| First love |
| I don't know what this feeling is. However, I am understanding that myself wants to meet you. |
| 「――あッ」 アネメアは小さな悲鳴を上げることしかできなかった。 身体が落ちていくのを、止める術もない。 咄嗟に出した手は、飛び出した木の根に触れることもなく、むなしく空を掴んだだけだった。 身体中に衝撃を感じた瞬間、アネメアは意識を手放した。 少しして、アネメアは意識を取り戻した。 ゆっくりと、目を開ける。 空は高く澄んでいた。 「・・・・・・・綺麗な空・・・・」 アネメアはぼんやりと呟いて、そして、ハッと我に返った。 がばり、と身を起こす。 かすかに、ズキリと身体が痛んだ。 「そうですわ・・・・私、足を滑らせて・・・・」 そして、アネメアは自分が落ちた崖を見上げる。 アネメアは眉を寄せた。 崖と呼ぶにはお粗末なそれ。 アネメアの身長よりは多少高いという程度である。おそらく落ちたのがラナン辺りだったのなら、ちゃんと着地できたに違いなかった。 しかも、短い時間とはいえ気を失ってしまった自分がアネメアは恥ずかしい。 誰も見ていないのに、つい赤面してしまう。 怪我がなかっただけよかったとするべきだろうか。 アネメアは嘆息し、立ち上がろうとした。 しかし。 「きゃッ」 がくり、と地面に倒れこんでしまう。 足に鋭い痛みが走ったのだ。 落ちる時に、どうやらねじってしまっていたらしい。 骨には異常がなさそうだったが、器用に両足首とも捻ってしまっていた。 これでは、とても立つことができない。 「・・・・ど・・・・・どうしましょう・・・・・・」 さすがのアネメアも、事の重大さが分かった。 崖と呼ぶほどのものでないにしろ、アネメアの身長では届かないところをどうやって登ったらいいのかと思っていたところに、さらにこれではどうしようもなかった。 御使いを王都にまで飛ばす力は、アネメアにない。 怪我を治そうにも、すでに癒しのメアは使い切ってしまっていた。 アネメアは泣きそうになる。 しかし、すぐに気を取り直した。 このアスル高地には、試験に挑んでいるチームがよく来る所だ。待っていれば、誰かが近くを通る確立が高い。 「・・・もしダメでも、二人には家を出る時にアスル高地に行くって言ってありますものね」 帰りが遅ければ、ジャニスかラナンが捜しに来てくれるに違いなかった。 自分に言ったその言葉に、以外にも応えがあった。 「――アネメア?」 「え!?」 アネメアははっと顔を上げた。 崖の上に、見知った姿があった。 「――ジンさん・・・・」 そこにいたのはライバルチームの一つ、アガティア3兄弟の長兄だった。ちなみにアネメアはそのチームの一人で末妹のシエラととても仲良くなっていた。 「えと・・・・・足を滑らせてしまって・・・・・」 ジンとはまともに会話したことのない――シエラに言わせれば、ジンは元々無口ならしいが――アネメアは、自分のドジさが恥ずかしくて赤面してしまう。 しかしジンは笑わなかった。 「・・・・・・・・手を」 言って、上から手を下ろしてくれる。 アネメアは困ったようにジンを見上げた。 「・・・・どうした?」 「・・・・・・ご、ごめんなさい・・・・・。立てないんです」 アネメアはますます恥ずかしくなってしまって、顔を伏せた。 ジンは無言で、アネメアの横にすたりと飛び降りる。 「・・・・・・・・・・」 ジンはアネメアの傍らに片膝をついた。 アネメアは、足首にそっと触れる大きな手にビクリとなる。 「きゃ」 「!」 すっとジンが手をひいた。 「すまない」 「あッ。いえ、違うんです、驚いただけで、その・・・ッ」 間近にある、厳しい(怖い)が――あくまで普段の彼の表情なのだが――端正な顔に、アネメアの焦りが増す。 黙っていれば怖そうなのは彼の弟のレノもそうなのだが、レノはまだ表情がクルクルと変わるのを知っている。 ジンは静かなのに、目に見えない威圧感のようなものがあって「穏やかそうだ」とは誰も形容しない。むしろ、顔が整っているのもあって「怖そう」という意見が多い。 アネメアは鼓動が激しくなるのが、怖いからか、それとも別の理由があるのか分からなかった。 「ごめんなさいッ」 「いや」 かまわない。 普段ならばその一言で会話を終わらせるだろうジンだったが、シエラから強く言われているのか、アネメアには言葉を続けた。 「足の状態を見たかったのだが、許しもなく触るのは失礼だったな。すまない」 「いえ・・・・・・」 「骨には異常がないようだが、かなり激しくひねっているようだ」 「・・・ジンさん」 アネメアの声に、ジンは彼女を見返した。 アネメアは上目で、彼を見た。 「申し訳ないのですけど、癒しのメアを貸して頂けませんか?」 「ない」 「?」 「今日は、メアを何も持ってきていない」 「えっ!? 何もって・・・・どのメアもですか?」 「ああ」 「・・・・・」 アネメアは言葉を失くす。傷を癒すメアどころか、御使いを召喚するメアや魔法を使うメアさえ持ってきていないとは想像もできない。 そもそも御使いや魔法が使えなければ、人間がイブリースに敵うわけがない。魔法使い以外が、戦える相手ではないのだ。 自分など、あっというまに殺されてしまうだろう。 しかし、そこまで考えてアネメアは、この目の前の男性は特別なのだということを思い出した。 「英雄」と呼ばれるスタム・バーニングと同様に、魔法使いとしてだけではなく剣士として常人の域を凌駕しているのだ。 