名前を・・・



      
 誰もいない湖のほとりでそよそよと穏やかな風が見事な蜂蜜色の髪をもてあそんでいる。
 しかしシルフィスは髪がなびくのも気にしない様子でころがっていた石を手に取り湖へと投げ込んだ。
 ーパシャッ
 静かだった湖面がみだれ、そしてまた静かになる。
 久しぶりに感じる静けさは緊張した心をときほぐしてくれていた。

「・・・・シルフィス、待たせたな」

 そういって近づいてきたのは鍛えられた体躯に整った顔だち・・・・
 たぶん二人で街中を歩けば振り向かない人などいないだろう。
 事実、一人ずつでも良くも悪くも有名な二人が想いを結んでから
 それが噂にならない訳もなく、特にシルフィスはアンヘル種という以上に好奇の視線にさらされていた。

「隊長、・・・・・いえ、そんなことは」

 隊長と呼ばれた男、レオニスはほとんど感情を表面に表さないがその瞳には優しさといとしさがやどっていた。

「・・・・ほら、これは大丈夫だ」

 そういって差し出されたのは野生の果実であった。いくら今まで騎士団で鍛えてきたからといってやはり分化中の身体ではあまり無理もできない。休日を利用して少しでも好奇の目から逃れるべく郊外の湖に来たまではよかったがシルフィスの疲れを敏感に感じ取ったレオニスは疲れをいやせるようにと今まで口にできる果実を探しにいっていたのだった。

「ありがとうございます」

 そういって、受け取った果実を口にいれる。果実はほのかに甘く体内の疲れをいやしていった。

「シルフィス、おまえは・・・・・」

 レオニスが言葉を突然止める。シルフィスは最初は次の言葉を待っていたがやがてレオニスが言葉を止めた理由を察知した。

「静かにしてろ」

 そう言い置くとレオニスは何気ない調子で立ち上がる。その瞬間木陰に隠れていた獣が飛び出してきた。
 腰から剣を抜き、的確に一太刀・二太刀浴びせる。あっという間に勝負はついた。見守っていたシルフィスもほっと一息ついた時、突然もう一匹が反対から飛び出してきた。

(「剣は・・・・・ない。逃げるしかない!」)
 思わず立ち上がりかけた時、レオニスが叫んだ。

「ふせろ!」

 逃げだそうとする神経を必死にとどめ、身体をふせる。
 すると、ヒュンと風を切る音がし、その直後にドサッと何かが倒れる音がした。

「もう、いいぞ」

 身体を起こして見ると、レオニスの剣がもう一頭の獣につきささっている。
 レオニスは剣を獣から抜き、血をはらって鞘に戻すと近づいてきて、シルフィスに手を差し出した

「隊長、・・・すみません」

そういってレオニスの手を取る。そして立ち上がろうとした瞬間、レオニスに腕を引っ張られて気がついたらレオニスの胸へと倒れ込んでいた。

「す、すみません」

 そういってとっさに身体をはなそうとするがレオニスの腕に抱え込まれて身動きがとれない。

「・・・シルフィス」

 頭の上からふってくるその声に思わず赤面してしまう。

「おまえは・・・・騎士をあきらめたことを後悔しているか?」
「!!  そんなことはありません」

 思いもかけないことを訪ねられ反射的に強く否定する。
 レオニスは胸の中に抱え込んだシルフィスの顎を掴み上向かせる。
 そして視線を合わせて

「・・・ならば、私のことはレオニスと呼んでくれないか」

 さらに真っ赤になったシルフィスがうつむこうとするのを許さず、片手でその顎をとらえたままゆっくりとかがみこんだ。
 シルフィスの唇に優しく、冷たい唇を重ねる。シルフィスは何も考えられなくなって思わずレオニスにすがりつくようになってしまう。
 そっと唇をはなし、まだ陶然としているシルフィスを優しい瞳でレオニスは見つめていた。

 ようやく我を取り戻したシルフィスは耳まで真っ赤になってうつむいてしまう。
 レオニスはシルフィスを抱きかかえたまま草むらの上に腰をおろす。
 シルフィスはレオニスの膝の上にのってしまい、あわてておりようとした。

「た、隊長、はなしてください」
「・・・・ダメだ。・・・レオニスと呼べといっただろう」

 そういってはなすどころかまた唇を重ねる。シルフィスは抵抗できずにまたしてもその波にのまれてしまう。


 結局シルフィスはレオニスと呼べるまではなしてもらえず、隊長と呼ぶたびにキスをされて・・・・帰る頃にはすっかり夕方になっていたが毎回真っ赤になりながらも何とかレオニスと呼べるようになっていた。

 その数日後、今度は親友二人の前でついレオニスと呼んだことでさんざんつっこまれてよけいなことまでしゃべってしまうことになるとは・・・
 このときは誰も知らなかった。

                                       END