heart to heart









 パチリ、と目の前のたき火が小さく音をたてる。
 その炎に照らされて、暗闇に浮かび上がる天使の白い翼。
 レイヴは無言で、たき火の向かい側に座っている天使を見た。
 この世界を救うため勇者の一人となってほしいとこの天使に頼まれたのは、つい最近のことだ。こうして共に旅をするのは初めてのことだった。
 天使の名はエルリア。レイヴが知るどの天使画の天使とも違い、彼女の髪も瞳も雨上がりの闇夜のように深い黒だった。
 いつか言ったそのレイヴの言葉に、「ええ、天界では珍しいのですよ」と困ったように微笑んでいた。
 彼女と旅して驚いたことは、彼女が翼があることを除けば普通の人間とまるで変わらないことだった。レイヴの天使のイメージは、もっと凛とした不可侵の神聖さを持ったものだったのだ。
 本当にこの世界の守護天使が、彼女に務まるのか疑問に思える。彼女からは強さを感じられないのだ。
 むしろ気弱げだった。
 現に今も・・・・・・・・。
 エルリアの翼の先が、びくりとなった。
 森の向こうで、小さく奇妙な声が時々鳴っている。
 おびえているのだ。
 レイヴはため息をついた。
「・・・・・・あれは獣の鳴き声だ」
 森に生息するその小動物の声は、このあたりの者なら誰でも知っていることだった。
 エルリアははっとレイヴを見て、少し恥ずかしげに頬を染めた。
「そうなのですか」
「何も知らんのだな」
 あきれてつい出た言葉は、冷たかった。レイヴはもともとその冷静さと、話す言葉の短さから、普通の会話でも相手に厳しい印象を与える。
 それは彼が半ば意識して他人と深く交わることを禁じているからでもあったが、この場合は負の感情がこもっていたぶんきつかった。
「・・・・・・」
 エルリアは顔を伏せた。
 レイヴははっと我に返る。
 相手は夜の闇や風の音にもおびえる幼い子どものようなものだ。生きてきた年数は別として、彼女は地上に降りてまだ日が浅い。おそらく天界で穏やかに暮らしていただろうに、突然ここに一人降りてきたのだ。天界には恐ろしいものは何もない。
 彼女は地上に降りて、初めて恐ろしさという感情を知ったのに違いなかった。
 相手に冷淡な印象を与えるレイヴだったが、彼の騎士としての鍛えられた体躯と、無愛想さ、そして無言に相手が威圧感を感じてしまうのであって、彼の言葉が刃のように人を傷つけることはない。むしろ彼の短い言葉は、―その抑揚のなさと表情になかなか気づきにくいが―いつもちゃんと選ばれたものだった。
 思ったことをそのまま口に出すなど、普段のレイヴからは想像もつかないことだ。
 レイヴは顔を伏せているエルリアを見た。
 やはり、心のどこかで彼女が天使であることに甘えているのかもしれない。
 だから不用意にこんなことを言ってしまうのだ。
 自分は彼女の天使としての能力を疑ってしまったのだが、考えてみれば勝手なことだと思えた。破滅の危機にさらされているのはこの世界だ。直接的にエルリアには、本当は関係のないことのはずだった。
 それでも助けるように言われて、天界から降りてきてやったのにと、怒っているだろうか。
 それとも、しかたのないことを責めるなど酷いと、悲しんでいるだろうか。
 炎に影がゆれている。
 エルリアの伏せている顔に、レイヴは罪悪感か後悔か理由の分からない感情に胸が痛んだ。
 ・・・・・・泣いて・・・・?
「・・・・・・エルリア」
「はい?」
 天使は呼ばれて、顔を上げる。
 柔らかな微笑み。
 腹立たしさも悲しみもそこにはない。無理をして浮かべているものでもない、それは自然な笑顔だった。
「・・・・・・」
 それが心になぜか深く広く響いて、レイヴは言葉をなくした。
 エルリアは、小さく首をかしげる。さらり、と艶(つや)やかな髪が彼女の肩をすべった。
「どうしたのですか?」
「・・・・・いや。・・・すまなかった、と思ってな」
「何がです?」
 まったく思い当たらない様子のエルリアに、レイヴは少し笑った。それはよほどよく見なければ分からないほどの、笑みだったが。
「少しきつい言い方だった」
「・・・・・・」
 今度はエルリアが言葉をなくす番だった。
 少しの沈黙の後、やっと思い当たったのかにこりと微笑む。
「レイヴは優しいのですね」
 にこにこと微笑んで自分を見る天使に、レイヴはどういう顔をしていいのか分からず結局いつものむっつりとした表情になる。
 真っすぐにそんな事を言われたのは、初めてだった。
 それに、それを優しいというならば、そう解釈するお前の方が優しいのだと返したかった。けれどそんな事をレイヴが口に出して言えるわけがない。
 言っても決して彼女は馬鹿にして笑ったりはしないだろう。
 しかしそんなふうに誰かと優しい時間を持つのは、過去の罪が許さないに違いない。
 そう、レイヴは思った。
 自分はそんなふうに暖かく流れる時間を、普通の人間のように享受する資格はないのだから・・・・・・。
「エルリア?」
 レイヴは、突然立ち上がった彼女を見上げた。エルリアは火の周りを回ってレイヴの横に移動してくる。ふわりと隣に座った。
 その時に彼女の翼の端が、優しくレイヴの腕に一瞬だけかかる。
「こうしていても、かまいませんか?」
 隣に座り込んだ彼女が、レイヴを見上げて微笑んだ。
 優しい、優しい瞳。黒い瞳がこれだけ優しく感じられることを、レイヴは初めて知った。
 彼女が敏感に、自分の苦しみに気づいて思いやってくれているのが分かった。
 癒される気がして。
 癒されることこそが、決して許されない罪悪に感じて。
 レイヴはそれをわざと拒否して、冷たく顔を背けた。
「勝手にすればいい」
 感情のない、突き放したような声。
 今度こそ傷つけた。
 そう思ったのに。
「はい」
 返ってきたのは、本当に嬉しそうな声。
 レイヴがちらりと見ると、エルリアはにっこりと微笑み返す。
 レイヴはそれに目を背けた。
 レイヴはそれから決してエルリアの方を見ることはなかったが、隣にある柔らかな人の気配が彼女の存在を告げていた。
 夜が静かにふけていく。
 気弱で憶病な女。そう思っていた。
 しかし彼女の強さに、レイヴは気づき始めていた。



END


BGM■Sol La
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