DRAGON HALF



Surely,I have begun to love you.
・・・・・・It can not be already stopped.



 摩耶は、小さくため息を漏らした。
 今日は2月14日。バレンタインデー。
 ・・・・・・恋人たちの日。
 摩耶は居心地悪げに、片腕を抱いた。
 こんな日の夜に出歩いているのは、カップルばかり。一人で「うさぎの穴」へ向かう途中の摩耶は、道行く自分がひどく浮いている存在に思えた。
 バッグの中には、可愛らしくラッピングされたチョコレートをひそませているのだが・・・・・・。
「・・・・・・」
 摩耶は無意識にバッグを押さえる。
 これを渡したい青年のことを想った。恋しているわけではない、と思う。好きかと言われれば好きとしか言いようがない―彼を嫌いだと言える女の子がいるとは摩耶には思えないが―。けれど男性として本気で好きになっているわけじゃない・・・。
 自分はただ、バレンタインデーにチョコを渡す相手が今年もいないのが寂しくて・・・だから彼に渡そうとしているのだ。
 そう、摩耶は半ば自分に言い聞かせていた。
 たしかに彼ならば、女の子に気まずい思いなどさせない。摩耶が差し出せば、喜んでもらってくれるだろう。
「・・・・・・あ」
 小さな声を漏らして、摩耶は空を見上げた。白いものが、舞い落ちてくる。
 雪だった。
 そばを通り過ぎるカップルの女性が、嬌声を上げる。
「ホワイトバレンタインね!」
「・・・・・・」
 摩耶は無意識に足を速めた。
 本当なら彼は、バレンタインデーを一人で過ごすわけがないのだ。
 特定の恋人がいると聞いたことはないが、多くの女性とつきあっていることは有名である。もちろん、摩耶も知っていた。彼本人からして周りに隠すつもりがない。彼は(血からして!)根っからのプレイボーイだった。
 そのくせ嫌味なところも、いやらしい感じもしないのは彼の人柄のせいだろうか。その上多数の女性とつきあっているというのに、もめたという話も、泣かせたという話もない。彼は女性好きではあったが、女性を傷つけようとか騙そうとする歪んだ欲求や自己満足とは無縁だった。
 が、それは彼の意見で、もちろん彼女たちの方にはただ一人の恋人にして欲しいという想いはあるだろう。
 そんな美女の「友だち」を多くもつ彼が、今年だけは一件のデートも入っていない。
 多分「うさぎの穴」にいるはずだった。
 殆どの人間が知らない事だが、この世界には数多くの妖怪が存在している。人の恐怖や憎しみ、愛といった想いにより生まれる妖怪たち。長い年月を生きていると、自由な自我を持つまでになる。彼らは人間にまぎれて生活するために助け合うことも必要になり、世界中に独自のネットワークを持つようになった。―もちろん、全ての妖怪がそんなグループに属しているわけではないが。
 ともかく、「うさぎの穴」はそんなネットワークの一つだった。見た目はただのバーだが、そこには軽い結界がはられてあり、普通の人間は訪れる事ができない。そのバーを訪れる事が許されるのはほんの一握りの人間を除いて、本当に困り助けを求める人間だけだった。
 摩耶はその数少ない人間の一人である。もしかすると気軽に「うさぎの穴」を訪れることが許された人間は、摩耶だけかもしれない。それは、摩耶が「うさぎの穴」のマスターの娘(もちろん妖怪である)と友だちだということもあるが、大きな理由は彼女が普通の人間にない力を持っているからだった。その力を行使する時、彼女は並の妖怪でもかなわない戦闘能力を持つ。
 妖怪の全てが人間に好意的であるわけではない。もともと負の感情から生まれ殺戮を繰り返すような、自我の薄い生まれたての妖怪はもちろん、数十年数百年生きて自我を持ったものの人をただ餌かおもちゃのようにしか捉えない妖怪も多い。
 そんな妖怪に、人間が対抗することは不可能だった。妖怪に比べて、人間はあまりにも無力なのだ。妖怪に対せるのは妖怪のみ―。「うさぎの穴」のようなネットワークの妖怪たちは、いつのころからか妖怪の事件が起これば協力して人間を守るために同胞と戦うようになった。そんなネットワークとは別に、彼らの言う所の「裏」ネットワークという人間にとって凶悪な妖怪が属しているものもあるらしい。
