永遠の炎



それはこの心に在り続ける

消えることのない
永遠の炎


「・・・・・・」
 オスカーは自らの手を見つめた。
 厳しい瞳は、やがて苦しげに歪む。
「・・・・・・クッ・・・!」
 ぎゅっと拳を握りしめ、そのまま机に拳を叩きつけた。
 二度、三度。
 鈍い音が、人影のない炎の守護聖の執務室に響く。
 そしてオスカーは額を覆った。机に押しつけられている拳は、小さく震えている。
 ―アンジェリーク・・・!!
 オスカーは、呼ばなくなって久しい名を心の内で叫んだ。
 金の髪の少女をそう呼んでいたのはずっと昔。彼女が女王候補でなくなったその時から、ただ『陛下』と・・・。
 愛していた。
 そしてまた、彼女もオスカーを愛してくれていた。
 けれど宇宙は彼女を欲し、彼女がその切なる求めを拒めるはずもなく・・・。彼女は女王となった。
 互いにとってそれは辛かったが、だがそれだけではなかった。
 女王と守護聖。恋愛は許されなかったが、それでも交わしあう互いの瞳に、変わらぬ想いが見えていた。
 不思議だ、とオスカーは思う。
 アンジェリークを愛する前、自分はずいぶんと多くの恋愛をしてきたはずだった。
 それなのに。
 なぜこの想いだけが、こうも永く自分を縛るのか。
 これだけの時間が過ぎて、それでも、ただアンジェリークだけを求めるのか。
 なぜただ一人だけが、こんなにも愛しい。
 オスカーは立ち上がった。窓からは淡い月光が降り注いでいる。オスカーは静かに執務室を見回し、そして部屋を出た。
 




 オスカーは建物の裏にまわった。
 小さな虫の音が、空気を震わせている。それ以外に音はなく、夜は女王の力に守られて優しく穏やかだった。
 オスカーは足を止め、建物を見上げた。
 そこは女王の居室だった。窓は暗く、部屋の主人が眠りについていることが分かる。
 オスカーの胸は痛んだ。
 愛している。
 愛している、アンジェリーク。
 そう、今叫べるのなら、どんなにいいだろう。
 求めて得られるのなら、どんなことでもする。
 けれど。
「・・・すまない・・・」
 『オスカー様』
 そう、即位式の前の恋人の言葉が甦る。
 『待っていて下さい。・・・私が女王でなく、普通の女の子に戻れる日を』
 その時こそ、ただの恋人同士に。
 そう言って泣きながら微笑んだ天使。
「すまない、お嬢ちゃん・・・」
 アンジェリーク。
 約束は守れない。
「俺は、待てない・・・・・・!」
 尽きようとしていた。
 オスカーの、炎の守護聖としての力が。
 どれだけつなぎとめようとしても、身の内から力が消えていくのが分かる。
 それはアンジェリークとの永遠の別離を意味していた。
 そしてその三日後。
 新しい炎の守護聖は選出され、オスカーは交代の期間に入った。




