降り積もる雪のように 

                  それは ゆるやかに降り積もる
                      この雪のよう。





 

                   

 今日は少し体調が悪い。
「・・・・・熱、でもあるのかな」
 こんな日は、おとなしく寝ているほうがいいのかもしれない。
 そう、メイは思ったが、やはりいつものように出かける用意をしてしまう。
 彼女の、最近の日課。
 騎士団宿舎へ寄って、隊長の顔を見ること。
「・・・・だってさー」
 誰も聞いていないのに、一人で言い訳してしまう。
「――素敵なんだもん」
 見た目、だけではなくて。もちろん、見た目も最高に格好良いけど。
 そう言って、自分で自分に照れる。
 ぺた、とメイは自分の額に手をあてた。
「うん、そんなに熱くないし」
 大丈夫!
 胸の中で元気よく言って、メイは部屋を出た。



「――また、ですか」
 レオニスはふうと息をついた。
 執務室の扉の前で、レオニスは招かれざる客の相手をしていた。
 他の人間なら、いいかげんにしろと怒鳴りつけている所だか、忠誠を誓う王家の姫相手ではそうもいかない。
「どうしてそう姫様は、殿下と喧嘩をなされるたびにそういうわがままをおっしゃるのです」
「まあ! 酷いですわレオニス! わがままだなんて」
「何度も申し上げておりますが、姫様に剣を教えることなどできません」
「どーして、わたくしには教えられないんですの!」
 セイリオスの過保護ぶりに、時々ディアーナは耐えられなくなるらしい。
 お忍びに出かけるのに見つかって、何度か言い争ううちに、最近は護衛をつけるならいいとセイリオスは言い出したのだ。
 護衛つきでは自由に遊ぶことなどできるわけもない。
 そう訴えるディアーナに、セイリオスは彼女の友人のメイやシルフィスを持ち出して諭すのだ。
 曰く、メイのように魔法が使えるわけでも、シルフィスのように剣が使えるわけでもないのだから。と。
「――そのくせ、お兄様は、わたくしに絶対に魔法も剣も習わせてくださらないのですわ!」
「それは姫様の身を案じていらっしゃるからこそです。練習とは言っても、どちらも怪我をすることはよくあるのですから」
「レオニス! レオニスはどちらの味方ですの!?」
「――姫様。魔法も剣も、身につけるのは容易いことではありません」
「うー。でも・・・・そ、そうですわ! わたくしが剣を使えたら、普段でももしもの時に自分で身を守れますでしょう?」
 ディアーナは言って、胸をはった。
「王族のたしなみ、ですわ!」
「姫様・・・」
「もう、レオニスっ」
 くってかかろうとしたディアーナは、磨きぬかれた床に足を滑らせた。
「きゃあ!」
「――っ」
 レオニスが王女を床に転ばすわけもなく。
 余裕で、ディアーナを抱きとめる。
 レオニスの胸で、ディアーナはほっと息をついた。
 そんな様子が可愛らしい。
 レオニスはふっと瞳を優しく細めた。
 わがままもあるが、微笑ましい姫であることには違いはない。
「わたしが姫様をお守りします」
 それが騎士の務め。
 レオニスはディアーナを立たせた。
 まだ頬を膨らませるディアーナに、言う。
「それからシオン様もおられます」
「だから、剣は必要ないって言いたいのですわね」
 むーとディアーナはまだ言い足りない顔をしていたが、これ以上言って、レオニスを怒らせるのも嫌だった。
 表情を変えて怒られたことはないが、なんと言っても、目が怖い。
「・・・・しかた、ないですわ」
「あ。隊長?」
 通りがかかった騎士が、声を上げる。
 騎士は、王女の姿を認めてあわてて頭を下げた。
 レオニスがそんな騎士を見る。
「どうした?」
「あ、いえ。・・・・さっきメイさんがいらしてたので、隊長のところかと思っていたのですが」
 レオニスのそばにメイがいなかったことが不思議だったらしい。
 ガゼルやシルフィスがいた訓練場には顔を出した後だったので、他に用がある所があるとも思えないからだった。
「まあ・・・。メイが来てたのなら、お話したかったですわ」
「・・・・・・・」
 メイが騎士団宿舎に来て、レオニスに会わずに帰ることはない。
 何かあったのかと、レオニスは気になった。
 他の人間ならともかく、メイはレオニスにとって特別な存在だ。
「姫様」
 レオニスはディアーナを見た。
「騎士に送らせますので、王宮にお戻り下さい」
「わたくしは護衛など・・・」
 不満の声を上げかけるが、レオニスの目がすうっとキツクなるのに気づいて、ディアーナはコクコクと頷いた。






