましたとも。(^^;;
ゴンはサルを見たのは初めてで、そいつらがキケンなのか安全なのか怖いのか怖くないのか分からない状態で、好奇心がすごくあるのでそこに足を止めてサルを見入っていました。
サルは私とゴンを見た瞬間、一目散に逃げ出しました。
私はその時ちょっと迷いました。
ゴンにサルに近づいて良いか良くないか、どう教えようかと言う問題です。
とりあえず、君子危うきに近寄らずと言うことでサルの群れがいない方に引き返すことにしました。
サルは非常に頭が良いので、今は人間を見て逃げ出していても将来悪さをする可能性があります。(日光でされた経験あり)
なので、そういった状況でゴンがサルに近づいて、思わぬ怪我をさせる可能性を考えた結果ですね。
いや、8ヶ月ぶりの乗馬で貴重な経験をしました。
で、筋肉痛ですが、順調に全身が痛いです。(^^ゞ
2004/08/05
イカロス
前回に続いて馬個人(個馬?)の話です。
このサイトのアドレスや私のメアドはIkarusです。
これは、イカロスのドイツ語表記で、馬の名前から取ったものです。
この馬は私の人生において人、物、動物に関わらず一番多大な影響を及ぼした馬ではないかと思います。
乗馬をやっていたのもイカロスと遊ぶためでしたし、馬が好きと言っているのも実はイカロスが好きって話です。(^^;
イカロスの話はこのサイトの製作にも大きく関わってきます。
さてさて、と言うわけで本題です。
イカロスは中京競馬で走っていて、中京競馬時代の名号は「トウショウカイザ」です。父親は「トウショウゲート」。
イカロスは昭和56年に新冠町の牧場で生まれました。
生まれた牧場はトウショウ牧場ではありませんが、父馬はトウショウ牧場の馬です。
トウショウ牧場って言ったら「トウショウボーイ」が記憶にあります。
中京競馬で7歳まで走っていて、リタイア後すぐに私の居た乗馬クラブに来ました。
最初、会ったときの感想は「キチガイ馬?」ってのが本音です。
とにかく落ち着きがなく、何をしてもすぐにビクッ!って驚いてしまいました。
そして、初騎乗してみました。
乗馬の調教は全く入っていないので、彼は人が乗ったら走るものだと思っていました。
ええ、案の定乗った瞬間に走り出してくれました。(^^;
馬塲の中で駈歩をしていて感じた感想は「なんて強いバネだ・・・バネが強すぎて反撞はとても硬いなぁ・・」です。
すごくよく走る馬で、スピードもかなり出るのでサスペンションはとても硬いんですね。
そんなサスでありながら、反撞は大きいので、しっかりふくらはぎで馬体をキャッチしてないと、一瞬で跳ね落とされる反撞です。
15年も前の話なのに昨日のように覚えていますね。(^^
イカロスは非常に気が小さい馬ですが、クソがつくほどマジメな馬でした。
なので、こちらが何か要求すると分からなくても一生懸命やろうとします。
ちょうど、「動物のお医者さん」と言う漫画にでてくる「チョビ」と言う犬みたいですね。(笑)
日が経つにつれてイカロスも段々慣れてきて、私の事も認識してくれるようになってきました。(と思う、いや、思いたい)
少しずつ乗馬として動けるように父の指導の下、調教をしていきます。
速歩や駈歩は元々イカロスが好きだったこともあり、収縮、尋常、中間まではそれなりにできるようになってきました。
あと、口が非常に柔らかくて、敏感であるため少しでも強く引っ張ると頭を上げて反抗したり、首を巻き込んで頭を下に下げて潜らせてハミから逃げようとしてしまいます。
時間をかけて少しずつ少しずつ、ハミを受けるという動作を覚えさせていきました。
更に暫く経った後、障害に挑戦してみる事にしました。
イカロス自身、障害は初めてのようです。
最初は横木通過からです。
馴致(じゅんち 障害などを見せて馬を馴らすこと)して、常歩で通過。
次に軽速歩で通過。
その後、踏み切りと20cmのキャバレッティを設置して速歩で通過。
ここまでは順調でした。
少しずつ高さを増していって60cmの障害練習を始めたとき、イカロス持ち前の気の小ささが出てしまいました。
障害に向けて速歩で助走をしていきました。
通常、踏み切りの横木を障害の130cm手前に置くので、それを通過したらジャンプします。
イカロスは60cmの障害がとても怖く感じていて助走中に暴走状態に入りました。
さすがに、500kgオーバーの馬が本気で暴走すると、おいそれと止められる物ではありませんでしたね。(^^;
そのまま暴走しながら障害に向かって、事もあろうに踏み切り横木の手前から踏み切って大ジャンプ!
