| 雨に哭く鳥 |
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| 私は今まで思っていた。 茶色に輝く、あの小さな鳥は。 強くしなやかな羽を持っているのだと。 いつも自由で元気で気まぐれなのだと。 明るい太陽の光が良く似合うのだと。 光が満ちる昼間に良くさえずるのだと。 だが。 だが私は知ってしまった。 あの小鳥が本当に哭くのは。 いつも―――雨の日だけなのだ。 ピィー……チチチ……… 鳥のさえずり声に、レオニスはゆっくりと目を開けた。とたん射し込む強い光に、目を細める。手で光を遮りながらレオニスは身を起こした。急速に覚醒していく頭を軽く一振りをする。だがレオニスはベッドから降りようとはしなかった。顔にかかる黒くつややかな髪を掻き揚げながら、ため息をつく。 最近いつも寝起きが悪い。いつも同じような夢ばかり見るからだ。原因はいやというほど分かっているのだが、レオニスはそれを解消する術を知らなかった。その現象はおとといの、雨の日から始まっていた。そしてたった2日で、確実にレオニスを蝕もうとしていた。 レオニスは瞼を閉じる。そして閉ざされた、暗い闇の中に映るのは――― 再びため息をつき、そしてぽつりとつぶやく。 「まずいな……」 ばさりと長いコートを翻し手レオニスは家のドアを開けた。今日はあの方の命日なのだ。相変わらず外は日差しが強く、レオニスは外に出るなり目を細めた。そして毎年買っている花屋に行き、そして毎年買う白い花束を今年も買う。漂うかぐわしい匂いに、しばしレオニスは酔う。それは毎年変わらない、毎年繰り返される、一種の儀式。 人通りの多い町中を歩いて、レオニスは教会へ向かう。その時ふと視線を感じ、レオニスは足を緩めた。レオニスは剣術の達人だ。自分を見つめる眼差しに気づかないはずがない。素早く神経を集中し、あたりを振り返ることなくうかがう。数秒そうした後、わずかに息を抜く。どうやら敵意ははないようだ。 だが強く、レオニスをその視線は追っている。 さりげない動作でレオニスは近くの店のショウウィンドウに映る、相手の姿を盗み見る。そうして気づく、自分の後方にひょこひょこ見える濃い茶の髪に。見覚えのあるその髪に、レオニスはすぐにそれが誰だか分かった。彼女らしいと、レオニスはかすかに口元を緩める。 彼女のことだから、ずっと自分の後をついてくるだろう。それはレオニスが大切に想う、あの方の存在を彼女に知られることを、意味していた。レオニスはそのようになるであろうと分かっていたが、あえて彼女を咎める気にはならなかった。 それどころか彼女になら、あの方のことを教えても良いと、思っていた。否、知ってもらいたいとすら思い始めていた。 このような自分の心の動きに、レオニスは少なからず動揺した。だがあえてそれを追求しようとはしなかった。その意味を知ることに怯えている自分がいることを、レオニスは知っていた。知っているからこそ、しようとはしなかったと言っても良い。そんな臆病な自分を、レオニスは自嘲気味に笑う。 お前は全く成長していない。 心はあの日で止まったままだ。 いつまでも臆病なままで、ふるえている。 かすかに目を伏せ、だが次の瞬間にはレオニスは毅然と顔を上げ、教会へと向かっていた。鳥が遠くで鳴いている。それはレオニスには、まるで臆病な自分を嘲笑っているかのように、感じられた。 教会の裏の墓地は通りとは反対に人気がなく、ひっそりと静まり返っていた。だがあのつよいと感じられた日差しはここでは柔らかく、そして優しくあたりを包みこんでいた。木の葉は涼しげに揺れる。そんな中、墓地は一種の神聖な場と化していた。 その中をレオニスは慣れた足取りで、進んでいく。向かうは、あの方のところ。あの方の墓は墓地の中の最奥にひっそりとあった。その墓は、王家の者である為さすがに一番大きかったが、豪奢ではなく、故人の人柄を思わせるような、洗練かつ静かで静謐的な雰囲気を持っていた。 あの方の墓の前に立ち、レオニスは静かに手に持っていた白い花束を置くと、目を閉じた。そうして想いにふける。毎年この時と聖誕祭だけが、レオニスがあの方との想い出に浸り、そしてあの方に語り掛けることを許される、唯一の日だった。いつもはあの方の墓の前に立って目をつぶるだけで、何も考えなくてもあの方のことを思い浮かべることができた。だが今年は。 今年は違った。目をつぶり、想い出すのは、茶色の残像。雨の降る日にのみ哭く、小さな鳥。細くてきゃしゃな羽を震わせ、雨に打たれるのを、雨に蹂躪されるのをただ黙って甘受している、あの小さな茶色の鳥。 