評価 :至高の一作 :傑作! :読み応えあり :十分楽しめる |
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2000 November | |
11月読了分: −17 「エンダーのゲーム」 オースン・スコット・カード ハヤカワSF746 「エンダーズ・シャドウ」 オースン・スコット・カード ハヤカワSF1330・1331 「いいか−敵のゲートは下だ。」 このかっこいいセリフで始まる短編「エンダーのゲーム」は、後にヒューゴー・ネヴュラのダブルラウンに輝く長編版「エンダーのゲーム」に発展し、そして「死者の代弁者」、「ゼノサイド」と続くエンダーシリーズが形作られてきました。これだけでいかに、このエンダーワールドが、読者に、そして作者カード自信に愛されてきたか分かるようです。 そしてこのシリーズに新たな一冊「エンダーズシャドウ」が加わりました。この作品は長編版「エンダーのゲーム」の分身ともいえる作品なので、「エンダーのゲーム」と合わせて紹介したいと思います。 「エンダーのゲーム」 「謎の昆虫型侵略者バガーの恐怖におびえる地球。その地球を守る機動艦隊の指揮官を養成するために設立されたバトルスクールが設立された。トップエリートとしてそこに入学したエンダーが、訓練の終わりに見出した真実とは。」 このアイデアとオチの冴えを、短編はまざまざと我々に見せつけるわけですが、長編では肉付けされたエンダーその人の葛藤がメインとなります。 禁じられた「サード(第三子)」であると共に、エリートであるバトルスクールの入学候補であるというアンビバレントな運命。その後のシリーズ展開の核となった優しき姉ヴァレンタイン、非凡な暴君である兄ピーター、彼らと過ごす甘やかで残酷な幼年時代。それらが物語の前半を通して語られています。こんな人と違う栄光と欠落を併せ持つエンダーは、悩み苦しむ英雄でありカリスマなのです。 英雄とは単に優れた人間という意味ではなく、自らの運命への信頼と人としての大きな欠落が作り上げる、歴史上の重要な駒であると言われます。人としての英雄は決して超人ではなく、その栄光と孤独の中で悩み苦しんでいくのです。そして、そのエンダーの苦しみが頂点に達する時、物語りはあのあまりにも鮮やかな結末を迎えるのです。 まさに英雄にふさわしい運命として。 「エンダーズシャドウ」 そして、作者によって再びこの「エンダーのゲーム」が語りなおされました。それも、あの名フレーズでゲームを終わりにした、少年ビーンの目を通して。それがこの作品「エンダーズ・シャドウ」です。 「エンダーズ・シャドウ」では、作品の半ばがバトルスクールに入る前、ストリートキッズとして生き抜くビーンの姿を描くことに当てられています。そして早熟の秀才であるビーンは、その生か死かの過酷な世界を一つのゲームとして捉え必死に生きぬこうとするのです。この姿が、「エンダーのゲーム」を貫く中心のテーマ、「社会という一つのゲームの中で、適応し目的を見つけようとしてあがいていく少年達」という姿をよりはっきりと描き出しています。つまり、この作品で語られている少年達のストーリーは、我々自信の歩んできた少年時代のメタファーでもあるのです。それが故にこのシリーズは、これだけ多くの人々に愛されてきたのでしょう。 もちろん我々の多くがこのビーンのような過酷なストリートキッズの生活を送ったわけではないですが、この生活の中でビーンがプレイしていたのは、「誰が強いかを知り仲間を見つけて、自分の安全と居場所を確保する」というものです。子供は、同年代の子供達と出会い、そんな風に相手を値踏みしながら徐々に子供の社会を作り上げ行くのです。なんとなく思い出しませんか、子供時代の公園や初めての集団生活で、友達を見つけ、いじめられないようにと(もしくはいじめて(^^))送った日々のことを。 そして冷静なビーンの目には、秩序だった大人の社会であるはずのバトルスクールにも、そんなパワーゲームの混沌の渦が見えるのです。この辺は、大人になってなってしまった読者である私にとっても、「そうだよなあ...」という共感のつぶやきがもれてきました。だからこそ余計にあのクライマックスには、スカッとしてしまうのです。 同じストーリーを扱っているだけについ比べたくなってしまうのですが、「ゲーム」が運命の人‐天才エンダーを扱った物語であるならば、「シャドウ」が考える人‐秀才ビーンを扱った物語なのでしょう。天才を理解しながらカリスマを持たず、考えることで勝負せざるをえない秀才達の生き方を扱った。 