ヒカリノアメ




「雨ってこんな匂いがするんですね」

ずっと昔にも聞いたことのある言葉は
やはり光の色の少女から発せられたものでした。



つい先刻から降りつづける雨の飛沫をまといながら、少女はそう言いました。
ふと、乱雲の立ち込める空を見上げると
空からは幾筋もの光のような雨垂れが少女達を打っているのがわかります。
しかし少女に降り注ぐ雨は紅茶に落とした砂糖のように
さらさらと音を立ててとけてゆくのでした。

少女は、天使だったのです。

少女の背中に宿る白い羽はこの世界の全てのものから少女を守っているように思われました。

「天使様は、雨をご覧になられたことがありませんでしたか。」
同じように雨の飛沫をまといながら、男は言いました。
彼の髪は銀色です。
冷たい夜にかヾやく月のように
男の髪は雨を受けて緩やかな光をはっしていました。

男は、大地に足をつけます。
男は人間でした。
羽を持たない人でした。

「天界では、雨はほとんど降りません」
少女は夢を見ているように呟きました。
あるいは、それは本当に夢だったのでしょう。
誰が 夢でないと言いきれるのでしょうか。
男が少女を見つめている間も、宙を引っかいたような直線の雨達は
少女を守る羽によって少女の脇を通り過ぎてゆきます。

雨は、跳ねた泥に汚れることもない少女を打たず
それは、男の汚れた靴に降り注ぎ。

「私は天界と言う場所を知りません」
男は言いました。
ずっと遠くを見つめていたはずなのに、いつのまにか少女と目を合わせていることに気がつきます。
その視線をそっと逸らしました。
私はあなたのことをどれだけ知っているのでしょうか。
男はそうは言いませんでした。
男は気付いていました。そういわなければ話はそこで途絶えることを。
だから言葉をさらさらと降る雨のようにそっと飲みこんでしまいました。
私は、あなたのことをどれだけ知っているのでしょうか?
あなたが今私と同じ雨を共有しているのか。
私には、それすら、わからないのです。

全ての時は、ただ少女の纏う雨の飛沫のように。
流れ流れて、ただそれだけで。

それだけだったのに。



「・…天使様は雨をご覧になられたことがありませんでしたか?」
男は言いました。
少女はそっと微笑みました。
男も。そっと雨にぬれた少女に外套をかぶせながら微笑ます。
「私は、雨を知りませんでしたから。」
少女の頬を 滴が一筋、流れてゆきます。
「こうして雨にぬれるということ。
 地に足をつけるということ。ぬかるんだ土。
 身体の重さを、大地に預けると言うこと。」
そう。それらも全て、全部、全部。
あの時かわした同じ言葉。同じ時間。
汚れた靴。濡れた光の色の髪の毛。
同じ。同じ。それでも決定的に違ったもの。
翼が少女を守っていたならばずっとわからなかったであろうことたち。
「ずっと────。
 あなたを守ります。きっと。」
そう言うと男はそっと少女の手を取りました。
もう、視線を逸らすこともありません。
やがて来る乱雲の途切れ、雨の終わるとき。
それは長い雨を経てようやく流れ出した時間。
それから少しのあと、乱雲は途切れ

インフォスの大地には光の色の雨が────降り注ぎます。
                                      
  


                             END