 摩耶は今まで、その力で「うさぎの穴」のメンバーと共に妖怪と戦うこともあった。
 しかしその見た目は、どこまでもおとなしそうな少女であったが。
 ともかくも、摩耶は親友の「かなた」をはじめ「うさぎの穴」の面々が好きだった(と言っても、彼女が知っているのは一部の主だったメンバーだが)。いや、好きというよりも、いろいろな面で尊敬していた。
 その「うさぎの穴」に、数日前ある情報が入ったのだ。
 外国から、かなり強力で凶悪な妖怪がこっちに入ってきたらしいというのだ。まだ確認されていないが、放っておくわけにもいかなかった。そのため、何人かはできるだけすぐに動けるように「うさぎの穴」で待機することになったのだ。
 特に彼は大学生で時間が空いている(普段でも殆ど大学に出ていない)ことと、武闘派の妖怪ということで待機組の筆頭に上げられていた。
 おかげで十何年ぶりにバレンタインデーをデートなしで過ごすことになったらしい。
 摩耶は近道をしようと、路地を曲がった。その時。
「きゃっ」
「おッ」
 どん、と誰かにぶつかった。
 摩耶の手元から鞄が落ちる。
「す、すみません」
 摩耶だけが悪いわけでもないのだろうが、咄嗟に摩耶は謝った。
「イテーな、コラッ」
 当った男は、相手が気弱そうな少女なのに気づくとさらに大きな態度に出る。
「どうしてくれるんだよ? あ?」
「そんな・・・・・・」
 摩耶は身を縮めた。
 元々、彼女にはこういうタイプへの耐性がない。
 ジリジリと後ろに下がる。
 その彼女の背中に、男の連れの男が回りこんだ。
「おっと、どこ行く気だ?」
 摩耶が見てみれば、男の仲間は3人だった。
 摩耶の足が震える。
「さてと、慰謝料でも出してもらおうか」
 こういうのは、ドラマや漫画の中だけの話だと思っていた摩耶だったが、現実にも起こるのだということを知った。
「あの・・・怪我、してないと思うんですけど」
 精一杯抵抗して言ってみる。
 理不尽な脅しに屈しない強さを、摩耶は持ちたかった。
「なんだと!」
 男が怖い顔で怒鳴る。
 泣きそうになるのを、摩耶は必死で我慢した。
 かなたたちと友達になる前なら、きっと泣いて謝っていたに違いなかった。
 おそらく、そうしたからと言って、男たちが彼女を許すこともなかっただろうが。
「・・・・どいて、下さい」
 摩耶は勇気を振り絞った。
 男の目が、凶悪になる。
 摩耶の後ろに立つ男が、彼女の腕をにじりあげた。
「あッ」
 摩耶は身をよじる。常人にない「力」を持っているといっても、摩耶の身体は普通の少女のそれとなんら変わりない。夢魔を出現させないかぎり、喧嘩慣れした男たちにとっては無力な娘にすぎなかった。
「やめて、下さい」
 身の危険と恐怖に、内側から溢れ出そうとする力をなんとか抑える。
 彼女の力は分からないように振るうことはできない。夢魔が現れれば、大変なことになる。
 それに、恐怖のままに夢魔を呼べば、現れた瞬間にはコントロールできないかもしれない。そうなれば、この男たちは大怪我ではすまないだろう。
「うるせえッ・・・・ん?」
 摩耶の正面に立つ男が、ふと足元に落ちている彼女の鞄に気づいた。
 鞄から、可愛くラッピングされた箱がちらりと見えている。
 男たちでも、今日が何の日か知ってるらしい。
 嫌な笑いを浮かべる。
 摩耶は、嘲笑を感じて頬を羞恥に染めた。
「・・・・・」
「財布とれよ」
 そう、傍らの仲間に言われて、その男は鞄を拾おうとしたが何を思ったのかニヤリと笑った。
 少しのぞいていたチョコの箱を、勢いよく蹴り上げる。
 箱は汚れたビルの壁に当って跳ね、大通りの方へ落ちた。
 摩耶は首をめぐらせてそれを追う。
 ふわりとした箱は潰れ、茶色いチョコがやはり潰れてのぞいていた。
 どっと男たちが笑う。
「おい」
 だが、そんな彼らに怒ったような声がかけられた。