大人になってしまった読者にもとてもお勧めの一冊です。 −16 「<骨牌使い(フォーチュンテラー)>の鏡」 五代ゆう 富士見書房 (−) Bk1に何やら潔い広告がのってました。良い作品だと確信するが故に、推薦者自らが売れなかった時の買い取り保証をするという悲壮な覚悟。その心意気や善し!ということで買ってあげましたが...そこまでするほどの作品じゃないですね、これ(^^; 小道具とか世界設定はそれなりに凝ってると思います。ただ、残念ながらあっちこっちのファンタシーの継ぎ接ぎといった印象です。最後の壮大なカタストロフィーもエルリックあたりが透けて見えるし。最大の問題はキャラの心の動きが完全に現代人のそれで、全然運命的じゃないですし。 いくら魔法がでてこようと世界の命運がからもうとも、これはファンタシーではなく、凝ったヤングアダルト作品といったところだと思います。 −19 「ファイアストーム」 秋山完 ソノラマ文庫 916 不完全なテラフォーミングにより、人類がやっと生きていける極寒の地となった火星。交易飛行船の搭載機パイロットである少年が出会ったのは、有るはずのない豊かな植物の群れと一人の美少女。その美少女こそ「ラストロケット」伝説にある魔女であった。 テラフォーミングによりようやく人が住めるようなったものの、ドライアイスの雪と風が人を阻む地−火星。その辺の雰囲気が良く出ていてとても良いです。そして幾重にも入り組む「ラストロケット」伝説と美少女マーシャの隠された謎。それらが、ストーリが進むにつれて次々と解き明かされ、そして切ない終末へと物語りはなだれ込んで行く。 「レッドマーズ」なんかよりは、はるかに火星に生きる人々が書けている佳作です(^^) |
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2000 October | |
10月読了分: −15 「聖母の部隊」 酒見賢一 ハルキ文庫 さ11−1 「絶妙のストーリーテリング」。酒見氏の作品を読むたびに思い浮かぶ賛辞ですが、SFを書かせても氏らしい語り口が酒見ワールド作り上げています。 特に表題作「聖母の部隊」は絶品。物語は、「アルジャーノン」を意識させるたどたどしい少年の語り口から始まり、やがて少年達の成長と共に世界の秘密が顕わになってくるというオールドSFお得意のパターンをなぞっています。しかし、少年達の生きる世界が、母親代わりの謎の女性と共にゲリラ戦を行きぬくという、まさにデッド・オア・アライブのシチュエーションのため、緊迫感がストーリーをぐいぐい引っ張って行きます。そして少年達を導く優しく厳しい「お母さん」が、育っていく少年達にとっていつしか一人の女性として映るようになる時、物語は終末を迎えるのです。 酒見氏の乾いた語り口調で綴る、闇の妖しさを秘めた少年の成長物語です。 −14 「神に追われて」 谷川健一 新潮社 「おまえの命をとろうか、狂わせようか」 神に追われて、逃げおおせることができなくなった時に、神に自分の魂をゆずり渡す。 これが南島で神の道に入った女の原則的で典型的な姿である。 (本文より引用) 凄いです...まるっきり荒俣宏のダークホラーが、現実の沖縄を舞台に展開! 神に追い詰められ、理不尽な要求にボロボロにされていく南海の巫女達。自分の幸せを、自分自信の自我すら神に譲り渡し時、彼女達の一つの平安が訪れるのです。しかし、それは神の道具となり、人であることをやめた静けさなのかもしれません。 我々の心の故郷である精霊世界、それが必ずしもユートピアでなく狂気に満ちた世界であることをこの本は告げているのです。 −13 「肩胛骨は翼のなごり」 デイヴィッド・アーモンド 東京創元社 下に酷評した「妖魔をよぶ街」と同じくアメリカンジュブナイルなんですが、こちらは結構当りでした。ファーストフードしか食べない情けない超自然存在のスケリグ、勝気で口の悪い魔法少女ミナ、そしてごく普通の少年である僕が繰り広げるストーリーでありながら(もちろん世界の命運とはまったく関係ない)、これが実に上質なファンタシーの香りがします。子供のころ見た夜の庭というのはそれだけで超自然の気配に満ちていたものですが、そんな夜がまざまざとよみがえってくるようです。子供の視点から見た世界、それがこの作品のようにリアルに書ければ、それはもうそれでファンタシーなのかもしれません。 ただし、表紙の耽美な写真に惑わされていけない期待をしないように。そういうのとは対極にある正統派ジュブナイルです。 −12 「ドラゴン探索号の冒険」 タニス・リー 社会思想社 現代教養文庫 1320 A&F (−) リーお得意のボケ王子が総出演のユーモアジュブナイル。しかし、なんといっても精彩を放っているのが、意地悪魔女のマリーニャ。リー自信の意地悪ぶりが目に浮かぶような(^^;、味のあるキャラです。 |
