passion

 「―よお」
 藤原煉(ふじわら れん)が、体育館に入って来た俺を見つけてニッと笑った。
 俺の名前は、高村良(たかむら りょう)。
 この学校でバスケットボール部に所属している。
 煉とは同学年だ。一度も同じクラスになったことはないが、お互い一年の時か
ら関東のホープと騒がれていたから自然と一緒にいることが多くなった。
 部活の時間は外野が多い。特に女子生徒は押し合って俺たちバスケ部の練
習を見ているのが常だった。
 だれが目的かと言えば、俺と煉である。・・・・・・どちらのファンが多いかと聞か
れれば、煉の方だと言うしかないだろう。
 煉の身長は普通の奴よりかなり高い。だが、俺は煉よりも1センチも高い。
 自分で言うのも何だが、顔の良さも奴に負けては・・・。
「なんだ?」
 俺がじっと見ているのに気づいて、煉がこちらに近寄って来た。
 切れ長の目、形のいい眉。不公平なぐらい誰もの目をひく整った顔だった。だ
が決してそこに軟弱さはない。
 ・・・・・・やっぱ、ほんの少しだけは負けてるかも。
 そんなことを思う俺に、煉は「変な奴だな」と呆れたように言う。
 まあ、顔は僅差で負けているとして、俺ははっきり言ってスポーツ万能―まあ、
バスケットは別格だが―だ。それはこの煉も同じ。
 それなにのになぜこうも注目度に差が出るのかといえば、奴が頭もいいからだ。
 学校では間違いなくトップだし、全国区でも上位にいる。特に数学なんか、楽し
いらしい。俺にはまったく理解できないことだ。
 俺は詳しくは知らないが、空手と剣道の腕前もかなりなものらしかった。
「高村」
 煉は言って、軽く手の中のボールを投げてきた。
 俺は反射的に、それを受け止める。
 煉は笑った。
「いつまでぼーっとしてる」
 外野の女子生徒たちが、煉の笑顔に黄色い声を上げる。
 以前はそこまでではなかったが、一度俺と煉が雑誌で取り上げられてからは、
まるで何か勘違いしているとしか思えない女子が増えた。
 芸能人じゃないっつーの。
 ただ、こうして騒がれるのが部活時間だけに限られるのが救いだが。さすが
に、クラスや通学中に団体の女子に追いかけられることはない。そう考えると、
こうやって騒いでいるのは、団体の気安さと、一種のストレス発散な気もする。
 だがその女子たちも、煉が一瞥するとすうっと静かになる。なまじ顔が整って
いるものだから、冷たい―無表情な―こいつには妙に威圧感がある。
「お兄ちゃん!」
 女子をかきわけて、妹の幸が駆けてきた。
 俺の前に来ると、ちらりと煉の方を見て赤くなってから、俺にタオルを差し出
す。
「忘れ物」
「お、ありがとな」
 俺はそれをありがたく受け取った。
 幸もいつも部活を見学に来ている。兄の俺を見に来ているわけではもちろん
ない。
「あ、あの、藤原先輩」
 俺に向けるのとは全く違う可愛い声で、幸は言った。
「明後日の日曜日、お兄ちゃんと遊園地に行くんですけど、一緒に行きません
か?」
 おいおい。
 そんな話聞いてないぞ妹よ。
 俺は内心あわてるが、ここで否定するほど鬼兄ではない。とりあえず黙って
おく。
 煉はいつもの無表情で、幸を見下ろした。
「日曜日は芽衣と映画に行く約束がある」
 お前も、約束したんじゃなくて無理やり決めたんだろーが。
 そう、煉のことを分かっている俺は内心つっこむ。
 芽衣というのは、煉の姉貴だ。
「あの、それじゃ別の日でも・・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・遊園地がお好きだって、聞いたんですけど・・・・・最近よく行ってい
るって」
「芽衣が好きなんだ」
 つまりは、遊園地が好きな姉のために、一緒に行っていたにすぎないと言
うのだ。
 真面目な顔で、きっぱり言うこいつは理解できん。
 案の定、幸は絶句している。
 話には聞いていても、実際にこう返されるとショックが大きいのだろう。
 俺は芽衣さんの方は、結構煉をうっとうしがっているのを知っているので、
どうせ映画とやらも強引に承諾させたのだろう、と思う。
 煉は、いわゆるシスコンなのだ。
 そうそう完璧な人間などいないという、いい例だろう。
 以前あった有名な話だが、煉に嫉妬した先輩がシスコンなのをあざ笑お
うと、教室の中のクラスメイトたちの前でこう言ったのだ。
『お前、実の姉貴が好きなんだってな〜?』。
 普通の神経の持ち主なら、あわてるなり、怒るなり、恥ずかしがるなりす
るところだ。
 ところがこいつときたら。
『そうだ』。
 そういつもの無表情で返したらしい。結局気圧されて、先輩たちはそれ以
上何も言えなかったとか。
「そうですか・・・・・・」
 がっかりした妹の声に、俺は我に返った。
 煉が断るのは予想していたが、その後が予想外だった。
 煉が、幸に申し訳なさげに少し笑んだのだ。
「悪いな、高村さん」
 優しい目で見られて、幸はかあっと赤くなる。
 我が妹ながら、可愛いところがあるもんである。少しかわいそうな気もする
が、幸の煉への気持ちが「ファン」という域から出ていないのを知っているの
で、俺は無理に煉に頼んだりしなかった。
 第一、煉の芽衣さんへの想いを俺は嫌というほど知っている。
 俺は、ボールを煉に渡した。
「俺まだ柔軟してないから、先始めててくれよ」
「手伝おうか」
 煉はそう言って、ボールを脇に置いた。







 部活の帰り、俺と煉はたいてい一緒に軽く飯を食う。
 腹が減るからだ。
「高村、今日はやめとく」
 そう、煉が言った。
 俺は頷く。どうせこういう時は、決まっている。
「姉貴んとこか?」
「ああ」
 校門を並んで出ながら、煉が思った通り応える。
「今日は遅くなるって言ってたから、迎えに行く」
「今度の日曜は映画だっけ?」
「そうだ」
 心底嬉しそうだった。そうやって笑っていると、大人びた顔が歳相応に見
える。
 かなり前に妹に言われるまで気づかなかったのだが、煉は他の奴の前で
は殆ど表情を変えない。クールで、人を近づかさせない雰囲気さえあった。
 部活の時にやたら女子生徒が集まるのも、その時だけは笑ったりするから
だと幸は教えてくれた。それは、俺が一緒にいるからだ・・・・・・と思う。
 俺と一緒の時は、そんなにクールな感じはしない。むしろ、奴がかなり短気
で切れやすく、熱くなりやすいのを俺は知っていた。


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