追憶




『生きて下さい…!』
 笑って告げられた残酷な言葉。『どうか…あなただけでも!』
 その願いに応える事だけが、自分に赦された選択肢だった。

 「待てっ…!」
 緩慢とした目覚め、だった。
 夢と気付くまでに暫くの時間を必要とするほど、鮮やかだった。悪夢のような出来
事だった。
 自分だけが生き残り、部下を失い、人は彼を『悲劇の英雄』と呼んだ。
 彼の名は、ヴィクトール。
 軍人であった。
 今は女王が直接統治する聖地で今を過ごしている。
 「っ…ぁ…」
 寝汗に濡れた服を握りしめ、荒れた呼吸を必死に整える。
 遠くから微かに聞こえる小鳥のさえずりに気付き、朝だと気が付いた。
 いつ、夜が明けたのだろうと思った。
 自分の心はまだ…夜明け前の暗闇に包まれているというのに。

 執務室に向かう途中だった。初めてアンジェリークという名の少女に出逢ったのは。
気の弱そうな少女、と言うのが第一印象だった。
 女王候補にはとても見えないほど弱々しく、とても宇宙を背負っていけるほどの強
さは持っていないようにも見えた。
 その点、彼女のライバルであるレイチェルは見た目からもその自身が溢れている活発
な少女だった。
 誰もが彼女なら新しい宇宙を背負って行けるだろうと安心して思えるだろう…それ
が、ヴィクトールの第一印象だった。

 しかし、アンジェリークと接する内に気付かされていく。彼女の中の強さに。何度
か挫折をし、相談に来たことがあった。
女王を諦めたいと弱音を吐いたときもあった。だが、その度に彼女は立ち直った。自
分自身の、意志の強さ…それを、持っていた。
 それと同時にその存在の儚さも感じていた。微笑む度に、いつか居なくなるのでは
ないかと思ってしまう。硝子の様な美しさを。
 彼女は、優しい。だからこそ、いつか潰れてしまうのではないかとヴィクトールは
思った。
 それをルヴァに相談しに言ったときに、彼の一言でヴィクトールは気付かされてし
まったのである。
 「あー、ヴィクトールはアンジェリークが好きなんですねぇ」
 のんびりとしたその一言でヴィクトールは自覚した。
 アンジェリークを、愛し始めていることに。

 それからは、苦悩の日々だった。あくまでアンジェリークとヴィクトールは教える
側と教えられる側。先生と生徒の様な立場である。
 それなのに、と思った。気付いてからは急速に想いが募っていく。どうしようもな
く、護りたいと思うようになっていった。
 数日が過ぎ、新しい宇宙が出来上がっていく。女王試験も終わりが近付いていた。


 アンジェリークは悩んでいた。
 好きな人が、居る。
 だが想いを伝える勇気が無かった。
 (あと少ししか居られないのに…)
 手紙を書いては、破っていた。机の上には失敗した手紙が転がっている。
 「どうしよう…」
 瞳を潤ませ、呟く。もし、女王試験が終了したらもう一緒に居られない。会うこと
もままならないかも知れない。
 そう感じているのに、どうしても伝えられないのだ。
 『好きです』
 たった一言伝えられれば済むことなのだがそう簡単には伝えられない。
 「どうしよう…」
 ぽろぽろと涙が溢れ返る。そんな時、ドアをノックする音が聞こえた。

 「はい…」
 弱々しい声と共に扉が開かれた。
 「アンジェリーク…暇なら、でいいんだが外に行かないか?」
 不安そうな瞳でヴィクトールを見ながら、アンジェリークは静かに頷いた。

 柔らかな風が二人を包んでいた。
 夜の、誰も居ない庭園。美しい星が輝いている。
 「綺麗…」
 その呟きにヴィクトールはアンジェリークの傍に近付く。自然に、彼女を脅かさな
いように。
 ヴィクトールを傍に感じながら、アンジェリークが空を見上げたまま話しかける。

