この手の先に 後編



      

「芽衣!!」
 悲鳴のような声が聞こえた。
 メイは振り返る。
 そこには、買い物袋を落とした母親とその横で立ち尽くす父親。
 レオニスはそっとメイを下ろした。地面に立ったメイは、二人を見る。
「お父さん・・・お母さん・・・」
「芽衣、あなた、どこに行くつもりなの!?」
「芽衣、その男は何だ!」
 明らかに異質な衣装。精悍な整った顔も、その鍛え抜かれた体躯も、何より男の腰にある剣が、この日常とはあまりにもかけはなれていた。
 異世界。
 娘の話したそれを、信じていたわけではない。
 だが、これは・・・・・・・。
「娘をどこに連れていく気なの!!」
 悲鳴のような声を母親が上げる。
 メイはキュ、とレオニスの腕の袖を掴んだ。
「お母さん、あたし・・・」
 レオニスと行きたいの。
 その言葉はしかし、悲しみと不安に震える母親の前で出てはこなかった。
「・・・どこにも、行かないよ」
 代わりにでたのは、その言葉。
 メイはそっとレオニスを見上げた。
 泣きたくなるくらい綺麗な瞳。いつもは無愛想できつい色に見えるけれど、笑うととても優しい色になる。それをメイは知っている。
 手を離さなきゃ。
 メイは、そう自分を叱咤する。
 死んだと思っていて、そして生きていた、戻ってきた自分を抱きしめてくれた。泣いて喜んでいた両親をおいてはいけない。
 それなのに。
 震える手は、レオニスの袖から離れない。
 離さなきゃ。
 離したくない。
 行けない。
 行きたい。
「・・・あたし・・・。隊長さん、あたし」
 残る。
 笑って、言わなくちゃいけないのに・・・!
「・・・・・・」
 レオニスの手がメイのその手に伸ばされた。
 袖から離される!
 そう、メイは思った。
 この世界に残れと、今度こそ本当のさよならを言われるのだと、そう思った。
 だが。
「私は彼女を必ず幸せにします」
 レオニスの手はそのまま、そっとメイの手に添えられた。
 メイは驚いてレオニスを見上げる。レオニスはじっとメイの両親を見ていた。
「芽衣・・・・・・」
「芽衣、行きたいのかい?」
 父が静かに娘を見ていた。
 自分たちの元に戻ってきてから、落ち込んでいた娘。
 元気に振る舞っていたが、それでも気づかないわけがない。
 問う父と母の眼差しに、メイはそれでも素直に頷けなかった。
「恋人なの?」
 母親の声に責める響きはない。
 メイは反射的に首を振った。それに眉を寄せる両親に、あわてて言う。
「でも、あたしの好きな人なの! 隊長さんが、あたし好きなの!!」
 言ってから、メイは赤面した。これでは告白だ。メイはまだレオニスに想いを打ち明けてはいなかった。先ほどのバルコニーの自分の言葉が告白に等しいことを、感情が高ぶっていたためかメイは気づいてはいなかった。
 肩に、優しい重み。
 レオニスの腕が、メイの肩に回されていた。
「私もお嬢さんを愛しています」
 一瞬。
 メイはレオニスが何を言っているのか気づかなかった。
 そして。
「ええっ!?」
 場も忘れ、すっとんきょうな声を上げてしまう。
 レオニスは転げ落ちそうな瞳で自分を見上げるメイに、くっと笑ってしまう。
 笑顔はやがて優しいものになり、レオニスはそして表情を改めると、メイの両親に目を戻した。
「向こうの世界に戻ったら、結婚します」
「え!?」
 再び声を上げてしまう恋人を見、レオニスは少し笑った。
「―もちろん、嫌でなければだが」
「嫌なわけないじゃない!!」
 まるで獲った大魚を必死で逃がすまいとするような、彼女の即答と必死の様子に、メイの両親も思わず笑みを漏らしてしまう。
 くすくす笑い出す両親を、メイは見た。
「あ、あの・・・・・・」
「いいわよ、行っていらっしゃい」
 その目には涙が浮かんでいたけれど。
 母親は微笑んでいた。
「幸せになりなさい」
「娘を・・・お願いします」
 父は、そう異世界の男に頭を下げた。
 メイの瞳に再び涙があふれる。
「お父さん・・・お母さん・・・・・・ありがとう・・・!」
「・・・・・・場が限界だ」
 レオニスが静かに言う。
 彼らの足元に光の魔方陣が走る。
「・・・芽衣・・・。また、会えるわね?」
 男としっかりと手をとって光に包まれる娘に、母親が身を乗り出す。
