きっちん☆きっちん



      
 少女は気合いを入れて台所に立つ。
エプロンはお気に入りの桜色、腕まくりも完璧、目にかかる前髪はヘアバンドで留めている。
 彼女の出で立ちにぬかりはない。
「今日は何にしようかなっ」
 頭に何か浮かんだらしい。
 手始めに、すちゃっと包丁を手にして野菜をまな板に転がした。

 この家の主人は好き嫌いがない。
 軍人の常だと言うことなのだが、それでもやっぱり張り合いがない。
 たまには一品、依怙贔屓なまでに“美味い”と言わせたい。
 街でどっさりと買い込んだ材料を、藤原芽衣は勢い良くキッチンカウンターに拡げた。
「だいたい、何がいい?って聞いて、いつも“何でもいい”って言うのは反則よね」
 とんとんとんとん。
 ぶつぶつと言いながら野菜を切っていく。
 少々いびつだが、まあ自分的には合格なので問題無い。

 週に一度か二度程、芽衣はこうやって彼のために料理を作る。
 忙しい彼が自宅に戻ってくる頻度がその程度なので、毎日作りたくても出来ないのだ。
 いつも何も言わずに食べてくれるのはある意味ありがたい。
 だが恋する少女としては美味いとかすごいとか色々言ってもらいたい。
 たとえ料理が苦手でも。
 これは女の意地である。

 切った野菜を入れて鍋を火にかける。
 やがて沸いた湯が蓋をつつく楽しそうな音が響いてきた。
「もう少し、好みを言ってくれるといいのになー」
 独り言に没頭している芽衣をよそに、鍋のつぶやきはだんだん文句に変わってくる。
 ぐつぐつぐらぐら、ぶしゅっ。……いやな音を立ててお湯は吹きこぼれた。
「きゃあっ、ちょ、ちょっと待ってよっ」
 鍋は普通待ってはくれないものである。

 慌てふためいて火を弱めても、時既に遅し、鍋の中のお湯はもはや半分ほどに減っていた。
「やっちゃったぁ。あー、あたしってどうしてこう………ま、いっか」
 せっかくのシチューがこれでは少なすぎてしまう。ルーを入れる前なだけマシか。
 芽衣は水を足してさらに煮込み始めた。
 今度は注意して弱火で。
 このくらいの失敗なら全然問題は無いだろう、うん。

 野菜はことこと煮込まれている。
 人参もジャガイモもロールキャベツももろともに。
 同時に煮込んだら当たり前。
 柔らかいジャガイモから注意報。
 蓋をしていて気づかない。

 ぱっと見、まったく問題のない鍋に味を付け、さらにルーを溶かした芽衣はしばし考える。
 このシチューをもっと美味しくするには。
 彼に美味しいと言ってもらうためには。
 そういえば昔、向こうの世界のテレビコマーシャルでやってたっけなー。
 少女は何を思ったか、
「………………………………愛情ぉ」
 鍋蓋開けてぽそっと囁く。
 これぞ究極の調味料。
 赤面するのは本人と、火にかけられ過ぎた鍋ばかり。

 家の主が帰宅して、ささやかな食卓に灯がともる。
 芽衣はそこではたりと気が付く。
 煮溶けた野菜、焦げた底。
 さっき蓋を開けたときはこんなじゃなかったと。
 慌てる少女をよそにして、レオニス・クレベールはいつもの通り平らげる。
 寡黙な騎士は文句も言わず、全て綺麗に食べきった。

「次こそ美味しいって言わせてみせるからねっ」
 芽衣は手を振り、門限に向かってダッシュした。
 騎士はそんな少女を柔らかな微笑で見送る。
 角を曲がって消える背中に、台所に立っていた時の姿が重なる。
 『愛情ぉ』
 帰宅するなり聞こえたそれを思い出して、レオニスは思わず赤面し、赤面した自分に苦笑する。
 彼女の料理は愛情入り。
 いつだって不味いわけが無い。
「……………………次に焦げなかったら………言うか」
 ぽりぽりと頭をかいて家の中に戻る彼の表情は、照れくささでいっぱいであった。

 週に一度か二度、少女は騎士の家にやってくる。
 それが毎日“帰ってくる”になるのもそう遠くはないだろう。
 もしそうなったらと鍋、思う。
 ただでさえ酷使されて黒こげなのに。

 ………あつあつすぎて鍋底抜けそー………。

 鍋の受難は始まったばかり。