趣味の園芸



    

 (・・・ゴミ袋?)
 それを目にしたとき、メイは咄嗟にそう思った。
 日差しも穏やかな午後。
 道端にドンと置かれて存在を主張している、真っ黒な物体。
 透明ビニール袋に変換が義務づけられたとは言え、メイの年代ではまだまだゴミ袋=黒の認識で十分通用する。現に通っていた
 女子校では、未だに奉仕活動や清掃に黒いゴミ袋を使用していた。
 しかし。
(この世界にビニールなんてあったっけ・・・?)
 いや。
(それにここって、確か王宮の裏庭よね)
 そうではなく。
(なんでひとつだけぽつーんと、ゴミ袋なんかあるの?)
「おいこら。いつまでそーやってんだ?」
 『それ』が小さく身じろぎする。
 ぼんやりと目の前の光景についてあれこれ考えていたメイは、突然響いた低い声に飛び上がるほど驚いた。
「うひょえあっ!?」
「うあ、ミョーな声だすなって」
 よっこらせ、と、いささかジジ臭い掛け声と共に、ゴミ袋然として道端に座っていた彼は立ちあがった。
 とたんにその上背はメイの頭上をはるかに越える。
「よっ、嬢ちゃん。今日もご機嫌麗しゅう」
「・・・・・・あんたもね、シオン」
 一気に脱力にしながら、メイは額を押さえてうなった。この男はいったい何をやっとるのか。
 宮廷魔道士・シオンが、黒い魔道士用ローブ姿のまま道端にしゃがんでいたのである。よく見れば、身の丈ほどもある長い髪が背中で揺れている。
 だが、いい年した大人の男が昼日中からボーッと道に座りこんでいるという姿は、ゴミ袋以上に異様な光景だ。
 目の錯覚と喜んでいいのか悪いのか。判断に苦しむところだ。
「王宮に用とは珍しいな、なんかあったか?」
 少女の苦悩などどこ吹く風。シオンはさわやかに笑いながら歩み寄ってきた。
「あ、俺に会いに来たとか?」
「ばかたれ」
 速攻で言い捨てて、メイは顎を反らせた。不本意極まりないが、こうしないと彼と目線が合わないのである。
「今日は、ディアーナとお茶会する約束なの。でも作法の授業が長引いてるとかで、それが終わるまで待ってたとこ」
 扉の前で待っているというのも味気ないので、フラフラ辺りを散歩していたら、彼に「遭遇」してしまったというわけだ。
「ほー、仲のいいことで」
「・・・で?あんたは何してるの?」
 メイはチロッと目を細めて彼を見やった。
「少なくとも仕事じゃないでしょ? 誰か、女の人と待ち合わせしてるとか」
「あのなー。そんなに俺がヒマ人で女たらしに見えるのか!?」
「見える」
 身もフタもなく言い切るメイ。はあ、とわざとらしいため息をついて、シオンは肩をすくめた。
「悲しい誤解だなぁ、そりゃ」
「現実に基づいた真理でしょーが」
「・・・・・・ぐ」
 再びシオンはため息を漏らす。今度は相当にダメージをくらったらしく、その声は重かった。
「俺にとっちゃ、けっこう大事な仕事なんだけどな。・・・ここ見てみな」
 言って、彼は先程まで座っていた場所を指した。
「・・・?」
 つられてメイの視線はシオンの指先をたどる。そこにあるのは、ナラノキの陰に作られた小さな花壇。
 まるでこのために作られたというように、たったひと株、黄色い花が咲いていた。
「わ・・・!」
 それを見てメイは思わず歓声を上げた。真っ直ぐ伸びた茎の上で、クリームイエローの花弁が繊細なレースのように広がっている。
 姿勢のいい貴婦人を思わせる可憐さと清冽さ。文句無しに美しい花である。
「きれーい!!」
「リコリスの一種。黄色はちょっと珍しいもんなんだぜ」
 どこか嬉しそうにシオンが説明する。
「こいつにはちっーとばかし苦労させられた。どうもクラインの土壌と相性が悪いらしくてな。球根を手に入れたはいいが、なかなか花が咲いてくれなくて」
「でも、咲いてるじゃない?」
「春からずっと研究してな。原種を調べてそいつに近い環境を整えたんだ。俺の庭だと日当たりが良すぎた」
 いつのまにか、二人とも花壇の前に座り込んでしまった。
「んで、王宮の裏庭が適当だってんで、ここに移したワケ」
「・・・勝手にそーゆーことやっていいの?」
「人聞きの悪いこというなよ、ちゃんと庭師の許可は取ったぜ。ま、呆れられたけどな」
「・・・・・・」
 そりゃそうでしょうよとメイは心の中で呟く。
 どこの世界に、自分の職場にまで趣味の園芸を持ち込む奴がいるというのか。さらにそいつの本業は魔道士というから頭が痛い。
「まあ、怪しい草花ってわけじゃないのが唯一の救いよね・・・」
「そういうモンは執務室の中だけにしてるから。セイルの奴がうるさくてなー」
「・・・・・・・・・あっそ」
 もはや、脱力する気力もない。
「嬢ちゃん見てみな、この花には葉が無いだろ?この種のやつは、地下から突然茎だけ伸びてきて花を咲かせるんだ」
 楽しそうに講釈をたれているシオンを、メイはそっと横目で見やった。
(・・・ヘンなひと・・・)
 顔はいい。はっきりいってすごく好みだ。
 だが、なんとふざけた性格であることか。この男と比較すれば、なにかと非常識だといわれる自分の性格も、そう問題ないのではと思えてくる。
