この広い世界の何処かで 後編




それは、一日だけの魔法。
『忘れない。』
日が沈むまでの、限られた時間。それだけが許された刻。
『君との約束は決して忘れない。』
それでも。
『必ず・・・エアリス。』
それでも、貴方に逢いたかった。

教会を出れば、外は雨が降り始めていた。

パタン、パタンと不規則なリズムで庇に雨の滴が落ちる。
「濡れるな。」
まだ小雨だが、エアリスに風邪を引かせる訳にもいかない。
そう思ったと同時に、隣でポン、と小気味の良い音が聞こえる。
「?」
何の音かと見ればそれは、エアリスが傘を広げた音だった。
「・・・用意がいいな。」
「フフ、これね、プレゼントして貰った傘なの。でもなかなか使う機会がなくて。」
「プレゼントね・・・・・・。」
一体誰から?とは、言えなかった。大人げ無い嫉妬だから。
代わりに、眉をしかめる・・・一瞬だけ。
「あれ、ヤキモチ?」
目敏くそれを見つけたエアリスが、弾んだ声で尋ねる。
「・・・。」
「どうなの?」
「映画、早くしないと始まるんじゃなかったのか?」
「もう!はぐらかすなんて卑怯だよ!」
まったく、言わなくても解るだろうに、どうして言わせたがるのか。
女心というのは、どうも理解出来るものではない。
それでも、
「・・・・・・妬いてるよ。」
先程までの声よりもずっと小さな声で言う。
エアリスは一瞬動きを止めて、それから驚いた様に私を見上げた。
「本当?」
「信じられないかね?」
「ううん、嬉しい!」
満面の笑みを浮かべる彼女と反対に、私は照れ臭さから苦笑いをした。
そして、あくまでも彼女が濡れないように傘をさす。
「さぁ、行くか。」
「うん。」
頷きながら、エアリスはその白い手を私の腕に絡めてきた。
「お、おいエアリス・・・。」
狼狽する私を無視して、彼女はこう囁いた。
「ツォンと腕組んで歩きたいって、ずっと思ってたの。」
どこまでも強引に進めてくる。
おかしい、と思う。
エアリスの調子が、あまりにも今までのそれと違うのだ。
けれどそれに対して何も言えない、むしろそれを喜んでいる自分にも気付いていた。


・・・やはり夢なのだろうか?

 

「何処に座ろうか?」
問うてみて、それが愚問であったことに気付いた。
映画館の中は、思っていたよりもずっと空いていたのだ。
どうやら封切られてから随分と経過している作品らしく、雨宿り代わりに入った者がほとんどのようだ。
そんな輩ばかりであるのだから、勿論内容などそっちのけの者ばかりである。
眠るもの、恋人同士で語らうもの・・・そんな中、エアリスは夢中でその映画を観ていた。
笑えるシーンでは笑い、泣けるシーンでは泣き・・・本当に感情豊かだと改めて思う。
私はそんな彼女の場面毎にくるくと良く変わる表情と映画を交互に観ていた。
作品の内容としては、仕事に忙しい男と、それを待ち続ける女が、喧嘩をしたり、女が他の男と付き合いそうになったりとして・・・こう言うと面白味も何も無いが、実際そうとしか私にはそうとしか言えない。
映画のラストといえば、結局は男が出先で事故に遭い、女は男への思いを再確認する。
最後に男が生きて帰ってきて、ハッピーエンド・・・というものだった。
そして、スタッフロール。
スクリーンを覆うカーテンがゆっくりと動き出す。終劇だ。
映画館を出てエアリスが、ほぅ、と感嘆の息を漏らす。
「いい映画だったね。」
「ん、ああ。そうだな。」
生返事を返してしまった私に、彼女は困った様に肩をすくめた。
「やっぱりツォンにラブストーリーを観せるなんて無理があったのかしら。」
「・・・ひどいな。」
「実際そうなんだから、仕方ないよ。」
「まぁ・・・言い返せないな。」
「でしょう?」
そこで顔を見合わせて、私達は笑った。


