びば 家族


◆ 2001/05/05(土) ただいま
今実家から帰ってきました。

片道自転車で4時間。

電車で行くと、560円かかるので、時給140円ですね。

いい仕事です、はい。

うちの家族は、両親と兄の4人家族です。

以下 家族紹介

うちの兄。
家に帰るたびにゲーム機が一台ずつ増えるのは何故?

ソフトでなくて、ハードが増えるのが凄いやね。参りました。

うちのオトン。
久しぶりに帰って来たら、無職の痛風持ちになってました。

いや、マジで大丈夫でしょうか?

うちのオカンは無敵です。

月〜金まで喫茶店で働いて、土日は競馬場で働いています。

さらにテニスとバレーボールまでしてます。

休みなんてほとんどありません。すげぇ。。。

さて、久しぶりに風呂に浸かれるってなことでウキウキしてました。はい。

風呂場の蓋(木で出来てます)を見てびっくり。

きのこ生えてます。(いや、マジで)

さっそくオカンに進言

「きのこ生えてるんやから、変えろや。母の日に買ったるからさ。」

オカンはこう答えましたとさ。

「きのこぐらい取れば大丈夫やから、食べれるモンくれ。」

参りました。

こんな人から、びりっちは産まれたんですね。
○ 2001/06/17(日) 父の日

○ 2001/07/21(土) 父親

以前この日記で無職と言っていた父親が職に付きました。

去年、勤めていた会社が倒産した後、仲間何人かで退職金を元手に

お弁当屋をはじめたのですが、痛風にかかってしまいこれもやむなく退職。

50歳という年齢で無職になっていたのですが、職にありつくことが出来たみたいです。

しかしながら、貰ってくる給料は一般的な高卒の初任給よりも安いです。

50になって無職になり、退職金も失って、高卒の初任給よりも安い賃金で働くはめになった男の気持ちというのは

どういうものなのでしょう?

正直、同じような人生は歩みたくないと思いますし、哀れなものだと思います。




しかしながら、この男は2人の息子を育て上げ、その2人の息子は共に安定した給料を貰うようになりました。

この男は2人の息子に養ってもらおうとはこれっぽっちも考えていないのです。

例え、痛風という病気にかかろうとも、高卒よりも安い賃金で働くはめになろうとも、

自分の力で行ける所まで生きていくという信念があるんです。


私はこの男を心から尊敬しています。



エロビデヲの本数が増えてるところなんて特に。<尊敬

びりっち父50歳、現役です。

ああ、せっかく良い話だったのに。。。
○ 2001/07/22(日) 母親

昨日の日記の男を支えてる働き者の女の話です。

私の母は平日、喫茶店で働いていて、土日は某競馬場の食堂で働いています。

もちろん、家事も毎日欠かさずやっている。

それだけでなく、晩御飯を作ったあとママさんバレーに行ったり、

たまに休みを貰ってテニスをやったりと常に体を動かしている尊敬すべき母親である。


しかし不況の波は母親にまで仕事を失わせてしまいました。

喫茶店が閉められたのです。

競馬場にも不況の波は無視できないらしく、日替わりで休みを取って欲しいといわれたようです。


だが、この母親のバイタリティはこんなことでは衰える事はありませんでした。

すぐに新しい仕事を得ていました。

50近くのおばちゃんが仕事を得る事はたやすい事ではないと思います。

このバイタリティの固まりのような母は私の自慢です。


そんな母親が法事の後にこう言いました。


「これだけ(法事一時間)で、お坊さんって●万円取っていくねんで。

坊主丸儲けちゅうやつやな。



・・・締まらねぇ、締まらねぇよ、おっかさん。(涙)