 メイは明るく笑って見せた。
「もちろん!!」
「「芽衣!!」」
「あっちで今にもの凄い魔導士になって、いつでも簡単に行き来できるようにして見せるから!」
 彼らが愛した、元気いっぱいの娘の声。
 やがてまばゆい光に、完全に二人の姿は見えなくなる。
 妻の肩を夫がそっと抱いた。
「孫の顔・・・・・・見せてくれるのを、待っていようじゃないか・・・」
「ええ・・・そうね・・・」
 光は完全にメイとレオニスを包んでいる。
「ちょっと、派手じゃない!?」
 叫ぶメイをレオニスは胸の中に抱き込んだ。
「・・・本当は一人分しか使えない魔方陣だからな」
「って、それ大丈夫なのー!?」
「大丈夫だ。・・・おそらくな」
「おそらくって・・・ちょっと、血ぃ出てるよ!」
 青くなって身を離そうとするメイだったが、レオニスはそれをさせない。
 次元を越える二人の周りを切りつける風が、レオニスを傷つけていく。
「隊長さん・・・っ。レオニスってば!」
「じっとしていろ」
 レオニスは更に深く彼女を抱き込む。
 レオニスに比べてあまりのも華奢で小柄な彼女は、すっぽりと彼の腕のうちにおさまってしまう。
 だって血が、と強く胸に押しつけられた状態で叫ぶメイの言葉は、くぐもって声にならない。
「・・・・・・」
 ふっ、と風と圧力が消えた。
 レオニスがゆっくりとメイを解放する。
 明るい日差しに、メイは目を細めた。
 吹き上がる優しい風。
 青く晴れ渡った空。
 かすめるのは緑の匂い。
 眼下にもう見慣れていた街並み。
「・・・戻って、来たんだ・・・」
 そして、あ、とレオニスを振り返る。
「レオニス、怪我は!?」
「・・・・・・かすり傷だ」
「待って」
 メイはレオニスに手をかざした。
 目を閉じ、治癒魔法を唱える。
 魔法を唱え終わった時、す、と軽く、だが確かな感触が唇をかすめた。
 メイはバッと目を開ける。
「いいいい今、今っ」
「街に戻るぞ。キール殿たちが心配している。・・・・・・違う場所に転移してしまった」
 本来なら魔法研究院に転移するはずだったのだ。二人だったので移転位置がずれてしまったのだろう。
 だがメイはそんな話は聞いていない。
「あた、あたしに、キス」
「・・・・・・行くぞ」
 レオニスはそんなメイにかまうことなく踵を返そうとする。
「こぉら!」
 メイはだだ、とレオニスの前に回り込んだ。
 赤面しつつも、びし、と指をつきつける。
「あたし、初めてだったんだからね!!」
 非難の色に、だがレオニスは動じていない。
「・・・嫌だったか」
「嫌なんじゃなくて! だって、初めての、その、キスだよ!? あ、あんな不意打ちみたいな、そんなんじゃなくて、もっと、ちゃんとした―」
 乙女の夢というものが分かっていない。
 初めて、というのは誰だって夢があるものだ。
 メイは嬉しいのだが、無性に腹立たしかった。
 だがメイの言葉は最後まで続かなかった。
 くい、とレオニスがメイを軽く上向かせると、身を屈めたのだ。
 さら、と風がメイの髪を揺らして行った。
 しばらくして、静かに唇が離れる。
 夢心地にぼんやりと自分を見上げる少女の頬を軽く指でなぜ、レオニスはかすかに笑んだ。
「ちゃんと?」
 少々意地悪い声音に、メイはハッと我に返る。
 赤くなりながらも、レオニスを睨む。
「根性悪い〜」
 この世界のいい男はみんな性格に難があるのか。
 メイはそううなってしまう。
 レオニスは、は、と笑った。
 それはメイが初めて見る種類の彼の笑顔で。
 驚いたメイの様子に、レオニスは怪訝な表情になる。
「どうした?」
「そうやって笑うと、レオニス、可愛いね」
 天下無敵の少女に、レオニスは言葉に詰まる。
 しかえしか?
 そう思ってしまうのもこの場合いたしかたない。
 にこにことメイは笑っている。
 レオニスは少し息をつくと、かすかに笑んだ。
「行くぞ」
 そう、差し出された手。
 メイは満面の笑顔で応えた。
「うん!」
 彼の手に手を伸ばす。
 触れ合う手。
 二人は示し合わせたわけでなく、小さく笑みあった。
 この手の先に互いが見えるから。
 もう決して迷わない。
 その手を離さない・・・・・・


                                End