他愛も無い会話だった。が、そんなこともここ数年では交されることもなかった。
それは何時からか、追う者と追われる者としてだけの関係になっていたから。
幼女であった彼女が成長していく様を眺めるのは、嬉しくもあり、何とも複雑な心情を私にもたらした。
エアリスはたまたま偶然、空から舞い降りた美しい小鳥の様なものだ。
何時かは私の目の前から飛び立ち、広く青い空に行ってしまう。
解ってはいた、だからこそ深入りするのが愚かであることも。
けれど、それでも目が離せなかった。
想いは募るばかりで、それを隠す為に自分を隠した。
そうしなければ、壊してしまいそうだったから。
彼女との関係も、神羅においての自分も、何もかもすべてを。
破壊する勇気は、私には無かったのだ。


エアリスの笑顔を眺めつつ、私はそんな事を考えていた。
「ツォン、どうかした?」
「いや・・・何でもない。」
「そう?ねぇ、ところで今何時?」
エアリスの声を聞きつつ、私は腕時計に目を落とした。
時刻は夕方5時を半ば以上過ぎていた。
「もうすぐ6時だ。」
私の答えに彼女は一瞬驚いた顔をし、「もうそんな時間なの」と独り言の様につぶやいた。
そして、
「ね、行きたい所があるの。構わない?」
一緒に来て欲しい、と懇願する。
「ああ、別に構わないよ。」
どうせ病院から無断で抜け出した身だ。怒られるならもはや何時であろうと変わるまい。
第一、今日のエアリスは何処か変だ。
そもそも教会に現れたこと事態がおかしいのだが、それにしたっておかしい。
一瞬でも目が離せない。離してしまえば二度とは彼女と逢えない気がする。
かくして、私達は外に出る。
曇り空は相変わらずだが、雨は小康状態なのか止んでいた。

 

エアリスは、伍番街のゲート前で立ち止まった。
ポケットに手を入れ、中から一つ鍵を取り出す。私はそれに目を丸くした。
「何時の間に持っていたんだ?」
彼女が持っているのはゲートを開ける鍵だ。
ミッドガルから出ることを許されなかった彼女がどうしてそれを持っているのか。
やはり、クラウド達から貰ったのだろうか?
問いかけにエアリスは口元に人さし指を近づけて言った。
「これね、借り物なの。しかも無断で。」
それ以上は追及しないでね、と暗に示したいのだろう。加えて、
「夕日が沈むのを見たいの。どうしても、ツォンと見たいの。」
言いながら、ゲートの鍵を鍵穴に差し込む。
カチリと音を立て、ゲートはすんなりと開いた。
「・・・行ってくれる?」
懇願するような眼差しでエアリスは私を見た。
けれどそんな顔をされなくても、私はとうに決心していた。
「・・・ああ。行こう。」
どうしても、行かなければならない。
長年の直感という訳ではないが、そんな思いに私は駆り立てられていた。

