Calling V | |
オスカーは鋭く舌打ちした。 ここは・・・狭間、か。 身体に食い込むような不快感に、オスカーは眉根を寄せる。 アンジェリークがいる場所と全く別の場所に飛ばされなかっただけ幸運だったとは、とても思えなかった。 サクリアを失った・・・その守護力を持たないオスカーには、この空間の狭間に長くは耐えられない。あと数呼吸のうちに、このうねる空間はオスカーの心臓を止めるに違いなかった。 アンジェリーク! 彼女を救えた後ならばそれもいいが、おそらく危険にさらされているだろうアンジェリークを置いてこんな所で死ぬわけにはいかない。 だが彼の意志に反して、苛立ちに握りしめられた拳は力なくたれた。 アンジェリーク。 どこにいる? アンジェリークはハッと顔を上げた。 オスカー様? たしかに、彼の声が聞こえた気がした。 「・・・そんなはず、ないのに・・・」 パラ、と小さな石くずがアンジェリークの足元に転がって来る。 アンジェリークににじり寄ろうとする奇怪な魔物の足に蹴られたのだろう。 せめてこの足が動けば、と思う。 どれか一体に体当たりして、囲みを抜ける事もできるかもしれないのに。 アンジェリークは目を反らしたい本能をねじ伏せ、魔物を見る。 恐ろしい姿ではあるが、角や剣のような鋭利なものはない。 これなら、なんとか必死で抵抗すれば助かるかもしれない。 願望に等しい推測だが、アンジェリークはぎゅっと拳を握りしめた。 アンジェリークのかたく閉ざした唇はかすかに震えていた。 あきらめない。 絶対にあきらめない。 オスカー様。 アンジェリークの眼前の魔物と距離が近くなる。 目を反らしては抵抗できない。 アンジェリークは反射的に目を閉ざそうとする自分を叱咤し、振り上げられる魔物の腕をじっと見た。 オスカー様、私に、強さを。 「オスカー様・・・!」 魔物の腕が振り下ろされる。アンジェリークは地面を転がってそれを避けた。 ビシッと地面が割れる。 アンジェリークの背中を、冷たいものが伝った。 アンジェリーク! 「オスカー様!?」 はじかれたようにアンジェリークは応える。 しかし恋人の姿はなかった。 けれど幻聴などではないと、アンジェリークは分かる。 感じる。 その時、ひゅっと風の鳴る音がした。アンジェリークは反射的に地を転がる。 先ほどまでいた場所に、魔物の腕がめり込んでいた。 アンジェリークはほっと息をつく。だが、手に何かを感じて顔を向けた。 悲鳴を呑み込む。 彼女の手に触れていたのは、別の魔物の足だった。 アンジェリークはばっと手を引いた。 すでに逃げ場はなかった。 アンジェリークの脳裏に、オスカーの姿が浮かぶ。 力強い笑み。鮮やかなアイスブルーの瞳。 「オスカー様!」 せまる魔物に、アンジェリークはぎゅっと目を閉ざすと身をすくめた。 「オスカー様っ、オスカー様!!」 「ああ」 確かに間近で応える声に、アンジェリークは目を開けた。 そこに在るのは、求めた人の姿だった。 オスカー様。 強いその呼び声に、オスカーはハッとする。 「アンジェリーク?」 オスカー様・・・! 再び聞こえたそれは、泣きそうな声だった。 オスカーはややもすれば途切れそうな意識を叱咤する。 彼女が自分を求めている。 「どこだ、アンジェ・・・!」 先ほど呼ばれた時、一瞬だがアンジェリークの気配をつかみかけた気がした。 「俺を呼べ!」 オスカーは狂おしげに叫ぶ。 俺を呼べ、アンジェリーク。 もう一度。 「アンジェ!!」 その時。 オスカー様! 切なる叫びが、名を呼ぶ声が、オスカーに届いた。 瞬間。 オスカーの身は空間を飛んでいた。 突然、視界が開ける。 今まさに、魔物がアンジェリークに襲いかかろうとしていた。 「オスカー様っ」 アンジェリークはぎゅっと目を閉ざすと身をすくめた。 オスカーはためらわずその魔物の上に着地する。剣を抜くと足元の魔物に突き立てた。 「オスカー様!!」 一心に自分の名を呼び続ける恋人に、オスカーは優しい瞳を向ける。 そして、彼女に応えた。 「ああ」 アンジェリークは驚いたように顔を上げた。そして、信じられないような目でオスカーを見上げる。 「ど・・・して・・・」 かすれるアンジェリークの言葉に、オスカーはフッと笑んだ。 「俺を呼んだろ?」 オスカーはそしてアンジェリークの傍らに立つと、軽く彼女の肩に触れてから周りの魔物を見回した。 「オスカー様・・・」 アンジェリークはほっとオスカーを見上げた。気が緩んだのか、涙が込み上げる。 オスカーは魔物たちから目を離さないまま、言った。 「おっと、気持ちは分かるが、ラブシーンは後だぜお嬢ちゃん」 「オスカー様っ」 真っ赤になってアンジェリークは怒鳴る。まったく、こんな時に何を言い出すのか。 そんなアンジェリークに少し笑って、オスカーはマントの留め金を素早く外した。 マントをふわり、とアンジェリークの上に落とす。 「オスカー様?」 