飛越距離、200cm弱、飛越高度130cm以上。
なんか、違う世界が見えました。(^^;;
着地後、イカロスはそのまま暴走していたので、左輪乗り運動に入ってなんとか止めました。(^^;;;
落ちなくてよかった。。。。
60cmのビギナークラス障害でオクサー中障害並みの飛越をしてくれた馬は後にも先にもアイツだけでした。
普通だと、障害の直前で止まるんですがね。。。
ヤツはクソマジメなので、止まるという事を思いつかなかったようです。(爆)
その後、障害練習を繰り返して行くうちに、障害の楽しさを覚えてくれたようです。
そして、練習後のお楽しみもありました。
練習が終わった後で、クラブから長い未舗装の上り坂の道路があってそこをお散歩する事です。
でも、ただ単に歩くだけじゃつまらないので、駈歩で駆け上がってみました。
そしたら、イカロスはなんかに目覚めたらしく、駈歩のペースがどんどん上がります。
普通の駈歩は、リズムは3節で速度は25km/h程度ですが、その道では4節で速度は50km/h前後。
ハイ、これは襲歩ってヤツですね。
現役の競馬さながらの襲歩で一気に駆け上がっていきます。
もうね、私も馬も楽しくて仕方がなかったです。
4節の襲歩で50km/hくらいだとこちらの騎乗姿勢も2ポイントになるので、お尻を浮かせています。
早い話、競馬のモンキースタイルのような乗り方ですね。
そして、乗り心地はまるで空を飛んでいるようと言うか、風になったようなカンジです。
あの快感は私の稚拙な表現力では書ききれません。(^^;;
そして、二人でルンルン♪しながら降りてきました。
イカロスが来てから1年後くらいに、イカロスは試合デビューしました。
小障害です。
イカロスは練習ではだいぶ良いセンまで行けるようになっていました。
なので、そろそろ行けるだろうと思い、試合に出ました。
しかし、試合会場はまた独特な雰囲気です。
異様な盛り上がりがありますし、色々な乗馬クラブからクラブのトップクラスの馬とかも来ていたりして、馬にとっても只ならぬ雰囲気です。
イカロスはそこで持ち前の気の小ささを発揮してしまいました。(^^;
障害の待機馬場でも落ち着かず、軽いウォームアップだけなのに、大汗かいて全身から泡を吹いています。
前走者が、飛んでいるのを見ながら私はコース取りを考えていました。
イカロスは・・・・・いなないてます。。
前走者がゴール切っていよいよ私たちの出番です。
入場口から、本馬場に入りました。
審判塔に向かって私が敬礼をすると、イカロスは審判塔に向かって首を上下にブンブン振り回してます。
イカロスも敬礼ってことで・・・(^^;
スタートOKのベルが鳴って私は大きく馬場の外周を周ってスタートを切りました。
第一障害、無事通過。
イカロスの精神力はそこまでで精一杯でした。
イカロスは完全に混乱して、ターボが掛かった状態です。
「ヤバイ!抑えきれない!!」そう思いました。
私はもうイカロスを抑えられません。
せめて経路違反をしないように障害にむけるだけが精一杯でした。
障害飛越と言うものは、正確な踏み切りがあって初めて飛び越えられる物です。
プッツンしたイカロスは目の前に障害が迫ると恐怖心からか、障害の遥か手前から踏み切りました。
もちろん、高度が足りなくて障害は大破です。
その状態のまま、第三、第四と順番に大破させていきました。。。。
私もその辺の記憶があやふやになっていますが、多分障害を飛ぶどこの騒ぎではなかったんでしょうね。
あの頃のルールでは、障害を落下させると減点4がつきます。
で、イカロスのデビュー戦の結果。
減点28。
私は後にも先にもこんなに悪い成績を残した事はゴザイマセン。。。。
終わってから、二人でボーっとしてしまいました。
私:「終わったね・・・・・」イ:「うん、終わった・・・・・」
そんな感じでしょうか・・・・・確かに二人の間にはこんな空気が流れていました。(^^;;;
散々な結果のデビュー戦でしたが、その後は試合の雰囲気に慣らしつつ、少しずつ実力を出せるようになっていきました。