 光、闇、地、水、夢。
 アンジェリークが女王の間、守護聖は交代した。彼らの在位が短かったのではなく、女王アンジェリークの在位が長いのだ。しかもその力に今だ陰りはなく、歴代女王の内でも希有な尽きぬ力を身に持っていた。
 そして、炎の守護聖の交代。
 アンジェリークは目の前に跪く男を見た。
 足が震える。
 自分がちゃんと立っていられるのが不思議だった。
 力よ、消えないで。
 そう泣きながら願った。オスカーの力に陰りがではじめた時から。
 宇宙全てを愛し、その幸福を願わなくてはならない自分が。
 ただ、運命よあの方の力を奪わないで、と。
 狂おしいほどに祈った。
 天候さえも自由に動かせる自分の力はけれど、彼の力をとどめることはできなかった。
 居並ぶ守護聖の瞳が、動かない女王を訝しげに見る。
 風と鋼と緑の守護聖だけは、案じる目をアンジェリークとオスカーに向けていた。
「陛下」
 女王補佐官のロザリアが、アンジェリークを小さな声で促す。アンジェリークははっとすると、ぎこちなく頷いた。
「・・・炎の守護聖、オスカー」
 震える声を押さえる。泣いてはいけない。必死で、アンジェリークは平静を保とうとした。
「はっ」
 短く応え、オスカーは顔を上げる。
 二人の瞳が交わる。
「・・・今日、本日を、もって・・・」
 周りの空気に押し出されるように、アンジェリークの唇から言葉が流れる。
「その、任を」
 嫌。
 嫌。
「とく」
 嫌だ・・・!
 アンジェリークは泣きわめきたかった。しかしそれは許されないこと。
「・・・・・・今まで、ご苦労だった」
 定められた台詞。
 アンジェリークの前で、彼女がずっと愛していた男は頭を下げた。
 この瞬間、男は普通の人間に戻った。
 アンジェリークは拳を握りしめた。
 泣いてはダメ!
 泣いちゃ、ダメよ!!
 儀式は進む。オスカーに続いて、新しい炎の守護聖が女王に忠誠を述べ、女王は彼を守護聖に任じた。
 アンジェリークにはもう、自分が何を言っているのか分からなかった。ただ、記憶した台詞を口にするだけ。
 短い儀式は終わる。
 最初に元炎の守護聖のオスカーがアンジェリークに一礼し、広間を去って行った。
 遠ざかる、背中。
 アンジェリークは震えた。
 ロザリアが口早に、閉会を言い渡し、半ば強引に守護聖たちを広間から退出させる。
 最後の守護聖が退出して扉が閉められた後、ロザリアはアンジェリークを振り返った。
「・・・陛下」
 アンジェリークが我慢できたのはそこまでだった。
 その場に泣きくずれてしまう。
 ずっと好きだった。ずっと愛していた。
 女王候補の時から。
 『お嬢ちゃん』と呼ばれていた時から。
 あの強さも優しさも、炎そのものの熱さも。全部に、恋していた。
「・・・オスカー様・・・!」
「・・・アンジェリーク・・・」
 ロザリアはそっとアンジェリークの肩を抱きしめた。