ミッドガルから外に出て、ようやく今日は晴れていたことを知る。
一歩踏み出す度に人工の暗さから自然の明るさへ、枯れた大地が緑のそれへと変わってゆく。
少し歩いて、丁度カームの手前辺りだろうか小高い丘に登った所で私達は止まった。
「ほら、ツォン!見て!」
エアリスが指差す先で、赤い夕日が沈もうとしていた。
ここからだと、夕日は海に沈んでいくように見える。
一見それは蜃気楼の様だ。まるで、幻。
「奇麗ね。」
しっかりとした声でエアリスが言う。
「メテオが近づいているのに、星は傷ついているのに・・・世界にはたくさんの奇麗なものがある。この夕日も、緑も、世界で生きるすべての動植物・・・人間も、みんな奇麗。」
『ひと』という単語に私は反応した。
「人間も、奇麗?君が嫌ったミッドガルを作った者達も奇麗だと、君は言うのか?」
少し意地の悪い問いかもしれない。けれど聞かずにはいられなかった。
しかしエアリスは全く動じない様子で、私の方を振り返る。
彼女の背後で夕日は落ち続け、逆光が眩かった。
「奇麗だよ。」
はっきりと、毅然と言う。
「なら、君は何を以って人間を奇麗だと言うんだ。君は・・・君を傷つけた者達すらも奇麗だと言うのか?」
私は、本当に聞きたかった事を聞いた。後半の言葉こそが、本音。
エアリスはそんな私に向かって微笑む。
「・・・誰だって、心の中に奇麗なものを一つは持っているよ。それは家族だったり、恋人だったり、仲間だったり・・・いろいろだけど。それがあるから、人間は生きてゆけるの。大切な存在を、守ることも、戦うこともできるの。それって、すごいことじゃない?」
「・・・けれど、私は守れなかった。」
何よりも大切な存在を。
「君を、守れなかった。」
それは告白だった。
長い間、ずっと秘めたままの想いをこんな形で伝えることになるとは。
私は、エアリスを見る。彼女の答えを、待つ。
拒絶覚悟のそれに、彼女は何処までも穏やかに言った。
「・・・知っていたよ?私、ツォンがずっと私を守ってくれていたこと、知っていた。」
そこで私ははっとする。
エアリスの瞳の淵に光るものがあったのだ。
「でもそれを絶対にツォンは私に言ってくれないのも知ってた。だから私、何も言わなかった。・・・私、ツォンが好きだから。」
エアリスの頬から、一筋涙が落ちた。
「エアリス。」
喉が乾いている訳でもないのに、声が掠れている。
そんな私に、エアリスはこう言う。
「私は、ツォンが好き。誰よりも、一番好き。」
そこで私はやっとのろのろと腕を広げ、彼女を抱きしめた。
想いを込めて。きつい程に。
暖かく、柔らかな彼女。幻でも、なんでもない。「・・・愛してる。」小さく、幾度もそれを囁く。
これ程の激情が自分の中にずっとあったのかと驚く位に。
・・・何時までそうしていただろう。
腕の中のエアリスが私を見上げて微かに笑い、それから夕日の方に目を向けた。
「・・・もう時間になっちゃう。」
悲しげにうつむいた。
「時間・・・か。」
なんとなく、エアリスが言いたい事が解った。
夢の終わりの時間が、近づいているのだ。
「・・・ねぇ。」
うつむいたまま、エアリスが言う。
「何だね?」
「さっきの映画のクライマックスのシーン、覚えてる?」
「ああ・・・一応。」
つい先程、観たばかりのものだし暗記は得意だった。
おおまかな台詞なら覚えている。
「じゃ、やってみようよ。」
言いながら、エアリスはゆっくりと顔を上げた。
涙は、ない。それを見て私は安堵した。
ああ、やはり彼女だ・・・と。