「それを被っていろ、アンジェリーク」 「え?」 返り血が飛ぶ。だが、それは答えずにオスカーは重ねて言った。 「それから目を瞑ってるんだ。―お嬢ちゃん向きじゃないからな。できれば、耳もふさいでいたほうがいい」 「オスカー様」 「こんな中でじっと目を閉じているのは怖いかもしれないが、俺を信じてくれ。俺がいいと言うまで、絶対に目を開けないこと。―いいな?」 「はい」 アンジェリークの声に迷いはない。 オスカーは頷いてから、思い出したように言った。 「・・・そうだ、ハンカチは持ってるか?」 「? はい」 「それを、口と鼻にあてておくんだ」 アンジェリークはわけが分からなかったが、それを問う時間がないのは理解していた。アンジェリークはオスカーの言うとおりにして、ためらうことなく目を閉ざした。 オスカーはアンジェリークの様子を確かめてから、魔物に目を戻した。 アンジェリークに対していた優しげな雰囲気が、すうっと消える。 「・・・・・・レディを口説くのには、順序というものがあるんだぜ? 女性に近づくには、まずその見た目をどうにかしたほうがいいな」 軽口を言いながらも、その瞳は鋭い。 剣を構える。 炎の守護聖であったころなら、炎の力で魔物たちを簡単に焼き払えるのだが、今はそうもいかない。 殺気を放つオスカーに、一番近くにいた魔物が襲いかかる。オスカーは上体を軽く揺らすだけでそれを避けると、魔物の胴を払った。 ぴしりと返り血がオスカーの頬に飛ぶ。アンジェリークにも飛んだが、それはオスカーのマントに遮られる。 オスカーは短く息を吐いた。 返す剣で別の魔物の伸びた腕を切り落とす。 「俺は元もと武人なんだぜ? 魔物と言ってもその腕では相手にもならないな」 オスカーはほとんど初めから立っている位置を変えていない。 傍らのアンジェリークを守るには、その場を少しでも動くことはできなかった。 けれどそれを不利にしている様子はない。 オスカーの言葉を理解する能力はないようだったが、オスカーがその後二体の魔物を切り捨てた後、他の魔物はそこから散って行ってしまった。 オスカーはふ、と息をつくと返り血のついた上着を脱いだ。それで、剣の血を軽く拭く。 そして剣を下げてから、アンジェリークの被っているマントをとった。 「まだだぜ、お嬢ちゃん」 アンジェリークは頷く。 血の染みた上着とマントを放ってから、オスカーはアンジェリークを軽々と抱き上げた。 「きゃっ」 思わず悲鳴を上げたアンジェリークの口もとにあてられたハンカチに、オスカーはそっと手を重ねる。 オスカーはそしてその場を離れた。 しばらく歩いてから、彼女の口もとを軽く押さえていた手をどける。 この辺りまで離れれば、血の匂いはしない。 多量の血の匂いは、普通の者には耐えられない。気を失うのはまだ軽いほうで、ひどい吐き気や頭痛に悩まされるのが常だった。オスカーも戦場で、慣れない新兵がそういう状態になるのを何度も見ている。 「もういいぜ、お嬢ちゃん」 「・・・・・・」 アンジェリークは目を開け、優しいオスカーの目にほっと笑顔を浮かべる。だが、小さく唇をとがらせた。 「お嬢ちゃんじゃありませんって、何度も言ってるじゃないですか」 そんな仕種も可愛らしい。 オスカーは思わず笑ってしまう。 「そうだな。・・・アンジェリーク・・・」 そっと二人の唇が触れ合おうとした直前、通信機からクリアな声がした。 『おい、オスカー! そっちに出れたか!?』 ゼフェルの声だ。 オスカーはがくりと首を折る。自分の首元に顔をうずめてしまったオスカーに、くすくす笑いつつ、アンジェリークは通信機に向かって言った。 「ええ、ゼフェル。二人とも無事です」 『では、すぐにこちら側に呼び戻します』 リークの声がし、通信機は切れた。 オスカーは顔を上げる。二人顔を見合わせ、笑った。 オスカーは少し、表情を改める。 「あの球体・・・聖地に現れたのは、偶然なのか故意なのか、調べなくてはな」 「そうですね・・・。あ、オスカー様、ケガはありませんか?」 「俺を誰だと思っているんだ? 姫君を守る騎士は不死身なんだぜ?」 「オスカー様ったら」 アンジェリークは笑った。オスカーの笑顔が曇る。その目は、アンジェリークの足にいっていた。 「遅くなってすまない・・・」 「オスカー様の声が聞こえました」 オスカーの言葉を遮るように、アンジェリークはにこりと微笑んだ。 「私を呼ぶオスカー様の声が」 「・・・・・・。俺も聞こえた」 オスカーは胸に抱く恋人を、愛しげに見た。 「俺を呼ぶ声が届いたぜ、お嬢ちゃん」 「『アンジェリーク』」 「・・・・・・」 オスカーはふっと優しく瞳を細めた。 「・・・アンジェリーク・・・・・・」 元の世界へ呼び戻す光に包まれながら、オスカーとアンジェリークはキスした。
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