夜の中で | |
たとえば。
俺が俺でなければ。
お前は空を忘れていられたのだろうか。
「・・・・・・プラチナ」 ジルの静かな声に、プラチナは顔を向けた。 「何だ?」 「もう、夜も遅い。そろそろ横になったほうがいい」 「……そうだな」 そう応えながらも、プラチナは一歩窓辺に近寄る。 月に照らされて、白く浮かび上がる青の王子をジルは見つめた。 ジェイドの裏切りに与えられた心の打撃を、彼の整った横顔から見つけるのは難しい。 彼をそうしてしまったのは教育したジェイドなのか、それともそれが素地だったのか。 同じ奈落の王子でありながら、感情を豊かに表すアレクとは正反対だ。 プラチナの痛みを感じ取れる者は、自分を含めて何人もはいないだろうと思う。 「……本当は、な。知っていたんだ、俺は」 月を見上げたまま、ぽつりと言うプラチナに、ジルは「何を?」とは問わない。 ただ静かに、言葉の続きを待っている。 だからこそプラチナは、その先を言葉にできた。 まるで独り言のように、人を意識することなく話せた。 「あいつが、天から墜とされた者だということを。あいつが……空に帰りたがっていることを。そのために、いつか奈落を裏切るのだということも」 分かっていた。 俺を、裏切るのだということを。 プラチナはふいと月から目をおとした。 夢は、鮮やかにジェイドの過去を教えてくれた。 それが真実なのだと、なぜか分かっていた。 ……それでも。 その未来が、変えられればいい、と。 石を奪っていった時の、ジェイドの冷たい目が脳裏に蘇る。 その後ろでは、セフィルスが辛そうな目でプラチナの後ろのアレクを見つめていた。 「…………もしも」 なぜか、言葉が詰まった。 プラチナはその理由がわからず、戸惑ったように自分の手を見た。 ぽたり、と頬から伝った涙がその手に落ちていた。 それが涙だということも、自分が泣いているのだということも、プラチナには分からなかった。 驚いたのはジルの方だった。 言葉が出せないジルを、プラチナは涙を拭うことも知らずに静かに仰いだ。 「もしも、俺でなく兄上だったなら。あいつは空を忘れていられたのだろうか」 プラチナは悲痛に顔を歪めているわけではない。 ただ、普段の綺麗に整った彼の表情のまま、涙だけが青い瞳から流れ落ちていた。 だが、だからこそジルは沸き立つ感情を抑えられなかった。 「―馬鹿な!」 幼い子供を抱くように、ジルはプラチナを抱きしめた。 永く生きて、心からの喜びも心からの憎しみも、激しい感情とは疎遠になっていた。 しかし今、ジルは自分の胸の激しい想いを自覚する。 哀れみではない。愛しさかもしれない。それとも、今はここにいない男への怒りなのかもしれない。 「お前は、言っていただろう?」 静かに続けるプラチナの言葉に、ジルは抱きしめる腕の力を抜く。 「兄上は、優しくて純粋で、才能もある、と。お前だけじゃない」 羨んでいるわけではない、とプラチナは思う。 妬んでいるわけでも、ないと思う。 「多くの者が、そう言う。俺も、そう思う。兄上は太陽のようなヤツだ。奈落にあって、日の輝きを持っている。俺は……俺は、おそらく欠陥品の方なのだろう」 「プラチナ」 「むろん、力で負けない自信はある。だが。俺の身体は脆い。…………真実、王の器なのは兄上なのだろう」 「王はお前だ」 「……そうだ。だが、もしも時間があれば」 継承戦争が長いものだったなら。 アレクが勝っていただろう。 それをプラチナは知っていた。 自分の身体が長くもたないことを、プラチナは自覚していた。 「『もしも』などということは、ありえない。過去はかわらず、今も変わらない」 「……そうだな」 プラチナは静かに息をついた。 だが真実選ばれていたはずなのは、兄アレクの方。 誰からも愛されている兄。事実プラチナ自身も、その兄に惹かれずにはいられない。 だから、考えてしまうのだ。 兄にジェイドがついてたのなら、ジェイドは奈落でも生きる場所を見つけられたのではないだろうかと。 「・……」 「……自分を卑下しているわけではないぞ」 少しキツイ瞳で、プラチナは自分の頭より上にあるジルの目を睨み、そしてすっと目を伏せた。 「ただ……」 少し、悲しいだけだ。 選ばれていたのが自分ではないことが。ジェイドを満足させてやれる、自分ではなかったことが。 「……アレク王子にジェイドがついていたのだったなら、もっとはやく全ては終わっていただろう」 「?」 「アレク王子は早々に命を奪われていただろうな」 淡々と言うジルに、プラチナは身を離した。 「何を言って……」 「輝く太陽を愛しいと思う者もいれば、ギラギラした光だと言って鬱陶しいと思う者もいるだろう。アレク王子の優しさや素直さをサフィルスは好ましく思ったのだろう。だが我らの参謀だったあの男は、その明快さには耐えられまい。アレク王子の優しさの表しかたを鬱陶しいと、素直さを単純で薄っぺらだと、溢れる純粋さや鮮やかに変化する表情を見るに耐えないと辟易しただろう。反対に、お前にサフィルスがついていたなら、お前の表情に隠された心に気づかずに冷酷だと眉をひそめたかもしれないな」 プラチナを慰めるためでなく、ジルは本当にそう感じていた。 「オレは、あいつらは上手く自分にあった王子の参謀にそれぞれついたものだと、その点では感心していたものだ」 「…………」 「あの男は、夏の太陽より、青空そのものや夜闇の月や星の方が愛しいのだろう」 「…………まさかとは思うが、それは俺のことか」 ほんの少しだけ心の痛みが引いたことを素直に言えずに、プラチナはそうジルを睨む。 ジルは平然と応えた。 「そうだ」 「……。お前、それでも芸術家か」 「そうだ」 「…………もう、いい」 わざと疲れたように言ってから、プラチナはこつんとジルの胸に額を当てた。 「…………すまん」 弱音を、聞かせて。 小さな言葉は、だがしっかりとジルに届いたようだった。優しい重みが、プラチナの肩にかかる。 「弱くて、いいんだ。そんなに、強くあろうとしなくていい。もう、いいんだ」 「…………ダメだ」 そう、プラチナは小さく首を振る。 「俺は、強くありたいんだ。そして、もっと、強くなりたい」 「…………」 「だから、あまり俺を甘やかすな」 「…………お前の頑固さは、知っていたがな」 ジルは苦笑した。 「わかった。お前が望むなら、強く生きればいい。やれるとこまでやってみろ」 「ああ」 「オレが後ろから見ているから」 「ああ」 「……やるだけやって、崩れそうになったら、倒れる前にオレが支えよう」 「……ああ」 2人を、月だけが照らしていた。 ジェイドと対するのは、その翌日のこととなる。
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