広角的ナルシスト概論

〜 予告された儚き終焉へのシナリオ 〜

99/9月

 

 僕はよくナルシストと言われる。多分そう見えるのだろうという見当は付くし、別に嫌でもなければ否定もしないので、他人が見れば自他共に認めるナルシストということになるのだろう。

Narcissist : 名詞 :自己陶酔者。うぬぼれの強い人。

Narcissism : 名詞 :うぬぼれ。自己陶酔症。備考:自分の美しさに恋して死んだ、ギリシア神話の青年ナルキッソスからできた言葉。

辞典とは時として無情な解釈を歯に衣着せずに言ってくれるものである。まあ解釈というかそう決まっていることなのであろうからこれを無情と感じるのならそう受け取る側に誤解があるということになる。

この言葉、国語辞典に載っているものを正確な解釈とするのなら、そりゃあ間違いなく日本語では「けなし」「皮肉」いわゆる誹謗中傷の部類に入る言葉であり、さらに外国で I'm narcissist. とか言ってみた日には、その瞬間相手のカテゴリの中においてその人は、頭おかしい人の部類に入ることになってしまうではないか。ナルシスト(正確にはナルシシスト)とは、そんな単純なものであるはずがない。もっと深い、人間の真相心理を深く鋭く抉りつつ見事に象徴し、スピリチュアルステータスを表すとても大きくて重たいはずの言葉だ。

 そんな言葉を掘り下げて、勝手に解説しようというのが今回のテーマ。

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 まず、ほぼ全ての人間はどこかしら自己陶酔症である。「私は違う」と主張するヒトは、この世の中で、本当に全て、いかなる部分においても自分こそが最低の人間であると心から思っているというのか。そうなら失礼。そうでなければあなたはまぎれもなくナルシストである。まあ仮に「そうだ」という人が、少なくとも今の日本にいたとしたら、僕の中でそのヒトは完全に偽善者の部類に入る。

 世の中のナルシストには2種類ある。仮にそれを真性ナルシストと仮性ナルシストとして、全ナルシスト中、ほぼ全ての割合を占めるのが仮性ナルシスト。国語辞典記載の解釈は、わずかな例外である「真性ナルシスト」のことだけを指しているものとなる。まあそういう人は、誰も止めないので、勝手に美しさに恋して死んでくれ。まあそれはそれとして、要するに僕は、誰でもかれでも仮性ナルシストであると暴言を言い放っていることになるわけだが、もちろんそこにはかなり幅広いレベルが存在する。入門したての初期症状ナルシストから、美しさに恋して死ぬ寸前のパワフル&ワンダフルな逸材まで、それはそれは豊富なことだろう。

 しかし、(あくまで「仮性ナルシスト」の中 では)よりハイレベルなナルシストであればあるほど、それであるが所以のプライドや自信がいざ突き崩された時には、もろく儚い弱者、小さく醜き敗者となり、深い傷を負い、立ち直れない。実は、ナルシシズムとは、それであればあるほど人間の弱さを象徴している現象である。

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 動物は、自分の弱点を覆い隠すために様々な方法を持っている。周囲に紛れるため己の姿形や色を変え、羽に自らのそれよりもはるかに大きな「眼」を背負い、またどんなものの侵入も許さない殻を持つ。全て自分の弱さを他に知られないための術だ。そしてそんな中で、最も多くの動物が用いる方法が「威嚇」、言い換えれば「自分を誇張し強くみせること」である。そう、僕が言いたいのは、ナルシシズムとは、知的生命体である人間の、同じく知的生命体である人間に対する「高度な威嚇」、即ち 「自分の弱点を覆い隠す術」 そのものだということだ。

 人間は幼少の頃、自分一人では到底できもしないことをやろうとし、手伝おうとする大人に対し「ひとりでできる!」と助力を拒み、その後見かねた大人に「できるわけないだろ!」と突っ込まれると、不思議なことになぜか「悔しくて泣きだす」のだ。なぜ泣きだすのか?どうして悔しいのか。そして大人がやってくれると、なぜ 「なんだよ!ひとりでできたのに!」と嘯くのか?

 できないことなど百も承知だ。ただ、できないことを周囲に知られたくないだけだ。自分が出来ない、出来なかったことを認めたくない。自分を大きく見せたい。自分が弱いことに気付かれたくない!!

 プライド・自信が打ち崩されるとき、人はとてつもなく大きなダメージを負う。それが怖い。できることなら避けたい。だからより大きな自信を持つ。攻撃されても、その裏付けのない自信を盾に自分の中へ逃げ込む。それを繰り返しているうちにもう戻れなくなる。もう子供ではない。膨らみつづける。後に引けない。でも自信は大きければ大きいほどに、崩されたときに落ちる地は深い。最低の悪循環だ。

 ところが、大概の場合その膨張し続ける自信は、いつか必ず崩されるときが来る。「完全な人間などいない。」そうである以上、その膨らんでいく自信とプライドは、必ずどこかで現状の自分との間に大いなる「矛盾」を生み出してしまうからだ。そこを論理的に他人に突かれたとき、それが、その日が、その人の人生の中で恐らく何度とない屈辱と挫折を味わう記念すべき日となる。なぜなら、その矛盾に、最初からもっともよく気付いているのは必ず本人であり、そうである以上自信と共にパンパンに膨れ上がったプライドが邪魔して、もう、自分の中へ逃げることはできない。

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 僕はこのように、仮性ナルシストを地に落とす方法を知っている。ということは、僕自身、そのような記念日を経験し、地に落とされたことがある。でも、それはよく考えれば、人間心理として当たり前のことであり、初期症状のうちに打ち崩されればダメージは軽くてすむが、しかしじっくり育てて粉砕するとなると、その人の人生において、かけがえのないほど、大きな影響を与えられる。これで地に落ちないのは、それは人間として特異な、何を言っても聞こえない「真性ナルシスト」となる。この場合、美しさに恋して死ぬのを待っているのが一番早い。

 でも仮性ナルシストも悪いことばかりではない。絶対に成長をしない真性ナルシストに対して、ハイレベルな仮性ナルシストは実は驚くほど、「成長する」ことが多い。何事にも全てに自信がない人間は、当然自分は何もできるわけないと思っているのだろうからまず成長など無理だ。ところが自分はまだ成長できるという貪欲さがあり、さらに裏付けのない自信を口にする仮性ナルシストは、まさに自分を追い込み、そしてよりハイクオリティな領域を常に求めざるを得ない状況に、自ら身を投げ出しているということになる。重要なことは、ローレベルな仮性ナルシストの場合は大体ただの「ホラ吹き」で終わるのだが、それを許さないプライドも持っているということ。前出の子供の例でも分かるように、言ったからにはとにかく「やってみる」「試みてみる」という意識を持っているのが、このハイレベル仮性ナルシストであろう。そんな人の成長は速い。

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 ナルシストは、弱い。弱いから、未熟だから、ナルシストになるしかない。出会った人がそうであるなら、僕も含めて、それはその人の最大の弱点だ。

 

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