「やっぱり、こんな日は、おとなしく寝てればよかった」
 降って来た雪を眺めて、メイは息をついた。
 朝から時々雪が降っていたせいか、辺りに人影は殆どない。
 メイは、閉店している店の、軒下のベンチに腰掛けた。
 脳裏に、先ほどの見たレオニスとディアーナの姿が焼きついて離れなかった。
 いつものように訓練所のガゼルとシルフィスに挨拶をして、それからレオニスの執務室に向かった。
 廊下の角で、足が止まった。
 レオニスが、ディアーナを抱きしめていた。
 そして。
『わたしが姫様をお守りします』
 それ以上は、聞きたくなくて、そこから逃げ出した。
「よー、嬢ーちゃん」
 能天気な声が聞こえて、メイは顔を上げた。
「・・・・・・と、あんまご機嫌よくないみたいだなあ・・・」
 声をかけたシオンは頭をかく。
 メイはシオンを見上げる。
「・・・・・・首筋の右上の方、口紅ついてるよ」
「おっと? いや、まいったな」
 シオンはほんの少しもまいった様子はなく、手の甲でそれを拭った。
 メイははーっと、ため息をついた。
 ポケットからハンカチを取り出す。それに降ってくる雪を少し含ませて、シオンを手招きした。
「ほら、それじゃとれないよ」
「すまないね〜♪」
「これでも無理っぽけいど、少しはマシでしょ」
 言って、かがんで頭を寄せるシオンの首筋をそのハンカチで手荒くこする。少しずつだが、なんとかとれていく。
 はたから――とくにシオンの背中から見れば、完全なラブシーンだが当人たちはいたって無頓着である。
 メイの前にはシオンの首もとがある。機械的な作業に、頭の中は先ほどのレオニスとディアーナの方へ行っていた。
 つい言ってしまったのは、シオンの顔が見えない気安さからか。
「ディアーナって、好きな人いるのかな」
 レオニスってディアーナが好きなんだよね、とはとても言えなかった。そうだ、と簡単に返されるのが怖くて。
「・・・・・・どうした?」
 響く深い、思いがけない優しい声にメイははっとなった。
 顔を上げると、シオンと目が会う。
 メイはあわてたように笑った。
「だって、ほら、ディアーナってもてるからさ♪」
「そうだなー。アイシュとか姫さんにお熱ってやつだからな〜」
 先ほど見せた真摯な眼差しが見間違いかとメイが思うほど、シオンは冗談っぽく言った。
「ほかにも姫さんの魅力にメロメロなのは、数え切れないと思うぜ?」
「・・・・・・」
 ・・・・・・レオニスも?
 その言葉の代わりに、メイは笑う。
「ディアーナって可愛いもんね」
 胸のどこかがズキリと痛んだ。
 彼女は可愛い。美人だし何だかんだ言っても気品がある。
 それに・・・何と言うか、そういう外見的なもの以外でも魅力にあふれていた。
 女同士のメイ自身でさえ、ディアーナの可愛らしさにはドキリとすることがあるぐらいだ。
 ディアーナは決してなよなよしているわけではないのに、なぜだか他人に守ってあげたいと強く思わせる何かがあった。
 メイはディアーナが大好きだったし、何よりもそんな時は女の自分でも「守ってあげたい」と強く思ってしまう。
 レオニスのような男ならなおさらではないか?
 ・・・・・・あたしは、どうしたって「守ってあげたいタイプ」じゃないもんね・・・。
 守って欲しいと思ったことなど一度もないはずなのに、なぜかメイは悲しかった。
 強いと言われることには慣れていたし、そう言われることは嫌いじゃなかったし、強くありたいとも思っていた。
 それなのにこんなふうに、揺れる自分が嫌だった。
「だがな〜、セイルがいるから本気になったら難しいだろーよ」
 そのシオンの言葉に、メイはセイリオスを思い出してくすりと笑った。
 妹想いの皇太子。メイはセイリオスが妹をとても大切に想っていることは知っていた。セイリオスを交えてディアーナと会話しているとよく分かるのだ。セイリオスのディアーナを見る目、ディアーナに応える声は、他に向けられるものと明らかに違う。
 そこまで思って、メイはショックを受けた。
 レオニスもやはり、そうなのだろうかと。
 メイが好きな時々垣間見れる優しい眼差し、それはいつもディアーナに向けられているのか。
 メイの知らない所で、メイが知らないレオニスがディアーナの前にはいるのだろうか。
 キリキリと胸が痛んだ。苦しいほどに。
「嬢ーちゃん?」
「あ・・・。何でもない」
 嫉妬なんて醜い。特に、親友に嫉妬などしたくなかった。
 もしもディアーナもレオニスを好きなら、ちゃんと祝福できる人間でありたかった。
「―何でもないよ、シオン」
 メイの反らされた目は、足元にうっすらと積もってきた雪を映した。雪はどんどん積もってきそうだった。
 まるでこの想いみたい・・・。
 でも、とメイは思った。