今でも思いで深いのは、ある競技会で「トップスコア」と言う種目に出たときの事です。
トップスコアとは、馬場の中に配置された障害にそれぞれ点数が設けられていて、その障害をクリアするとその点数が貰え、失敗するとその点数分減点されます。
コースは自由で障害の飛越方向も自由。各障害は2回まで飛越可能で、合計点数の高い順に勝敗が決すると言うルールです。
イカロスと私はその種目で着実に点数を稼いでいました。
300点ほど取ったところでチャレンジ障害に行こうと思いました。
チャレンジ障害は高さ130cmの水濠障害で点数は160点です。
水濠とは、障害の足元に浅いプールがあってそこに水が張ってあります。
イカロスも私も水濠は今まで飛んだ事がありません。
でも、なんとなく行けそうな気がしたので、イカロスを水濠に向けました。
結果は、その水濠障害を一往復する形で2回クリアできました。
合計620点でぶっちぎりトップでしたね。
でも、そのときは勝敗なんかよりも、生まれてはじめての水濠をぶっつけ本番でノーミスクリアできた事が非常に嬉しかったです。
そうやって、イカロスとコンビを組んで仲良くヨロシクやってました。
私は20歳すぎ頃から親元を出て東京で一人暮らしを始めてましたが、月に1回は山梨へイカロスに会いに行きました。
多分、自分の子供のようでもあり、分身のようでもあり、恋人のような感覚だったのですね。
イカロスはその後障害練習馬として沢山の人の障害練習をやってきました。
イカロスは持ち前のクソマジメな性格で殆ど拒止(きょし 障害直前で止まること)をしなかったので、良い練習馬でした。
ただ、そのクソマジメな性格が災いしたのでしょうか、ヤレと言われると頑張るので22歳になった去年の夏、7/20に疝痛を起こしてしまいました。
私は会社を休んで20日から看病に当たっていました。
丸2日徹夜で看病したかいがあったのか、22日にはだいぶ落ち着いてきました。
このまま行けば復調するでしょうと言う見通しが出たため、ひとまず東京に戻りました。
23日の朝、たまたま自家用車で出勤中だった私の携帯に連絡が入りました。
イカロスが死んだ。と言う知らせでした。
運転中でしたが、私の頭は真っ白になりました。
とりあえず、電話を切ってそのまま会社の方面に向かって高速を走っていました。
途中、涙があふれてきました。
あふれる涙を私は止められませんでした。
後から後から沸いてくる涙。
人間ってこんなに涙が出るんだ・・・・・・・・
途中、パーキングエリアに止まりました。
そしてそのまま慟哭しました。
今、この文章を淡々と書いていますが、淡々とした書き方をしないと今でも涙が出てきそうになります。なので、客観的な書き方をしています。
その日の夜、山梨に向かいました。
そして、イカロスに手を合わせて、遺髪と遺品を頂いてきました。
今、イカロスの遺影と遺髪と遺品は私の自宅に保存されています。
遺髪は北海道に持っていこうかと思っています。
イカロスが生まれた新冠町の牧場の土に帰らせてあげたいと思います。
イカロスが生まれた牧場の人もそれを承諾してくださっていますので、時間ができたらイカロスを生まれ故郷に帰らせてあげます。
1年経った今でも彼の事を思い出さない日はありません。
私に馬の素晴らしさを教えてくれてありがとう。
私は、1年前に乗馬を止めようかと思いましたが、ここで乗馬を止めたらイカロスとの15年が意味の無いものになってしまうと思いました。
うまくまとめられないですが、イカロスの話をいつか書きたいと思ってこのサイトを立ち上げました。
今、色々と思うところがあって情報の更新が進んでいませんが、内容をもっと充実させて参りたいと思っておりますので、これからも宜しくお願い申し上げます。
フライング チェンジ管理人 たけぞう
2004/0628
ゴンザレス
この週末は久しぶりにゴンザレスに会いに行ってました。
久しぶりすぎて忘れられたかな?(^_^;
