![]() |
![]() |
![]() |
|
![]() |
![]() ![]() 1,ルーツについて ![]() |
1.その多様なルーツについて
“Walls & Bridges”のカバーにもあるように、ジョンのルーツはアイルランドからリバプールへの移民であるらしい。彼自身指摘しているように、あの哀愁のある雰囲気はケルティックのルーツを強く感じさせる。(1) ロックンロール これはもう、自明の理といえるだろう。しかし、ここで指摘しておきたいことは、ジョンにとつてロックンロールとは、いわゆるロックンロールだけでなく、モータウンからLeeDorcyのようなまったくのR&Bまでを包摂するものだったということだ。 (2) 英国のトラディショナル・ジャズ つまり当時の英国でのコンテンポラリーな音楽。ボードビルから、ブラスバンド、ラテン、ラジオショーのテーマ曲など。とにかく彼の生活環境の中にあったすべての音楽。 (3) ケルティック ![]() また、「レコードコレクターズ」にでていたロリー・ギャラガーの証言によれば、ジョンとポールのメロディーラインは、アイリッシュ・トラッドの大御所クランシー・ブラザースやダブリナーズから多くのものを得ている、とのこと。しかも彼は'65ころロンドンでのダブリナーズのライブで、観客席にいたジョンとポールを目撃したといっている。ダブリナーズのメンバーは二人をにらみつけて演奏し、ポールは顔をこわばらせ、ジョンは笑っていたという。 (4) 結論 基本的には、トラッド、アイリッシュ、あるいはブリテンのようなクラシックをもふくむ英国の伝統的な音楽感覚と、Rockn'roll、R&Bという黒人的音楽感覚という二つの要素の緊張関係が基礎にあると、私は考えている。ポール・マッカートニーの場合も事情は同じだが、ジョンほどの強い緊張関係はみられない。ここが両者の最大の差異である。 (5) 補論 忘れてならないのは、Reggaeからの影響だ。とりわけソロになってから、Reggaeにインスパイアされた曲がふえる。たとえば“Mind Games”は明らかに“Many River To Cross”から発想されている。ジョンにとってReggaeは、おそらく’70年代のR&Bという位置付けだったのではないか。’70年代のなかごろからディスコビートの曲がつくられるが、これもまたたんなる流行ではなく、(4)でのべた緊張関係を維持するために必要だったのだ。 |
|
![]() |
||
オリジナルアルバムの紹介/Kのロッキン・ギター講座/ これが名盤だ! 探究ジョン・レノン・センス/宅録に役立つリンク集/ホーム |