 守護聖を辞した以上、数日のうちにここを去らなくてはならない。
 もちろん申請すればとどまることもできる。けれど、動きだした時間は止まらない。
 守護聖たちや女王とは、もはや過ぎる時間が違うのだ。
 オスカーは息をついた。
 湖の水面は静かだった。だが今はそれもオスカーの心を和ませてはくれない。
「お嬢ちゃん・・・アンジェリーク・・・」
 最後に見た、顔。
 泣きそうな瞳をしていた。
 がさり、と茂みが揺れる。オスカーは振り返った。
「こんな所に呼び出して、何の用―」
 その言葉は途切れる。
 現れた娘も、オスカーに驚いた顔をしていた。
「オスカー様・・・!」
「アンジェ・・・いえ、陛下」
 オスカーはそう言い直す。
「どうしてこのような所に?」
「私・・・ロザリアに呼ばれて。オスカーさ・・・オスカーは?」
「俺もです」
 ロザリアから話があるからと、呼び出されたのだ。
 オスカーは静かに笑んだ。
「ロザリアもロザリアですが、貴女もですよ、陛下。いくらここは地上より安全とはいえ、お一人で出歩かれるなど・・・」
「どうして笑えるの!?」
 耐えきれなくなったように、アンジェリークは叫んだ。
「もう会えなくなるのに! オスカー様は、平気なの!?」
 涙が、零れる。
 アンジェリークを、オスカーは抱きしめた。
「平気なわけないだろ、お嬢ちゃん」
「ウソですっ。私はこんなに、辛いのに! オスカー様が好きなのに・・・!!」
「アンジェリーク・・・」
 オスカーは彼女を抱きしめる腕に力を込めた。
 残酷なことを言う、と思う。こんなふうに想いをぶつけられたら、はどめがきかなくなりそうだった。
 このまま、アンジェリークを連れて逃げたくなる。
「俺も、愛している」
 そうささやき、離したがらない自分の腕をオスカーは意志の力でといた。
 このまま彼女を連れて逃げれば、世界は不幸になる。この心優しい娘が、それで幸福になれるはずがなかった。
「笑ってくれ、俺のアンジェ。最後に見る顔が、泣き顔だとは悲しいだろ?」
「オスカー様・・・」
「笑ってくれ、アンジェリーク」
「・・・・・・はい」
 にこり、とアンジェリークは微笑んだ。オスカーは優しく瞳を細める。
「ああ、やはり、笑顔が一番いい。どんな花より綺麗だ」
「・・・・・・」
 アンジェリークの微笑みはだが、すぐにくずれた。オスカーの胸に抱きつく。
「―やっぱり、嫌です! 離れたくない・・・!!」
 嗚咽に、肩が震える。
 オスカーは彼女のその肩に腕をのばした。
「アンジェ・・・」
 その時だった。
 こほん。
 咳払いが聞こえた。
 それは、二度、三度と繰り返される。
 泣き顔のまま、アンジェリークはオスカーの胸から顔を上げた。オスカーも咳払いの聞こえた方を見る。
 そこに、ロザリアが立っていた。
「ここにお呼びしたのが誰か、お忘れではありませんこと?」
「ご、ごめんなさい」
 アンジェリークはあせったように、オスカーから離れる。オスカーはロザリアを見た。
「それで、何の用件だったのですか補佐官?」
「陛下は貴方も知ってるとおり、時々お一人で出歩かれて困っています」
「ごめんなさい・・・」
 思い当たるふしの多いアンジェリークは、小さくなる。このことについてはオスカーもアンジェリークをフォローできなかった。
「そこで、守護聖がたと協議の結果」
 ロザリアはそこで一度言葉を切り、そして続けた。
「陛下に一人、有能な護衛官をつけることに決まりました」
「え?」
 アンジェリークは話についていけない。ロザリアは彼女を無視して、絶句しているオスカーの前に立った。
「元炎の守護聖オスカー。貴方を、女王陛下の護衛官に任命します」
「・・・・・・。謹んで承ります」
 オスカーは軽く、膝を折る。ロザリアは呆然としているアンジェリークを振り返った。
 にっこりと微笑む。
「陛下も、よろしいですわね?」
「あ、あの、それって・・・」
「二、三日中に、正式な儀式を執り行います。その時に、オスカーの時は再び止められるでしょう。任期は陛下がその座を下りられるまでということになりますわ」
「ロザリア!」
 やっと理解したアンジェリークの顔が、信じられない喜びに上気した。ロザリアに抱きつく。
「ロザリア、ありがとう!!」
「どういたしまして」
 全く世話がやけるんだから。そう続けかねない口調で言ってから、ロザリアは離れたアンジェリークとオスカーを見た。
「わたくしは先に失礼しますわ」
 ロザリアはそして踵を返した。そして、「ああ、それから」とアンジェリークたちを少しだけ振り向いた。
「女王と守護聖には禁じられていますが、あいにく新しくできた護衛官にその規則はありません。さすがに結婚というわけにはまいりませんが、交際ぐらいなら結構ですわ」
「ロザリア・・・!」
 驚くアンジェリークにロザリアは軽くウインクし、そして今度こそそこから去って行った。
「・・・こんなことって・・・」
「いいんじゃないか? 俺は嬉しい」
 後ろから、オスカーはアンジェリークを抱きしめる。
 失ってしまう。そう思ったものが、今はこの腕に。
「それとも、炎の守護聖でなければ嫌か?」
 思ってもいない事を笑いつつ言う。アンジェリークはさすがにムッとしたようにオスカーに向き直った。
「そんなわけないでしょう?」
「だろう? 持つべきものは親友、だな」
「・・・はい」
 アンジェリークは、輝くような笑顔を浮かべた。
 そして、少しはにかむ。
「アンジェ?」
「でも、たとえ守護聖でなくても。私にはオスカー様に炎の力が見えます。強くて、綺麗で、目が離せないくらい」
「惹かれる、だろう?」
「もう、オスカー様ったら」
 くす、と笑うアンジェリークを、オスカーは抱きしめた。
「その炎を燃やし続けるのはアンジェだ」
「・・・・・・大好き。これからも、ずっと、オスカー様だけが好きです・・・」
「分かってる」
「もうっ!」
 ぽか、とアンジェリークはオスカーの背中を叩く。
 アンジェリークの耳元で、オスカーはクスリ、と続けた。
「俺も同じだからだぜ、お嬢ちゃん」
「・・・。お嬢ちゃんじゃありませんっ」
 幸せな恋人同士は、柔らかな日差しのなかでいつまでも戯れていた。


 END