レオニスは愕然とした。慌てふためき、そして否定しようと、もう一人の自分が心の中で必死にもがく。 何故だ!? 違う、そうではない! 私はあの方を今でも想っている。 なのに何故! 何故、こんなにもあの娘が思い出されるのだ? 混乱するレオニスを、その時ふわりと温かい光が包んだ。まるで、闇の沼に囚われたレオニスを助けてくれるかのように、ほわりと闇の中に灯る。一瞬レオニスはびくりと身体を震わせた。 そうして聞こえる、あの方の懐かしくも恋しい声。聞いただけで、レオニスの心は泣き出しそうになる。その声は、レオニスの心の中に、優しく優しく響いた。 (認めなさい……) 聞いた瞬間、凄まじい衝撃がレオニスを襲う。あの方が言われた内容に、レオニスは目の前が真っ暗になり、自分が奈落の底に突き落とされるかのようすらに感じられた。よろけそうになる身体を、レオニスは自制心と気力のみで必死に支える。だが心の中は、嵐が吹き荒れているかのようだった。 認める? 何をだ? 私は貴女を! それが、―――違うと? 何度も何度もレオニスはあの方に問う。どうしてそのようなことをおっしゃるのか、と。レオニスがどんなに叫んでいても、だがあの方からの応えは何もなかった。呆然と、レオニスは立ち尽くしていた。 そうしてどれぐらい経っただろう?徐々にレオニスは衝撃から立ち直り、冷静になってあの方のお言葉を反芻してみた。 私があの方を捕らえていると思っていた。あの方が私を捕らえていると思っていた。だがあの方は、それを否定する。それは違うと、私を促す。 目の前を、ふわりと光がよぎる。光はあの方の姿をとり、そうしてレオニスに微笑みかける。光が指差すのは、新たにレオニスの心に生まれた、今は小さな小さな想い。 それに触れることを怖がるレオニスに、光は優しく微笑み、そうして彼の手を取りその小さな茶色い想いの方へ、緩やかに誘導する。それでもためらうレオニスに、光は優しく優しくささやいた。 (認めなさい……) そうして光は軽くレオニスの背を押した。ただ光りは軽く押しただけなのに、レオニスは何かに突き動かされるかのように、想いのところに向かった。そうして、恐る恐るそれに手を伸ばした。それはふわふわと温かくそして柔らかく、レオニスを優しい気持ちで満たした。レオニスは想いを壊れ物を扱うかのような手つきで、抱える。すると、目の前に広がるのは、その想いの結晶。 哭いている。 あの小さな鳥が、哭いている。 鳴かずに、それでも心は張り裂けんばかりに哭いている。 思わず抱きしめたくなるほどきゃしゃな、その身体。 必死に衝動を自制した自分の心を、誰が知りえるであろう? 自分に気づき振りかえるその顔は、いつもと何ら変わるところがない。 ただ雨に濡れて愁いを帯びた、あの茶水晶の瞳以外は。 瞬間捉えられた自分の心。 その時生まれた小さな想い。 溢れんばかりの勢いで、それらはレオニスを包み込み、そして満たした。レオニスは硬く硬く目を閉じ、そして耐える。だがついに、レオニスは屈服した。認めざるを得なかった。あの日あの時彼女に会ったそのときから、閉じ込めていた想いを。 光に向き直り、未だ苦悩の表情を浮かべながら、レオニスは認めます、と短く小さくうめいた。絞り出したその声は、ひび割れていたがしかし確かなものだった。レオニスの声に光りはふわりと、あの緋色の姫に良く似た笑顔を浮かべ、そしてしゃらんと鈴の音を思わせるような涼やかな音色をたてて、消えた。 その時にはもう凪いだ海の様に静かな心で、レオニスはそれを見ていた。そうして消えた光にささやく。 この想いを今はもう認めよう。だがもう一度、雪の降る季節になったらここに来よう。その時もう一度、自分の心を貴女に問おう。そしてそれでもまだ想いが変わらぬものであるならば、その時こそこの茶色の想いを解き放とう。 小さな小さな笑みを浮かべて、ゆっくりとレオニスは目を開ける。そうして射し込むのは、暖かな日の光。この時でもまだ背中に、レオニスはあの少女の視線を感じていた。そのことを確かめるようにレオニスは数秒そのままでいた後、きびすを返してあの方の墓から静かに離れた。 立ち去るレオニスを追い駆けてくるのは、彼女の視線。それを感じながら、レオニスはそれでも彼女に声をかけることなく、そのまま街へと歩いていった。 知ってしまったあの茶色い小鳥。 雨の日にのみ哭くその鳥を。 いつかこの腕に抱きとめて、この手で守ろう。 雨の日に独りで哭かないように。 日の光の下でいつまでもさえずれるように。 この腕の中でのみ、哭くことができるように。 |