「『貴方は何時もそう。仕事だ、って言っては私の所から離れてしまう。』
『でも、貴方考えたことあるの?私が貴方のいない所で別の誰かを好きになることもあるかもしれないのよ?それでも貴方は平気なの?』」
スラスラと感情を込めてエアリスは言った。
まるきり、あの時の映画のヒロインと同じ仕草をする。
「『大丈夫だよ。他の誰が君を想おうと、本当に君を愛しているのは俺だけだよ。』」
負けじと、私も演じる。我ながら良い出来だった。
エアリスは一瞬嬉しそうに笑って、それから演技を続けた。
二人だけの、ワンシーンを。
「『・・・ほら、そうやって笑って誤魔化すんだから。何時も、何時だってそうね。貴方って人は、私が何処か遠くに行っても、まったく動じないのでしょう?』」
ここで、ヒーローは言うのだ。この映画での決め台詞を。
「『この広い世界の何処かにいる君を、必ず捜し出してみせる。』」
「・・・本当に?本当に捜し出してくれる?」
エアリスが、小さく尋ねる。
それは、もう映画の台詞ではなかった。
ヒロインではない、エアリス自身の問い。
いきなりの変化を、しかし私は冷静に受け止める。
「ああ、本当だ。例え君が何処に行こうと、君を探し出してみせる。」
「海の中でも?」
「勿論。」
「雪崩の多い雪山でも?」
「余裕だ。」
「何処であろうと、必ず?」
「この広い世界何処であろうとも・・・ここまで言っても信じてくれないかね?そもそも私を誰だと思っているんだ・・・私は。」
「タークスのツォンだ、でしょう?」
「・・・ああ。」
そこでエアリスは噴き出した。私もそれに笑いで応える。
「そうだね・・・ツォンならきっと私を探し出せる。ねぇツォン、私ね・・・この世界を癒す旅に出るの。」
「癒しの・・・旅。」
彼女は頷いて、その両手を組み合わせる。
祈りの形だった。
「メテオのことなら大丈夫。クラウドは、きっとセフィロスを助けてくれる。だから、そこから先は私の役目。星を癒して、みんなが笑って過ごせる世界にする為の手助けをするの。風になって、世界を駆け巡るの。」
エアリスの変調に気付いたのは、まさにその時だった。
夕日の逆光だけではない、彼女自身が輝き始める。
それは、何故か知っている色だった。魂の何処かで知っていたのだろうか。
森にも似た、緑の光。
ああ、と気付く。これはエアリスの瞳の色だと。
その光が強くなる程、エアリスの実像がぼやけ始める。
たまらず、私は彼女の名を呼んだ。
「エアリス!」
彼女はそれに微笑みながら、言う。
「忘れないでね。」
「・・・忘れない。」
おうむ返しに答える。
「私のこと、私がこの世界に生きたこと、覚えていてね。約束よ?」
「ああ、君との約束は忘れない。必ず、君を探し出す。」
あてのない答えだった。けれど、不思議な確信はあった。
この世界で風として駆け巡る彼女を、私はきっと見つけ出すだろう。
彼女を、エアリスを想い続ける限り、きっと。
まさにエアリスが消える一瞬前、私達はどちらからともなく口づけた。
触れるだけの、優しいキス。合わせた唇は暖かで・・・。
そして、丘には私だけが残される。
否、目の前に消えたエアリスの代わりに一つのマテリアがあった。
不思議なことにマテリアは空中に浮かんで、くるくるとゆっくりと回転を繰り返す。
「これは・・・エアリスのマテリア?」
何時も、幼い頃から彼女が髪に留めていたあの緑色のマテリア。
掴もうと指を伸ばした瞬間、それはふわりと消えた。
そうして私は気付くのだ。エアリスが私の前に現れたのは、きっとあのマテリアの力だと。
根拠などなかった。けれど、確信があった。
夕日は、とっくに沈み、空はもうすっかり暗くなっていた。星が空をきらめき始めている。ピルルル、と電子音が胸ポケットで響く。
そうしてやっと、私はそれまで立ち尽くしたまま自分が動けなかった事に気付いた。
しつこく鳴り響くそれを、ゆったりとした仕草で取り出す。
「・・・はい。」
「やーっと、繋がったぞ、と。」
呆れ混じりのその声はよく聞き馴れた部下、レノのものだ。
「ああレノか。どうした?」
「・・・何言っているんですか、と。重傷の癖に病院抜け出して・・・随分と音波が悪いみたいですけど、今何処にいるんです?」
どうやら、抜け出した私を探しているようだ。
それにしたって今まで通じなかったのに突然電話が繋がるとは・・・。
「魔法の一種、かな?」
電話口で苦笑する私を、レノはおかしく思っただろう。
「と、とにかく早く神羅ビルに来た方がいいぞ、と。報告によると、ウェポンがこっちに近づいてきてるらしいから・・・。」
「ウェポンが?ミッドガルに?」
「そうだぞ、と。ハイデッカーやスカーレットのお姉ちゃんはシスター・レイを持ち出してどうこうするとか言っているみたいですけど、タークスの主任はアンタなんだから早く俺達に指示を出して頂きたいんですがね、と。」
レノの声に、私は一呼吸置いてから答えた。
「好きにしろ。」
「・・・どういう意味で、ですか?」
それまでふざけ半分だったレノの声がワントーン低くなる。
「そのまま、だよレノ。タークスとしてふさわしいと思う行動を、お前達なりに取れ。」
「・・・・・・解ったぞ、と。」
「ああ。」
そう言って、電話を切ろうとしたその時。
「そうそう・・・主任。」
レノが何かを言おうとしていた。
「何かね?」
「また会って酒、呑みたいですね、と。」
その言葉の裏の意味を私は気付いていた。
要するに、遠回しにこう言いたいのだ。『お互い死ぬような真似はするな』という事。
「そうだな・・・。」
「ウータイに、なかなか洒落た店があるんです。料理も最高ですよ。」
じゃ、と電話の向こうでレノが言って会話は終わった。
再び胸ポケットにそれをしまい込み、私はゆっくりと歩き出した。
そうして空に向かって囁く。
「この広い世界の何処かで、か・・・待っていろよ、エアリス。」
答える声は無い。

それが、夢の終わりを示していた。


END