 保護者である魔道士・キールにそう言ってみたら、彼の返答は以下のとおりであった。
「・・・・・・そりゃ、あのヒトを常人の基準にすること自体、間違ってる・・・・・・」
 過去、よほどひどい目にあわされたのか。キールの口調と表情は真剣そのものだった。
(ま、一緒にいると面白いから、いっか)
 後日降りかかる予定の災難を知らないメイは、呑気にそう思った。
「んで?やっと咲いたーって喜んでたんだ?」
「ん?まあ、そうだな」
 わずかな間を聞きとがめ、メイの眉根が寄せられる。
 少女のまっすぐな視線に気づき、ごまかしモードに入ろうとしていたシオンは、ややあって諦めたように苦笑した。
「ちょっとな、考えてた」
 濃い飴色の瞳を花に向けたまま、彼は独り言のように言う。
「手を尽くせば、どんな花でも俺の庭で咲く。って、そう思ってたんだがな。こいつ見てたらどーも、そうとも言えなくなっちまった」
 この花には、植え替えただけで魔法も手も一切かけなかったのだと、シオンは笑った。
「それでもこんなに奇麗に咲きやがる。いや・・・俺が手を出さないのが良かったんだな。俺がいろいろやってたら、こいつの美しさは損なわれたかもしれない。こんなふうにさ、何もしないでおいたほうが花の為になるってこともあるんじゃないかな、と」
「・・・それって、人間のことも言ってる?」
「・・・さあね」
 指先で花びらを弾きながら、シオンは彼にしては下手な逃げを打った。
 メイは軽く首を振る。
「誰のことだか知らないけどね」
 可憐な花を揺らす風が、その芳香を運んでくる。
 それは、以前修学旅行で行った高原の匂いによく似ていた。
「あんまり難しいこと考えないで、愛でてやれば? 花って、咲いて喜んでくれる人のために咲くって言うでしょ。どんなに奇麗に咲いても、それを喜んでくれる人がいなきゃ意味が無いって。そりゃー、人の手をかけないほうが奇麗に咲く花だってあるだろうけどさ。そういう時はこんな風にそーっと見守って、咲いたときにめいっぱい愛でてあげれば、あたしはそれでいいと思うよ。花だって、この人のために頑張って奇麗に咲いてよかったなって、そう思うんじゃないかな・・・」
 正しい答えかどうかは分からない。 だがメイはそれだけ言って、あとは口をつぐんだ。
「・・・・・・」
 花の香りがする沈黙は、思いのほか心地よかった。
「・・・・っ、くくく・・・・」
 喉の奥で詰めたような笑いが聞こえたのは、その三秒後。
「にっ・・・似合わねぇ・・・!ぜったいガラじゃねーって!!」
「悪かったわねえええええ!!!」
 抱腹絶倒するシオンを渾身の力で殴りつけ、メイは憤然として立ち上がった。
「人が真面目に話してりゃ、あんたって男はぁ!!
 も、ぜーーーーったい!!あんたなんかと話してやらないっ!!」
「あ、そりゃないなあ。俺はこんなに楽しいのに」
「あたしは楽しくないっ!!」
 げらげら笑っているシオンに、メイは噛みつかんばかりの勢いで怒鳴った。
 その時。
「メーイーっ、シオーン、二人で何してますの〜?」
 のほほんとした声が頭上から振ってきた。
 見れば、二階のベランダから身を乗り出すようにして手を振っている人物がいる。
「ディアーナ!」
「メイーっ、お待たせしてごめんなさーい、やっと終わりましたわ!」
 後ろではらはらしている女官たちには目もくれず、ディアーナ姫は満面の笑顔だった。
「どうぞ上がっていらして、今日のメニューはショコラケーキですのよ!」
「ひゃほーっ、やったあ!!」
 甘いものに目が無いメイは、とたんに機嫌を直した。
「シオンもごいっしょにいかが?」
「姫さんのお誘いとあれば喜んで、と言いたいとこだが・・・」
 思いっきり嫌そうな顔をしている傍らの少女を見やって、シオンは軽く苦笑した。
「どーも嬢ちゃんのご機嫌を損ねちまったようなんでね、今日は遠慮しとく」
「またですの〜?貴方も懲りない人ですわね」
 面白そうにコロコロ笑うディアーナ。
「それじゃメイ、さっそく始めましょう! シルフィスはもういらっしゃってますわよ」
「おっけー、すぐ行く!」
 言うが早いかメイは駆け出す。その背中に、シオンは涼やかな声をかけた。
「またなー、嬢ちゃん」
「だーれーがっ!!」
 少女は一瞬振り向いて、大きく舌を出して見せた・・・。


「やれやれやれ・・・無知ってのは凶器だな」
 少女が去った木陰の庭で。シオンは心底楽しそうに呟いた。
「・・・んじゃ、ま。じっくり見守らせていただきますかね」
 何せ、花本人がそうお望みなのだから。しがないガーデナーとしては、仰せに従うよりない。
 蕾をつけたばかりの花。早く咲かせてみたかったが、己の力で自然に咲きたいというなら、いくらでも見守ってやる。
 それで一番奇麗に咲くのなら。
 少しばかり忍耐が必要だろうが、それもまた楽しいだろう。
 そのかわり。


 花が咲いたら、覚悟しろよ?


 異世界から来た小さな花は、そんな思惑などつゆ知らず、幸せそうにショコラケーキをほおばっていた。


                                             END