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いま 貴方にここに居て欲しい |
「……でね、リュシアンも頑張ってるみたい」 十字の墓の前で、リラはえへへ、と笑いながら続けた。 「だから、大丈夫だよ、リンギットさん」 王国の一級騎士。若き国王リュシアンの腹心にして友であったリンギットが命を落としたのは、半年前のことである。 半年前悪魔王クルゼーロの策略により、魔物と人間の全面戦争は互いを滅ぼし尽くすまで拡がろうとしていた。それを食い止め、クルゼーロを倒したのは一人の少女。 リラ・シリング。 彼女と、そして彼女を助け支えた者たちによって、今の平和はもたらされた。 魔物と人間の共存する世界へと、未来は進んで行こうとしている。 「……リンギット、さん」 リラの笑顔が消えた。 彼女が彼の元を訪れるのは、いつも一日の終わり。 その日の出来事を、彼に報告する。 それはクルゼーロを倒してから、彼女が毎日続けていたことだった。 「こんなの、私のキャラじゃないよね」 リラの唇が、上手く笑顔を作れずに震える。 「半年も、たつのにさ。こんな、毎日、貴方に心配かけちゃうなんてさ」 笑顔でいても、やはり最後には泣きそうになってしまう。 奇跡なんてないと分かっているのに。 彼は決して帰って来はしないのに。 死んでしまって、いるのに。 『さようなら、私の可愛いリラ。……愛していますよ』 蘇る、最期に見たリンギットの優しい笑顔。敵へと切り込んで行った、その後ろ姿。 穏やかで強くて。何でもできそうだったけれど本当は、女性を口説くのが得意な国王と共にいることが多かったくせに、そういうのが大の苦手で。照れ屋で。 好き、だとか愛してるとか。可愛いとか。 そんなことを上手く言える人じゃなくて。 それなのに。 最期に、あんなふうに微笑んで。 「でも、リンギットさんだって、悪いんだからね……」 リラに魔物と人間の共存の願いを、そして主リュシアンへの手紙を託し、追いかけてきた敵を防ぐように扉の向こうに姿を消した。 リラは彼の願いをかなえるため、そして何より魔物と人間の戦いを止めるために、リンギットを置いて脱出するしかなかった。 だから、知らないのだ。 彼の最期の姿を。 聞いたのは、彼が死んだのだということ。そして、彼を殺したという女の言葉だけ。 リラは、リンギットの遺体さえ見られなかった。 クルゼーロを倒した後、彼女が対面できたのはこの墓だけ。 「死んじゃったなんて、分かってるけど、分かんないよぉ」 リラの視界が涙で歪む。 どうして、いてくれないの。 そばに、いてくれないの。 誉めてもらうために戦ったわけじゃない。魔物と人間の共存と平和を望んだのは、リラ自身。 だから願いは、かなったはず。 理性では分かっても、思ってはいけないことだと分かっていても。 それでも。 あんなに頑張って、頑張って。戦って。その報償がこれではあんまりではないか。 「こんなこと思うの、間違ってるよ。だけど、しかたないじゃない。私、わがままなんだもん」 大切な人を失ったのは、自分だけじゃない。 きっとリンギットならば、こんな自分を叱ってくれるのだろうが。 リンギットさん……。 「リラ・シリング?」 突然、声をかけられて、リラは乱暴に目元を拭った。 その声は彼女が良く知る、国王のもので。 「お前も墓参りに来てくれたのか」 声はどんどん近くなり、リラのすぐ背後まで来た。 振り向かないリラに、リュシアンは怪訝に彼女の傍らに立つ。 涙の跡を見られないように、リラは微かに顔を背けた。 「リラ?」 「……何よ」 「何って……。どうした?」 「どうもしないわ」 「どうしてこちらを向かない」 「…………」 涙の跡が乾いていることを願いながら、仕方なくリラは顔を上げた。 リュシアンは小さく息を呑む。 夕日が眩しいとはいえ、彼が、女性の涙の跡に気づかないわけがなかった。 リュシアンはリラが日参していることは知らない。 リラは特別、リンギットのことをリュシアンに言ったことはなかった。 「お前が、そんなにリンギットのコトを大事に思ってくれていたとは知らなかったよ」 静かに、リュシアンは言った。 リンギットを失って、一番傷ついているのは自分だと思っていた。 大切な臣下であり、同志であり、そしてただ一人本当の友だった男。 「……まだ、ちゃんと謝ってなかったよな」 リンギットがリラの裏切りで死んだと聞かされ、それを信じてしまった。 「お前がそんなにあいつのことを大事に思ってくれてたのに、俺はお前が俺たちを騙したのだと責めて。お前の言うことを嘘だと……」 「……最後は、分かってくれたんだから、いいよ」 「すまなかった」 「リンギットの方が嘘つきだよね」 リラの声の震えより、その内容にリュシアンは驚く。 彼の知る限り、リンギットは絶対に嘘は言わない男だった。 リラの目は真っ直ぐに、リンギットの墓に刻まれた彼の名を見ている。 けれどその胸に浮かんでいたのは、約束を交わしたあの日のことだった。 父親や母親に心配をかけたくなくて、誰の前でも泣いたことはなかった。それなのにこんな時に、リンギットと親しいリュシアンと会ったからだろうか。 リラの中で、感情がはじけた。 「----私のこと、幸せにしてくれるって約束したのにッ!」 「!」 「戦いが終わったら、平和になったら、ずっと一緒にいてくれるって! 絶対に幸せにするって! 言ったくせに!!」 リラの瞳を、涙が、溢れては流れ落ちていく。 誰にも言ったことのない言葉。リンギットの----この墓前でさえ、決して言わなかった言葉。 「どうしてここにいないのよ! どうして、どうして側にいないの!? どうしてッ」 「リラ!」 泣き叫ぶリラを、リュシアンは堪らず後ろから抱きしめた。 リュシアンの腕の中で、リラは泣きながら目を彷徨わせる。 「……ねぇ、もう一度言ってよ。『私の可愛いリラ』って。『愛している』って。もう一度、ちゃんと、言ってよ……リンギット……」 ここにいてよ。 抱きしめてよ。 私を、抱きしめてよ。 「リンギット……」 「……リラ。リラ……すまない……すまない、リラ……」 すまない、リンギット……。 リュシアンはすすり泣くリラを抱きしめながら、目を閉じた。 自分がもう少し正しい目をもっていたなら。もう少し早く策略に気づいていれば。 そうすれば、大事な友も、心惹かれた少女も、二人とも幸せになれたはずなのだ。 自分の前で、大切な二人が並んで笑っていたはずだった。 「……すまない……」 夕日が地平に完全に消えるまで、リュシアンはリラを抱きしめていた。
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