行くと、ゴンは小屋の中でヒマそうにしていたので、馬塲の空き状況を確認して放牧しました。
放牧した瞬間に、飛ぶわ跳ねるわ・・・・・
クラブの人に「乗ればいいのに」って言われました。
いや、冗談じゃないっす。
あんなに張ってるヤツに乗ったら5秒で骨も残らない状態になるって・・・・・
しかし、思ったより運動不足なので洗う前に調馬策をかけました。
日差しが強い中で調馬策運動を約30分前後やってゴンも私もドロドロのヘロヘロになったので、あとは策を外して自由運動させました。
蹄葉炎の影響で右前肢が軽く跛行(はこう:びっこの事)してました。
普通になれるようなるまでは最低でも3ヶ月は掛かりそうな感じですね。
あとは、蹄の延び具合に掛かってきますので。。
2004/06/08
馬の手入れをしている時の話です。
後ろ足を上げて水洗いしていた時、ふいに馬の重心が変わりました。
おやっと思っていたその瞬間です。
後頭部にドスンドスン!と重たい何かが降って来た感触が・・・・・・・
そのまま、見てると、ボロ(馬糞)が落ちてきました。
はい、後頭部にボロ(馬糞)直撃です。(涙)
その馬は尻尾が短かったので、排泄するときの尻尾をあげる動作に気が付きませんでした。
うぐ〜〜〜〜・・・・・・・お客さんに見られなかったのが不幸中の幸いでしたよ。
って、今世界中に暴露してみた。(笑)
2004/06/04
玉撞き事故
私:「はい、速歩すすめ〜」
馬が速歩になります。
初心者の方は緊張して体が硬くなっちゃうんですね。
男性の場合、速歩の時はもっと力を抜かないとタイヘンな事になりますよ。
男性初心者:「う゛っ!!!」
私:「はい、止まって止まって〜!」(この場合、馬に対して言ってる事が多いです)
大体皆さんはお分かりでしょうか?
鞍の前橋(前の膨らみの部分)に大切な金の玉子を打ちました。
私も、この痛みはよく分かります。
涙でますね。
この痛みは経験者にしか分からないものです。
なので、たまに女性インストラクターは男の人の腰が引けても何故だか分からない場合があります。
いや、それどころか、「ハイ、もっと腰を突き出してくださ〜い」などと悪魔なセリフを満面の笑みで言ったりします。
本人にそのつもりがなくても、男性からは悪魔の尻尾が見える瞬間です。(^^;
2004/05/08
落馬のお話し
今までに、落馬は沢山やってますよ。
回数?数え切れません。
確実に3桁は行ってます。
シチュエーションとしては調教中の落馬が一番多いですね。
馬が風に驚いたり、鳥に驚いたり・・・・・・・
トンボに驚いて立ち上がって跳ね落とされたときにはさすがに「オイオイ・・」と思いました。(^^;
調教中の新馬は思わぬ事で驚くので、気が抜けませんね。
後は、競技会で落ちる事もありますね。
競技会は馬も人も普段よりも気持ちが高ぶっているので騎手の些細なミスで馬は障害の手前でピタっっと止まってしまいます。
分速350mで走っている物が障害の手前50cm位の位置でとっても器用にピタァッ!!と止まるんです。
そうすると、慣性の法則ってヤツでしょうか・・・・・・・
騎手だけが障害にズガガガガガ!
シャレになってないっす。(^^;
その障害が複数の横木を組み合わせて作っているものなら、私の上に全てが降り注いでくるんですから。
ちなみに横木1本あたり、5kg前後。
それが5〜6本降ってきます。
端から見てると、横木の山の中に私の足1本とか腕1本が出ている状態に見えるでしょうね。(^^;;
もちろん、そんな状態では自力脱出は不可能ですので、落ちるときは私なりに落ち方を決めています。
それは、落馬の瞬間は絶対に手綱を放さないです。
そうすると、どんなイイコトがあるのかと言うと、横木の山に一瞬埋もれても、横木雪崩に驚いた馬がそこから逃げようと全力でバックします。
その時に手綱を放さなければ、結果的に私を引きずり出してくれると言う事です。(^^ゞ
お陰で今日もご飯が美味しく食べられる体です。(笑)
一応、馬に命を助けれているって事になるんでしょうか・・・?