たしかにジンならば、アスル高地辺りに出没するランクのイブリースならその剣で軽く倒せてしまうのだろう。 「・・・・・・・アネメア」 「はい?」 彼に呼ばれて、アネメアは我に返った。 珍しく、ジンは微かに逡巡しているようにも見える。 「なんですか?」 「触れてもかまわないだろうか」 「??? はい」 何のことだろう、とアネメアが思う前に、 「・・・・・」 ジンはアネメアを軽く抱き上げた。 思わず悲鳴が漏れそうになるのを、アネメアはギリギリ止める。 ジンは崖の上に、アネメアを掲げ上げるようにして降ろした。 ジンの身長は高い。 ジンは苦もなく崖の上に上がった。 アネメアは、崖から上がって自分の傍らに立つ男を見上げた。 彼の動きはまるで野生の獣のように、音もなく無駄もないように見える。 「どうした」 彼女の視線に気づいて、ジンが問う。 アネメアは、微かに頬を染めて慌てて左右に首を振った。 「なんでもありません」 「メアがなくてすまないな」 「そんな」 いいんです、と続けようとしてアネメアは気づく。 崖から上げてもらったのは助かったが、立てないのは変わらない。 いったいどうやって家まで戻ればいいのだろう。 アネメアが、ジャニスたちを呼んでくれないかとジンに頼もうと口を開く前に、彼が言った。 「しばらく、我慢してくれ」 「え?」 アネメアが問い返すより先に。 彼女は再びふわりと抱き上げられた。 「ジンさん・・・ッ」 崖の上にあげてもらっただけとはわけが違う。 そんなに長い間、抱きかかえてもらうわけにはいかなかった。 「そんな、無理ですっ」 重いほうとは思いたくはないが、それでも人間一人は軽くない。 「ジンさんが疲れてしまいますッ」 「どうということはない」 「だって、重い・・・・」 「軽い」 平然とした短い答えが、アネメアの言葉を遮る。 歩き出したジンの胸で、アネメアは口を閉ざした。 彼の端正な横顔がすぐそばにあって、なぜか不快ではない痛みが胸を打っていた。 いつもより高い位置から見る周りは新鮮なものだったし、ジンの腕の中はとても安定していた。彼にとっては、本当に自分の重さなど気にもならないものらしかった。 はじめは身を硬くしていたアネメアだったが、時間がたつにつれその力も抜けていった。 がっしりとした腕や逞しい胸が、むしろ心地良い。 そう思って、アネメアは慌ててそれを打ち消す。そんなふうに感じるのは、はしたないような気がした。 パシャリという足音に、アネメアは視線を落とした。 地面が、濡れている。 「大丈夫ですか」 「心配ない」 ジンはアネメアの方を見ないまま、答える。 「地下水が染み出ているのだろうが、深くはない」 ジンの言葉に頷きつつ見れば、泥のようになってはいるが、彼の足が沈むことはなかった。 しばらく、パシャパシャと泥を弾く足音だけが聞こえる。 だがふいに、ジンは立ち止まった。 「・・・・・・・・・」 「ジンさん?」 「・・・・・・・・・・・・・」 前を見る彼の表情が鋭くなっている。 アネメアはその視線を追った。 なんの変哲もない風景が広がっている。もう一度アネメアがジンに問おうとした時、視線の先の角から三体のイブリースが現れた。 「!?」 アネメアは目を見開く。 そして、ジンを仰いだ。 「――ジンさん、降ろして下さい!」 このままでは、ジンは両腕がふさがっていて剣が使えない。 しかしジンはそれには応えずに、イブリースから視線を外さないまま言った。 「少しだけ、我慢してくれ」 ジンはアネメアを肩に担ぐように片腕で抱いた。 空いた手で剣をすばやく引き抜くと、地を蹴る。 「――ッ」 アネメアは咄嗟に悲鳴を押し殺し、どうしようもなくてギュッと目を閉じた。 ジンは正面のイブリースを切り倒し、攻撃を上体を沈めてかわしながら、左右のイブリースを真横に払った。 アネメアが、ジンの動きに翻弄されたのはほんの一瞬だけだった。 全てはその一瞬で終わっていた。 ジンは剣を軽く振ってから、収める。 ぎゅっと目を閉ざし、力を身体中に込めて震えているアネメアを両腕で抱きなおした。 「・・・・・・・・・アネメア」 胸の中に抱いた、震える少女に向けられた声は彼にしてはとても優しい声だった。 「すまない。驚かせたな」 「あ・・・」 やっと、アネメアは力を抜いて目を開ける。 「・・・・・イブリース、は・・・・」 「倒した」 そして、何もなかったようにジンは歩き出した。 パシャ、と再び足音が聞こえはじめる。 それでアネメアは気づいた。 自分を降ろさなかったのは、地面が泥になっているからだと。 さすがに手におえないほど強力なイブリースなら、立てないアネメアが汚れるから地面に降ろさない、などということはしなかったのだろうが。 アネメアはジンの横顔を見つめた。 胸が痛くて、すぐに目をそらしてしまう。 「痛むのか」 足が痛いのかと誤解して、ジンが案じる声をかける。 すぐそばで響く声に、アネメアは泣きたくなった。 「アネメア?」 「平気、です」 そう、小さく首をふる。 ジンに名前を呼ばれると胸が震える。 アネメアは、彼の声が好きだと思った。 温かくて力強い腕が、嬉しくて切なかった。 自分の感情がよく分からなくて、アネメアは目を伏せた。 ラナンが昔スタム=バーニングに憧れていたという話を思い出した。 そして、ジンも強い。 ・・・・・これが、憧れというものなのでしょうか・・・・・。 それが当てはまる気がして、アネメアは無意識にほっとした。 アネメアがこの想いの本当の名を知るのは、まだ先のことだった。 |
END