「あんまり感心できないこと、やってるようじゃないか」
 すらりとした長身の青年が、視線を潰れたチョコにやりながら路地を曲がって来た。
 青年のスポーツマンタイプの体格と、なにより秀麗な顔にコンプレックスが刺激されるのか、男はことさら大きな声で怒鳴った。
「なんだ、テメエ!」
「あ・・・・ッ」
 摩耶は大きく目を見開いた。
 青年の顔も、驚きに変わる。
「摩耶ちゃん!?」
「流さん!」
「――お前ら」
 流の男たちを見る目がすうっと凄みを帯びた。
 流にとって、女の子とは守り庇うべきもので、優しく抱いてやるものである。
 女を傷つける男は許せない。
 それは、彼の考え方というだけでなく、彼に流れる血が、本能がそう命じるのだ。
 それだけでもこの男たちは許せないのだが、摩耶は女の子だというだけでなく、彼にとって大切な人間の一人でもある。
「その子を放せ。怪我をしたくなければな」
 男は、もちろん摩耶を放そうとはしない。
 流はすっと動いた。
「警告はしたぜ」
「うわッ」
 摩耶の腕を掴んでいた男の腕を、ひねり上げる。
 自由になった摩耶を背に庇った。
 あまりにも一瞬の出来事に、男たちはぼうぜんとなっている。
 彼の動きに、全く対応できなかったのだ。
 それも当たり前のことだった。
 流は半妖怪だ。
 それも、龍王と人間のハーフである。
 見た目通りの歳でまだ竜としては赤子も同然だが、それでも竜は竜。「うさぎの穴」のメンバーの中で1,2を争う戦闘能力を持っている。黄金の竜に変じれば、天空を駆け水や雷光で相手を撃つ。
 人間の姿の今でも、たとえプロの武道家だったとしても人間のかなう相手ではなかった。
 流は、ごく軽く男を殴った。それでも、男は大きく後方へ吹っ飛ぶ。
「これに懲りて、2度とこんなことはしないことだ」
 言って、残りの男もあっというまに沈めてしまう。
 腹を折ってうめく男たちに、流は言った。
「ちゃんと手加減したから、安心しな」
 手加減どころか、実は細心の注意を払って殴ったのである。少し気を抜けば、骨が折れるどころではすまない。
 流はうってかわって明るい表情になり、摩耶を振り返った。
「大丈夫かい、摩耶ちゃん」
「あ、はい。どうもありがとう」
「遅くなってごめんな」
 言いながら、流は摩耶の鞄を拾った。埃をはらい、彼女に差し出す。
 摩耶はそれを受け取りながら、流を仰いだ。
「でも、どうしてここへ?」
「ああ。今日来るって言ってただろ? でもこんなに暗いし、迎えにいこうかと」
「ごめんなさい・・・・」
「いや。それより」
 流はボロボロになっているチョコの方へ近づいた。
「あいつらヒドイことするな」
「あ!」
 摩耶は、流を止めようとする。
 しかしその前に、流はチョコの箱を拾い上げていた。
 流の動きが止まる。
 リボンに挟まれた、やはり汚れてしまっているメッセージカードには。
 『流さんへ――』
「あの!」
 摩耶は悲鳴のような声を上げた。
「いつも、お世話になってるし、その、だから」
 恥かしくなって、そして潰れてしまったチョコと自分が情けなくなって、摩耶は目を伏せた。
「あの、でも、それ捨てますから。そこのゴミ箱に――」
 摩耶はそう言いつつ目を上げて、絶句する。
 流はパンパンと埃を払うと、ひょいとチョコを口に放り込んでしまったのだ。
「流さん!?」
「―美味い」
 流は空になった箱を、ジャンバーのポケットにつっこむと摩耶に笑った。
「ありがとな、摩耶ちゃん」
「流さん・・・」
 摩耶の胸が、ズキリと痛んだ。
 どうしてか、泣きたいほど切なくなった。
 流は、相手が女性だったなら摩耶でなくてもこうしただろう。
 流は――竜は、一人の女が縛ることはできない。彼らは自由と、多くの女を愛する。
 だから、好きにならないと、好きなわけじゃないと自分に言い聞かせてきた。
 でも。
「行こう」
 半龍の青年は、凛々しい顔に優しい笑顔を浮かべた。
 摩耶は、こくん、と頷く。
 摩耶は彼と並んで歩き出した。
 ――止められない想いを感じながら。










END