 「…ヴィクトール様、人と人が出会うのは、一体どれくらいの偶然が重なっている
んでしょうか」
 自分の手を握りしめながら、震えを必死に抑えながら続ける。
 (お願い…星さん、私に勇気を!)
 「この広い宇宙の中で…私達は生まれて、死んでいって…いずれはまた宇宙に還っ
ていって…そんな短い一生の中で、誰かと出逢うと言うのはとても素晴らしいことだと
思うんです」
 一つ息を吐き、微笑みをヴィクトールに向ける。
 「その出逢いの中で、愛しく思える方と出逢える事は…とても、多くの偶然が重な
って起こる奇跡なんです」
 「アンジェリーク?」
 もう、言うなら今しかない…アンジェリークは、告げようと思った。自分の想いを
全て。
 「私…今まで自分に素直に生きようとは思った事がありませんでした。誰かを…他
の人を傷付けるのが恐かったからです。けれど…どうしても、この事だけは…譲れな
いから、素直になろうって決めたんです」
 私…と震える声で呟き、しっかりとヴィクトールを見据える。
 「私、ヴィクトール様が好きです…。迷惑なら…忘れて下さい。けれど…どうして
も、伝えないと後悔するって思ったから私…」
 ぽろぽろと大粒の涙が溢れ出る。ヴィクトールは微笑んでアンジェリークの涙を拭
った。
 「…先を越されるとは思わなかったな」
 「え?」
 髪を撫でながらヴィクトールがベンチを指す。
 「座ろう。足が疲れただろう?」
 「あ、はい…」

 ベンチにアンジェリークを座らせるとヴィクトールは少し距離を置いて隣に座った

 「部下を失った話は前にしたんだが…覚えているか?」
 こくん、と頷くのを見てヴィクトールは上着のポケットから古びた指輪を取り出し
た。
 「俺はもう誰も愛する事はないと思っていた。失った部下の中に俺の…俺が愛した
女性が居た。結婚も考えるほど本当に愛していた。
失ってからは誰も愛する事はもうないと信じていたんだ…アンジェリーク、お前に逢
うまでは」
 「ヴィクトール様、私…」
 何を言えばいいのか…言葉を失っているアンジェリークに微笑んで首を振る。
 「俺が話を聞いて貰いたいんだ。今まで、誰にも言わずにいたんだ。お前だからこ
そ…話せると俺は思ったんだ」
 だから、と頬を撫でる。
 「…最初は何故女王候補に選ばれたのか不思議に思うほど弱々しかった。一人で歩
けるとは思えないほどに、俺の目には弱く見えた」
 瞳を閉じ、アンジェリークの手を握る。
 「だが…強さも持っていた。けれど、いつからだろうか。俺の中で、お前を護らな
ければと思うようになっていた。アンジェリークは優しい。
自分を抑えてまで他人を気遣う姿を見ている内に思った。いつか、潰れてしまうので
はないかと。俺が…護ってあげなければと」
 「ヴィクトール様…」
 「明けない夜はないように…癒えない傷などないと、お前が教えてくれた。アンジ
ェリーク俺はまだ至らないかも知れない。お前を傷付ける事をするかも知れない。
それでも、いいのか?」
 その真剣な問いに小さく頷くとアンジェリークはヴィクトールの手を握り返した。
緊張からか、微かに手が震えている。
 「私はヴィクトール様が好きです。ヴィクトール様は私に心の強さを教えてくれた
…初めて、人を好きになる事を教えてくれた。好きな人が居る…それだけで、私
の胸は今まで感じたことがないほどに…高鳴って…。でも、毎日が輝いているん
です」
 「俺は、お前が思うほど綺麗ではないかも知れないぞ」
 「私、構いません。綺麗な人でも、汚い人でも…あなたが好きなんです」
 その言葉に、ヴィクトールは優しくアンジェリークを抱き寄せた。そして、一言だ
け囁いた。
 有り難う、と。

 いつからか、夜は明けていた。一人で歩いてきたこの路を、これからは二人で歩も
う。
 まだ互いのことは理解が足りないかも知れない。
 だが、時間はまだある。ゆっくりと理解を深めていこう。
 そうして、二人だけの幸せを探そう。
 自分の生を願う人々の分まで生きる義務があるのだから。


                                      
                               END