2004/02/09
先生のはなしです。
私の先生なんですが、父親です。
父が先生ってとってもコワイです。
遠慮ナシですからね。(^^;
指導されててよくこう言われました。
「バッキャロー!テメー!何やってやがんだ!! そうじゃねぇーっつてんだろ!!(#゚Д゚)」
で、その直後に彼が持っている追い鞭で叩かれました。(^^;
追い鞭っていうのは、長さが4mくらいの鞭で芯が入っているのは途中までで、あとは紐みたいになっている形です。
で、この鞭は調馬索運動をさせるときに使います。もちろん、叩くための鞭ではありませんよ。
正しい使い方は、馬の斜め後方で軽く振って馬に見せる見せ鞭です。
で、たまに素早く振って、音を出す事もあります。
その音は「スパーン!」ってカンジのキツイ音がするので、馬を追うのに有効です。
で、私の先生はその鞭で器用に私に当ててきます。
馬には当たらないんですからスゴイ器用ですネ・・・(^^;;
もうね、子供だった私は泣こうがわめこうが、容赦ないんです。
そのお陰(?)で私も一応人に教える事が出来る人間になれました。
うん、私が指導に入っていて白熱していると、私の先生とソックリだそうで・・・・・(^^;;
いや、鞭はやりませんが、怒鳴り方が似ているそうです。
なるほど、こうやって流儀は受け継がれていくものなのですね。(何か違うかも)
これも一子相伝の指導術と言うのでしょうか・・・・
乗馬の指導って北斗神拳みたいですね。
そんな先生は今はスペイン常歩を練習してると・・・
スペイン常歩ってめっちゃ古典馬術ぢゃん。
写真見せてもらったけど、すごいですね。
よく、ここまで肢が上がるものです。
私が乗馬の練習をしている時、私の先生も自分の技術を高める為に練習をしていました。
そうやって、いつまでも追いつけない先生は先生として凄いな、と純粋に思いました。
2004/1/16
推定年齢38歳。
馬の年齢としては日本国内では1,2を争う長寿ですね。
本日夕方、私たちを15年に渡って見守ってきてくれた、御神馬が亡くなられました。
今まで、本当にお疲れ様。
述べ人数で何千人その背中に乗せてきたのかな?
最高の馬場馬術競技馬として、沢山の人々に愛されて未だに伝説として語り継がれてきた彼も、ウチでは良いおじいちゃんでした。
馬の寿命と言われる年齢を遥かに越えて、一昨年までは初心者を乗せて頑張ってきたね。
本当にお疲れ様でした。
2004年1月16日 夕方
エクバターナ(旧名号 信長) 推定年齢38歳
老衰のため、死去。
2004/12/31
乗り納めって訳じゃ無いのですが、久しぶりに馬の運動を頼まれたので乗りました。
クラブのおっさん曰く、「5頭お願いね☆」
おいおい、ちょっとまて。
1ヶ月ぶりの騎乗でイキナリ5頭は体力がもちましぇん・・・(^^;;
っつーことで、まあ出来るとこまでって事にしておきました。
1頭目。
馬場馬術競技場で、俗に言うグランプリホースです。
だからと言って特別な事する訳じゃないです。
今日はあくまでフラットワークなので、基本運動だけです。
馬装もカンタンで、総合鞍と水勒のみ。
最初は常歩運動。
自由常歩⇒中間常歩と言った具合に徐々に手綱を詰めつつ、脚と座骨でしっかりと押してリズミカルな常歩に持っていきます。
次は速歩。
直径20mの輪乗り運動に入って歩度を伸ばしたり、詰めたりを繰り返して前後にほぐします。
次に輪乗りの直径を最大6mにまで縮めて横方向へほぐします。
前後と横の柔軟が十分に出来たら蹄跡行進をして、長蹄跡で肩内を行います。この運動を左右両手前で行います。
その後で、左右両手前で腰内を行いその後斜線上でレッグイールディング(斜め横足)を行います。
次に駈歩運動です。
最初は輪乗り運動で、速歩同様に前後左右の伸縮運動を行ってから蹄跡運動で前後の伸縮運動。
次に斜線上でハーフパス(横足)を行います。
フラットワークはこれでオシマイ。
馬の張りも取れて、柔軟になったところでクールダウンさせて終了〜(^^)
2頭目。
障害馬術競技場で、まあ120コースを周って来るぞってカンジの馬です。