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2000 September | |
9月読了分: −11 「Faces Under Water・ベヌスの秘録1」 タニス・リー Over Look Press(ハードカバー) 18世紀のベヌス。緩やかな斜陽の光の中、美と退廃を誇る都。 そんな都に耽溺し暮らす青年フリアンは、運河に一つの仮面を見出す。 水面に漂う顔... そんな不吉な気配を漂わせた仮面は、フリアンの隠された運命の始まりだった。 フリアンによって老錬金術師シャーキンのもとに持ちこまれたマスクは、 マジックサークルの中で込められた太古の呪いを表した。 そして、都の流行り歌を作った青年の死がそれと関わりがあることも。 その謎を追うフリアンの前に姿を表すマスクの女、そして闇の力を持つギルド。 謝肉祭のベヌス(ベニス)を舞台に繰り広げられるタニス・リー最新のサスペンスホラーシリーズ! タニス・リー最新シリーズ・ベヌスの秘録シリーズの第一巻「Faces Under Water」の登場です! 今回は前シリーズ「パラディスの秘録」と比較して、サスペンスタッチのダイナミックなストーリー。しかし、そこはリー様、随所に幻想的なシーンが登場し、恐怖と魔術に彩られた壮絶なクライマックスを迎えます。 さて、このベヌスの秘録シリーズのモチーフの一つは錬金術。どこか惑乱の王チャズを思い起こさせる老錬金術師シャーキンが登場し、いい味を出しながら要所、要所でアルケミスト(錬金術師)らしい魔術をふるいます。これがまたまたかっこいい。そうでない時は完全にあっちの世界にいっちゃてるマッドサイエンティストなんですが(^^; そして錬金術と言えば誰でも知ってる「地・火・水・風」の四大元素。今後発行される巻も含めて、この四大元素を順に一つ一つテーマとしていくようです。今回は、水の都ベニス(ベヌス)を舞台にするのにふさわしく「水」がテーマ。初めは水面に沈むマスクから始まり、ベヌス(ベニス)のラグーン、水中宮殿と様々な美しい水のシーンが登場します。 そしてこの作品のイメージカラーは水を表すブルー。リー様の色使いはいつも見事ですが、作品の中でも美しい青が次々と登場します。ベヌスのラグーンを彩るブルーグリーン、黄昏に沈む水路の藍、そして最も青いのは、ヒロイン・エウリディケの瞳の青、蝶のマスクに縁取られたその双の青は、物語の始まりでもあり、終わりでもあったのです。 リー様にしては珍しくミステリー色もありサスペンス風なので、パラディスシリーズと比較して読みやすく原書にトライする価値は十分です。 (ストーリーの分からない原書はちょっとと躊躇されている方。リー様の華麗な文章のイメージをぶち壊すわけにはいかないので、一般向けにはUpせず裏コンテンツとしていますが、私の方で内容を要約したものがあります。もしご興味があればメールをお送り下さい。) −10 「妖魔をよぶ街」 テリー・ブルックス ハヤカワFT 268・269 (−) 現代版モモなんですが、うーんある意味でディズニーランド的寄せ集めのうそ寒さを感じちゃいますね。井辻氏の後書きも歯切れが悪い。どちらかと言えばアメリカンTVドラマシリーズとして見たいストーリです。それであればジュブナイル版「バフィー・恋する十字架」(これもすごいタイトル(^^;)といった感じの面白いシリーズになると思いますが。 −9 「天邑の燎煙」 狩野あざみ 幻冬社文庫 か5−1 紂王、妲己の立場から語られた「封神演義」です。視点の逆転というひねりもあり、狩野氏の語り口調も安定していて読みやすく良い作品なのですが、そこまでに留まってしまった感じですね。いかんせんあまりにも正統歴史小説過ぎて、この分野であれば他にもたくさんの作家がいるだろうと思ってしまいます。「博浪沙異聞」であれほど見事に歴史小説と伝奇小説を融合させた狩野氏ですから、そんな虚実入り組んだ作品を読みたいと思ってしまうのは読者のエゴでしょうか。 |
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2000 August | |
