Courtship〜求愛〜  V

「何を、馬鹿な!」
 軍団長の声は震えていた。
 その反対に、彼の前に立つレオニスは酷く冷静に見えた。
 軍団長は、息をつくと、レオニスの視界を苛々と歩きまわりだした。
「――全く、全く、こんな時に!」
「・・・・・・・・」
「この国が、いや、世界がどうなろうかと言うときに、こんなことをまさか君が言い出すとは!」
「――受理をお願いします」
「できるわけなかろう!?」
 軍団長は、バン、と机上を叩いた。
 それでも、レオニスは揺るがない。
「もう決めたことです。本人の意志が固い場合、たとえ上層部の反対があっても30日以内に自動的に受理される決まりのはず」
「本気で退団するつもりかね! 騎士の位を返上すると!」
「はい」
「――ッ。君は! 君の騎士の誇りはどうした!? 国への忠誠は!! 部下への義務は!!」
「・・・・・・・・・」
「――亡きマリーレイン様への誓いはッ!!」
 彼女の愛した国を守ると。自分の命にかけても、彼女の大切なもの全てを守ると。
 それが、レオニスが彼女の墓前に誓ったもの。
 しかし、軍団長のその言葉にも、レオニスの表情は動かなかった。
「わたしには。――今のわたしには、その誓いさえ意味のないことです」
「なッ!」
 軍団長は言葉をなくす。
 普段のレオニスからは考えられないことだった。
 たとえメイという新しく愛する女性ができていても、故人への想いは思い出として残っている。
 かつて愛した人の大切なものを守るのが、彼の選んだ道でもあった。――もちろん、それだけではないが。
 騎士として生きること、民を守ること。それはレオニスにとって当然のことであり、そして自らの誇りでもあったはずだ。
 しかし今、彼はさもそれらが価値のないことのように言う。
「な、な、何を、言っておるのか、分かっているのかね・・・・」
「今のわたしには無意味だと申し上げました」
 失いたくない。
 レオニスの心を占めているのは、もはやそれだけだった。
 メイを、失いたくない。
 彼女を、守りたい。
 ただ、それだけ。
「騎士のわたしでは、愛する人を守ることができない」
 それができないなら、騎士であることの全てを捨てるまでだ。
 メイを失わずににすむのなら、他には何もいらなかった。
 軍団長は疲れたように首を振った。
「・・・・・30日ぎりぎりまで受理されることはないと思っていてくれ。気が変わったら、いつでも――」
「1日もはやく受理下さい」
「・・・・・受理が決定すれば、使いを送ろう。ただし、受理されるまでは、君はこの国の騎士であることを忘れるな・・・」
「・・・・・・・わかりました」
 レオニスは失礼します、と一度頭を下げてから踵を返した。
 レオニスが軍団長の執務室の扉を開けたとき、軍団長の力のない声が追ってきた。
「・・・・・君は、以前、わたしが・・・メイ=フジワラとこの国ではどちらが重いかと、どちらを選ぶと聞いたとき、この国だと言った」
「・・・・・・・・・・」
 レオニスは振り返らない。
「・・・・・あれは、嘘だったのかね?」
「――いいえ」
 そう、あの時は。
「本気でした」
 短く言って、レオニスはそのまま部屋を出た。
 あの時はメイより国が大切だった。
 そうでなければならなかった。――騎士として。
 だが。
 レオニスは館を抜け、騎士団宿舎へと向かう道に出た。
 メイが災厄の原因だと知った時から、彼女を失うのだと思った時から、自分は本当の意味で騎士ではなくなったのかもしれない。
 そう、レオニスは思った。







 騎士団宿舎の自分の執務室の前に、レオニスはシルフィスとガゼル、そしてキールの姿を見つけた。
「隊長!」
 シルフィスの声に、ガゼルとキールが弾かれたように顔を上げる。
 レオニスは彼らに近寄った。
「どうした」
 メイのことが耳に入ったのかもしれない、とちらりとレオニスは思った。
 シルフィスは顔色をなくしている。
「メイがッ。・・・・・・メイが、災厄の原因だというのは」
「まだ確定ではない」
 そう、「まだ」。
 言葉を失ったシルフィスに代わって、ガゼルが口を開いた。
「――隊長は、どうするんですか」
 レオニスは、静かに息をついた。
「騎士の位を返上する」
「――ッ」
 シルフィスたちは息を呑んだ。
 しん、と執務室の前の廊下は静まり返る。
 それを破ったのは、キールの漏らした苦笑だった。
「――そこまで覚悟を決めているのなら、何も言うことはありません」
「・・・・・・・・」
「失礼します」
 誰の返答も待たずに、キールはその場を一人去って行った。
 レオニスは、まだショックから抜けられない様子のシルフィスとガゼルを見た。
「お前たちは、もう一人前の騎士だ。何をなすべきかは自分で決めるんだ」
「・・・・そ、れは。――もしもの時は、友人よりも国を選べということですか・・・・ッ」
 苦痛に満ちた声を、シルフィスは上げる。
 レオニスの答えは、真実だからこそ冷たいものだった。
「それが騎士だ」
「・・・・・・隊長ッ」
 ガゼルの目に、レオニスは少しだけ表情を緩めた。
「お前たちには、すまないと思っている。退団が受理されるまでは、わたしが隊長なのはかわりがない。――執務に戻る」
 レオニスは言って、執務室へと消えた。
 ガゼルは、クッと空を殴った。
「――なんで、こんなことになるんだッ」
「・・・・ガゼル・・・・」
「――オレは隊長の敵になるために、騎士になったんじゃねぇのに・・・・!」
「まさか。・・・・そんなこと・・・・・」
 否定してみせるシルフィスの言葉も弱かった。
 あのレオニスが騎士をやめると決めたのだ。それだけ、メイの状況は危険だということだった。
 ガゼルは、強く拳を握り締めた。
「――隊長は、メイを守るために騎士をやめるんだ。だったら、オレたちが騎士である限り、隊長と戦わなくちゃいけない事態は十分有り得る」
「・・・・・・隊長は、そこまで覚悟なさって・・・・」
 騎士団を敵に回す覚悟を。
 シルフィスは、応えのない執務室の扉を見つめた。
 ガゼルも、もう何も言うことはできなかった。
 
 

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