だからと言って特別なことするわけではありません。(^^ゞ
基本的に1頭目の馬と同じですが、軽速歩を長めに行ってハーフパスは出来ないのでやりません。
3頭目。
5歳の牝の新馬。
柵の鎖が風で擦れた音を立てただけで大暴走。(^^;
コイツの場合は取り合えず落ち着くまで何週でも馬場の中を駆けずり回るだけです。(^^;;;
てか、年末大暴走を馬でやっちまったよ。(爆)
で、体力的に限界がきたのでここまでで止めにしてもらいました。(^^;;
ぐったり。
2003/12/12
今から8年前の出来事です。
お客さんが馬に乗るのを下でヘルプしてました。
具体的には、お客さんが乗ったら腹帯を締めて鐙の長さを合わせてあげることです。
お客さんを馬の左側から馬に乗せて左側から腹帯を締めて鐙を合わせました。
その後は右側に回り込んで右側の鐙の長さを合わせます。
その為に馬の右側に回り込もうとして馬の前を横切った瞬間、その馬がイキナリ飛び出してきて私を轢きました。
私は馬に押し倒されるような感じで仰向けに転倒し、馬はそのまま私の左腕を思いっきり轢いて走っていきました。
危なかったです。これがあと30cmもずれていたら私の腹や胸を直撃ですからね。ヘタしたらこの日記も書けませんでしたよ。
しかし、600kgの馬が駈歩で通過したのですから私の左肘に掛かった加重は合計(足が3本ヒットした)5〜6tです。
tってトンですよ、d。
痛いとかそう言う感覚は無いですね。
一瞬気絶しかけましたが、すぐに気が付きました。
で、左腕は肩から全く感覚が無く、ちぎれたかと錯覚するほどでした。
とりあえず、くっ付いていましたが・・・(^^;;
馬場は砂地だったため、幸い衝撃は砂に吸収されて左腕は無事でしたよ。
その後すぐに病院に行きました。
医者に診てもらったら、肘の靭帯打撲との事で1週間もすれば治るとの事でした。
で、医者に聞かれました。
医:「なにやって怪我したの?(^^)」
私:「馬に轢かれました。(;_;)」
医:「へ?轢かれたって?何に?(^^;;」
私:「だから馬に(;_;)」
医:「そ、そう・・・それはタイヘンだったね〜(^^;」
私:「はい・・・(;_;)」
医:「・・・・・・・・・・・・・・・(^^;」
別に漫才したかったわけじゃないんですけどね〜(^^;
でも今でも寒くなると肘が痛みますね。
ついでに、肘から下が痺れて左手の中指、薬指、小指があまり動かなくなります。
覚えてろよ、アルフィー!(←私を轢いた馬)
まあ、お互いトシ取ったしね。
全く怒っていないよ。
たぶん。(爆)
2003/12/5
アレはまだ、中学生の頃でした。
その頃、アパルーサの血が入ったポニーがいましてそいつは人を乗せる調教が入っていませんでした。
名前はボニーと言いました。
早い話、人は乗れない馬だったんですね。(^^;
でも、馬車を引く調教は入ってました。
馬車無いし。意味ナイぢゃん・・・・・(^^;;
で、夏休みに入った時、私はオヤジ様から「ボニーに乗れ」と。
私:「はい〜〜?(^^;」
父:「夏休みの間にボニーに人が乗れるようにしとけ(^^)」
私:「マヂですか?(^^;;」
父:「うん(^^」
私:「僕が乗る以前に人が乗れないんでしょ?(^^;;;」
父:「だからオマエが乗って調教して他の人でも乗れるようにしなきゃ(^^)」
私:「やんなきゃダメ?(^^;;」
父:「やんなかったらもう馬に乗せてあげない。(^^)」
私:「ウェ〜ン。分かったよぅ・・・(;_;)」
父:「よろしく〜(^^ゞ」
と言うわけで、私の乗馬生命をかけた戦いが何の前触れもなくいきなり切って落とされたわけです。
で、夏休みの間に30回乗りました。
30回乗る間に落馬した回数、40回を数えました。(爆)
若いってスバラシイですよね。
いま、そんなに落ちたら多分動けなくなるでしょうね。(^^;;;
で、最終的になんとかかんとか、人が乗っても大丈夫なようになってきました。
私はボニーに人の乗せ方を教えて、ボニーは私に馬からの落ち方を教えてくれました。
毎年、夏が来ると思い出す話です。(^^ゞ
何故か冬なのに書いてみました。