8月読了分:
−8 「ピニェルの振り子」 野尻抱介 ソノラマ文庫 887 「海底二万マイル」やNHK少年SFシリーズ、ジュブナイルの傑作というのは、どかこ切ないそして甘やかな夢にあふれていて、あの当時でしか味わえない独特の世界だったような気がします。この作品「ピニェルの振り子」は、そんなジュブナイルへのノスタルジーを「銀河鉄道の夜」のような詩的なイメージで語った作品です。 何物かによって大英帝国時代から連れ去られた一群の人々。連れ去られた先は、見知らぬ惑星。人々は産業革命当時のテクノロジーで再び文明を築き上げます。そんな中、失われた文明の技術として、星間航行可能にする重力制御エンジンが発見され、人々の前に星星への大航海時代が幕を開けるのです。幾つもの惑星、そこに生きる様々な姿をした生命達。19世紀の地球がそうであった様に、それらを収集し分類する博物学への熱狂が人々に巻き起こります。そんな博物商を生業とするラスコーと、彼に画工として付き従う美しい少女モニカ。彼らは新しい生命を求めて星間船で星星を渡り歩きます。そして今回スポンサーの命で訪れた水の惑星ピニェル、そこで見つけた生命には、惑星ピニェルの驚くべき秘密が隠されていたのです。 ピニェルの昆虫採集人、少年スタンの目を通して語られる物語は、美少女モニカへの憧れや、開かれて行く新しい世界への驚きに満ちていて、オールドジュブナイルの魅力がたっぷりです。 −7 「十二国記シリーズ」 小野不由美 「月の影 影の海」 講談社文庫 お81-1、2 「風の海 迷宮の岸」 講談社文庫 お81-3 「魔性の子」 新潮文庫 お37-1 本編二作を読んだ時は、ちょっと引きましたね。確かに小野氏のストーリーテリングは上手い、だけど、こんなに露骨な逃避願望を全面展開してどうする?という感じで。主人公達があんまり「私はあんたらと違うナイーブな異世界生まれなのよ」との主張を繰り返すもんで、思わず「そーんなにキャラと読者甘やかしてどーする!逃げちゃだめだ!」と叫びそうになること数度。 しかし、「魔性の子」を読んで、私、完全に転びました。あのラストシーン!あの広瀬の無念の叫びのために全ての物語はあったんです。異世界にあこがれながら、そこに届かぬ我が身の歯がゆさ。幻想世界にあこがれる者全ての無念があのラストシーンに込められてます。そしてたぶん、それを理解しながらなおかつ、遠く離れた彼岸に視線を向けるのが、大人の幻想文学愛好家の態度っていうもんでしょう。 ということで、あいかわらずヴィジュアルにそして緻密に作り上げられた十二国の舞台設定は、「屍鬼」でも見せつけた小野氏の独壇場! 流れる様にイメージがあふれ、楽しめること自体は保証付きのシリーズです。 −6 ゲド戦記IV 「帰還」 アーシュラ・K・ルグィン 岩波書店 物語コレクション 第三の書「さいはての島へ」で全てを成し遂げ、いずこかへ消えていったはずの大賢人ゲド。 しかし、力の全てを失い、たどり着いた場所に待っていた女(ひと)は。 老いることを選んだ英雄ゲド、その彼が迎える人生の最後の日々。 ゲド戦記最終章! 英雄ゲド。その衝撃の老いたる日々。紐につながれ引きずりまわされるゲドの姿... 幼いころに読んだゲド戦記。その中でゲドは自らの心の克服を目指す英雄(ヒーロー)でした。 当時はそのヒーローが老い、全ての力を失った姿など想像もできませんでした。しかし、ルグィンはその姿を書き綴ります。まるで外科医のメスのように英雄を切り裂き解体していくのです。英雄としてのエゴを取り除かれ、裸の人となったゲドをルグィンの冷たいカメラは追い続けます。そこには同じように老いを描いた「老人と海」のようなヒロイズムはありません。そして結ばれるはずだったヒロインとの再会、その二人を襲う悪意。無力な老人となったゲドは、その悪意の前になすがままになるしかありません。しかも、ヒロインと共に。ヒーローは地に堕ちたのです。 しかし、新たなる英雄という運命は、ゲドを悪意から救い老いて行く時間を与えました。 ジュブナイルファンタシーとして綴られたゲドが、人として迎える人生の終わりの時。それはかつてファンタシーを綴り、そして社会のリアリティーに目を移していったルグィンが、迎え始めた自分自身の老いを語ったの作品なのかもしれません。 −5 「冥府神(アヌビス)の産声」 北森 鴻 光文社文庫 き12−1 脳死臨調をリードする解剖学の権威吉井教授が殺された。深夜に、しかも閉鎖された公園で。自分を追放した教授の死を探る元医師、相馬研一郎。