Faces Under Water (The Seceret Books of Venus Book I / Overlook Press)
読後感想: エウリディケ−闇と血の人形愛 

 長い、長い物語を読み終わりました。
 英語への兆戦ということで、エウリディケは何物なのか、それは各章ごとにまるで万華鏡の様にそのイメージを
変えていきました。それでも最後までこうして読みおわって見ると、これは新たに書きなおされたフェラジンの物語
のような気がします。シヴェシュのためにアズュラーンによって花より造り出され、カジールによって命と愛を得た
女。結局エウリディケ本人は、そんなヒロインだったのかもしれません。

 しかし、この話の底を流れるのがそんな純粋な愛のおとぎ噺であればあるほど、それが血と肉欲によって彩られ
た時、妖しい人形愛の香りがするのは何故でしょう。人形愛とは人形という意思を持たぬ物から、自らの愛する者
を作り上げる愛の形、創造者はその愛の全てを被造物である「人形」に注ぎ込んで行きます。自らの空白を埋め
るべく創造した者が、創造者を完璧に満たすのはある意味で当たり前のこと。
 アズュラーンが、ゾラヤースに一時魅入られたように。
 ある意味では人形とも言えるエウリディケ。それを愛するフリアンにふとそんな闇を見てしまうのは、うがちすぎ
た見方でしょうか。だからこそ、フリアンはこの愛に恐怖と嫌悪を覚えていたのではとも考えてしまいます。

 しかし、エウリディケもフリアンと同じように自らの生に大きな空白を持っていました。そして彼女の意思は眠って
はいても死んではいなかったのです。だから、彼女はフリアンの愛によって造りかえられるれる時、創造者フリア
ンをも作り変えてしまいます。この物語のモチーフである水のように、愛は二人を溶かし混ぜ合わせ、二人の空白
は満たされたのです。

 そう、死が二人を分かつまで。
 それを告げたシャーキンに、エウリディケは奇しくもフェラジンと同じ意思を語ります。

 「カジールが死んだその瞬間に、私をも死なせてくださいまし。」

 「その時は私も死ぬでしょう。」

 互いを完璧に満たした愛は、お互いにとって命そのものとなるのかもしれません。しかし、妖魔であれ、死神とい
う運命であれ、その完璧さにしばし手を休めるのかも。この作品の最後のフレーズはこうです。

 But now, her eyes on his face, and as he looked at her, she saw the sea return, the waters of great
oceans, and cover him with truth and light, with strength and happiness and life.
 And with eternal life.

 このフレーズは、おとぎ噺の作者が死と時を封印する魔法の言葉、そのリー流の表現なのだと読みました。
 そう、「王子様とお姫様は末永く幸せに暮らしました...」という。
 この物語は妖しい色彩に満ちた大人のためのおとぎ噺なのかもしれません。

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