銀色の恋人(ハヤカワ文庫SF725)
書評: ファンタシーと物語

我々の心はどこにあるのでしょう。幾兆もの脳の細胞のインパルスの中でしょうか。もしそうなら、エレクトロニクスのインパルスを体に収めたロボットが心を持つのは不可能なのでしょうか。

_ シルヴァー・イオナイズド・自動制御・人間型・エレクトロニックロボット:「シルヴァー」。彼に恋した少女ジェーンは彼を愛し続けることで、シルヴァーが彼女を愛せることを証明してしまいます。そう、すなわち彼に心があることを、、、

_ アンドロイド、近未来都市といった設定にもかかわらず、この作品には物語の魔法が満ち満ちています。「アヴァロンの霧」とは裏返しの意味でこの作品は完璧にファンタシーなのです。ヒロイン・ジェーンはシルヴァーへの愛の物語を信じきっています。時に見せる彼のロボットとしての反応に、真剣に怒り残酷に彼を傷つけるほどに。そこには理性による妥協はありません。しかしも、仮にももない、この物語(運命)に対する圧倒的ピュアさこそがファンタシーの本質です。

_ また、この物語は少女ジェーンの成長の物語でもあります。シルヴァーが愛することをおぼえ人間になっていくにつれて、少女ジェーンも他人を愛することをおぼえて大人になっていきます。その事は、巻頭にジェーンが母親の可愛がられたお人形として、まったく未発達の自我をもって登場することに予告されています。

_ 未発達の自我で恋をしたジェーンの愛は、最初ナルチシズム(自己愛)の裏返しにすぎません。その事がナルチシズムの変形である人形愛と重なって妖しく描かれています。自分にとっては真摯な愛でも、ナルチシズムから来る愛は、自分と異なる愛の形を許しません。何故なら他者は他者でなく自分の影にすぎないのですから。そんな子どもの愛は非常に残酷なもので、最初ジェーンは、シルヴァーのロボットとして反応に対して激しくシルヴァーを罵倒し、傷つけようとします。その度にシルヴァーは言います。「私をありのまま受け入れて下さい。」そう、自分の思い通りにならない他者の心の存在を受け入れること、これこそが自我を成長させ、真の統一した自己になる第一歩なのです。 
_ 逆に奉仕するものとして生まれたシルヴァーには、このナルチシズムがすっぽりと欠け落ちています。このナルチシズムがないかぎり、悲しみに血を流し、恐怖をおぼえ、溢れる喜びを知る真の心を手に入れることができません。なぜなら、自己愛がないかぎり自分のために生きることができないのですから。

_ 二人はお互いの心の欠けた部分同士であったのです。

_ そして、ジェーンがシルヴァーのありのままを受け入れて愛した時、シルヴァーも自分の中で生き生きとジェーンを愛する自分を発見するのです。そうした愛の絆を持った二人は、さらに外の世界の人間へと心を開いていきます。

_ この上なく幸せな二人...

_ そして訪れる悲劇...

_ もうこの先は申しますまい。その悲劇の果てに見る新たな奇跡、このラストシーンが名作「アルジャーノンに花束を」に匹敵するものであることは保証します。

_ 読み取ろうとすれば、この物語は幾つものメタファーで満ちています。シルヴァーは、統一した自我を持たずばらばらの感情(機能)を持って生まれてくる人間の象徴であり、また創作者が命を吹き込もうとする創造物のメタファーでもあります。しかし、そうしたメタファーに還元されることをこばむ強烈な物語がこの作品にはあります。

_ 様々な狂気に満ちていても、これはシルヴァーとジェーンの稀有のラブストーリーなのです。

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