残されたダイイング・メッセージは一枚の脳波グラフだった。人の死とはなにか、その究極の問いを巡って繰り広げられる陰謀、そして欲望。ハードボイルドな医療ミステリーに秘められらたもう一つのメッセージ。あなたは最後の瞬間にそれを垣間見る。 まるでジグソーパズルののピースの様に本編にちょこちょこと差し挟まれる謎のナレーション。本筋がハードな医療ミステリー風なだけに、結末においてそんなピースが組みあがり、一気にそれまでとは違う絵が描き出された時は、やられたっていう感じにさせてくれました。人の死とは何か?器質死、脳死、ポイント・オブ・ノーリターン...幾つもの医学用語によって組み上げられた論理の世界。だがそのクールな論理の世界の果てに姿をあらわしたのは、死という異世界だった。科学と幻想世界が絶妙に組み合わさった傑作です。 |
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2000 July | |
7月読了分: −4 「半熟マルカ 魔剣修行!」 ディリア・マーシャル・ターナー ハヤカワFT273 (−) 一人称で進められる物語は、語り手である主人公が実はXXだったという反則技が使えるわけで、つぼに嵌るとこれはもう読者がのけぞるような展開をしてくれることがあります。ただ、その落ちを生かすために主人公の情報を絞りすぎると、「こやつ(主人公)って一体なんなわけ???」という疑問符がつくだけの作品になっちゃう可能性もあるわけです。 さてこの作品、井辻さんが訳しているので購入してみたわけですが、面白くないわけではないんです。しかし、訳者自ら言っている様に、ヒロイン・マルカのキャラがなんかつかみきれないので、どこか、ガラス一枚隔てて物語りに接しているようなもどかしさがあります。イラストも、イラストとしてのできはともかくこの作品にはちょっと合わないというか...その上、このタイトル!これでクスリとも笑えない内容っていうのはどんなもんでしょう(^^;。 −3 「震える血」 「喘ぐ血」 アンソロジー 祥伝社文庫 ん I-16 I-17 (−) みんな好きだなあ(^^; まあ、昔からホラーにエロティックなシーンはお約束でしたからね。ホラー映画はだいたいその手のシーンから入って、そんな不埒なことをする若いカップルが惨殺されるというのがお決まりだし、古くは吸血鬼の行為もMake Loveのメタファーだと言われてきたわけですから(そう考えると呼ばれるまで家には入れない吸血鬼っていうのも怖いというより...)。 (喘ぐ血) 「浴槽」 リチャード・レイモン スプラッターコメディー、というかこのお肉ががりがりという即物的な落ちはやはりアメリカンですね。でも笑えます。 「淫夢の女」 カール・エドワード・ワーグナー カメラの視線というのはある意味ではまさぐる手を表すという解釈があります。そんなマゾヒスティックな快楽がモチーフとなり、それがミステリー調のハードな構成で生かされている佳作です。 (震える血) 「赤い光」 デイヴィット・J・ショウ これもカメラの視線が扱われてはいても、それが二人を結ぶ絆であったというセンチメンタルなラブストーリーになってます。このおセンチさがなかなかツボに嵌ってます。 −2 「古事記呪殺変」 片桐樹童 歴史群像新書 (−) 歴史群像大賞受賞作。この賞では「ガリア戦記」が実に良く書けていたので手に取った一冊。日本古代史を舞台とした歴史ファンタシーで私のもろ好みの設定なんですが...ちょっと印象が薄いですねえ。読んでる時はそれなりに面白く読んでいたんですが。つまるところ、歴史小説としての部分と伝奇小説の部分とのかみ合いが悪いんでしょうね。ストーリーやキャラ立ての中で、なぜこやつが超自然の能力を持つのかの説得力がないということなのかな(矛盾があるという意味ではない)。 それに日本古代を舞台にしていて「狂戦士(バーサーカー)」はないと思うぞ(^^;。 −1 「フリークス」 綾辻行人 光文社文庫 あ20-3 入院中の母を尋ねる浪人生、しかしその母から語られる真実は彼の日常を打ち崩し、記憶の底に沈められた悪夢を次々と呼び起こしていく(「夢魔の手」)。猟奇の世界のなかで、作者があなたに仕掛ける幾つものトリック、そして待ちうける最後の結末とは!表題作「フリークス」を含む全三篇の中篇集。 猟奇系のゲームの好きなあなた、大変お勧めです。とにかく謎の答えがさらなる謎への扉を開き、最後の結末までどんでん返しの連続。まるで逃れられない悪夢の中を逃げ惑うような感覚が味わえる作品です。 |