 雪ならいつか、溶けて、消えてなくなる。けれどレオニスへの想いはなくなってくれそうにはなかった。
 それとも。
 メイは痛み出した頭をおさえた。
 それとも、この雪のように、いつか消えてくれるのだろうか。
 この切なさも。恋しさも。
 遠くから、シオンとメイを見ていた目があった。
 レオニスはメイを探して宿舎を出てしまったのだった。
「・・・・・・」
 ズキリと、胸が痛む。
 レオニスは無言で、その場を去ろうとした。
 しかし、シオンの声に足が止まる。
「――メイッ!?」
 がくりと力を失ったメイを、シオンは抱きとめた。
「お、おい? 大丈夫か!?」
「メイ!」
 横から、レオニスがメイを奪う。
 いきなりなことに呆気にとられたシオンだったが、フッと笑った。
「――ついた口紅をハンカチで落としてくれてたんだがな、いきなりこうなっちまって」
 レオニスが誤解しただろうことを目ざとく察して、シオンは言う。
 普段なら誤解させたままにしておくところだったが、今はメイの様子がおかしい。彼女に余計な負担はかけたくなかった。
 レオニスはそれにほっと息をつく暇はなかった。
 彼女の手が酷く熱い。
「・・・熱が高い」
「ん・・・」
 メイはぼんやりと目を開いた。
「あれ・・・・レオニス?」
「風邪か、嬢ーちゃん」
 横から言うシオンに、メイはだるい頭で頷いた。
「ちょっと、朝熱っぽかった。・・・大丈夫だと思ったのになあ」
「少し我慢しろ」
 レオニスは言って、メイの身体を抱き上げる。
 シオンはパタパタと手を振った。
「今日は、お嬢ちゃんについててやりな。お前さんの代わりに、オレが休暇届をだしててやる」
「――お願いします」
 メイが状況がつかめないうちに、レオニスは言ってシオンに頷いた。
 そして、研究院へと向かう。
 メイは、やっと状況がつかめた。
「隊長さん・・・いいから」
「よくはない。そんな熱で歩き回るからだ」
 冷静なレオニスの声に、メイはムッとする。
 熱で頭がクラクラする。頭の奥が、苦しいほど熱かった。
 そのせいか、感情が上手くコントロールできない。
「だって、隊長さんに会いたかったんだもん・・・!」
「!?」
 レオニスの驚く顔という珍しいものを、熱で朦朧としたメイは見逃した。
 力なく抵抗する。
「――もう、いいってばっ・・・降ろしてよッ」
「暴れるな。熱が上がる」
「――優しくしないでって言ってるのよッ」
 メイは、悔しくて涙が零れた。
「・・・中途半端に、優しくするなんて、ヒドイ」
「メイ・・・・」
「好きなの。・・好きなのに、諦められないじゃない。隊長さんの、バカ・・・ッ」
「メイ」
「あたし、ばっかり。好きで。隊長さんが、好き、で」
 ああ、アタシ何言ってるんだろう・・・!
 そう思うのに、メイは止められなかった。
 いつもだったら、ちゃんと我慢できるはずなのに。
 メイの瞳からポロポロと零れる涙が、熱い頬を濡らしていく。
「こんなの、ヤ。・・・苦しい、よお・・・」
 身体の辛さなのか心の辛さなのか、もうメイにも分からなくなっていた。
 苦しくて、死んじゃう・・・・。
 そうしゃくり上げて泣き続けるメイを、ギュッとレオニスは抱きしめた。
 理性で抑えなければ、抱き潰してしまいそうになる。
「――すまない」
「・・・・・・」
 ああ、やっぱり振られたんだ。
 そう、抱きしめられながらメイは思った。
 しかし、少し腕の力を緩められたのに気づいた時、いくつものキスが降って来た。
 熱い額を、頬を、流れる涙を、瞼の上を、そして、唇を。
 優しいキスが降る。いくつも、いくつも。
 目を開けると、いつもは遠い青い目が、優しい色で間近にあった。
「・・・・隊長、さん・・・」
 呟くメイの唇に、再び軽くキスをおとしてからレオニスは彼女をしっかりと抱きなおした。
「わたしがお前に伝えられなかったせいで、辛い想いをさせた」
「ん・・・あたし、夢、見てる・・・?」
 ぼんやりと、メイはレオニスの整った顔を見上げる。
 熱と、たくさんのキスのせいで、彼女の意識は途切れる寸前だった。
「部屋につくまで、眠っていたらいい」
「――う、ん。でも・・・・」
 半分眠りに入りながら、メイは目を閉ざした。
 広くて暖かい胸が、心地よかった。
「・・・夢なら・・・・覚めないで・・・・」
「――目が覚めても、わたしはお前のそばにいる」
 レオニスは腕の中の恋人に静かに言った。
「だから、安心して眠るといい」
 優しい声を聞きながら、メイは眠りに落ちていった。
 レオニスは愛しげに、そんな彼女を見つめた。





 この想いは、増していく。


 この胸の想いは。


 それは ゆるやかに降り積もる
 この雪のよう。
 ・・・けれど決してそれは、とけて消えることはないのだろう。