リリー
〜趣味の園芸〜


後編


      
「このユリってさー、なんだかディアーナに似てない?」
 お手製のサンドイッチをぱくつきながら、メイがぽつりと言った。
 花畑が見渡せる木陰に陣取り、3人はさっそく昼食を開始した。さわさわと花を揺らす風が肌に優しい、絶好のお昼寝ポイントである。
 ちなみにお昼ご飯はメイが担当。3時のおやつはディアーナが調達してきていた。
「・・・・・・・」
 果実水を飲んでいたシルフィスは、先ほどの自分の感想を見透かされたような気がして、どきりとする。
しかしメイは別に超能力を発揮したわけではなく、ただ己の直感に沿って口を開いただけのようだった。
「髪の色と花の色が似てんのよねー・・・まっ、ディアーナはこんなに儚げなイメージじゃないけどさ」
「まあっ、言ってくれますわね」
 傍若無人なメイの台詞に気を悪くした風もなく、ディアーナはコロコロと笑った。
「この髪はですねえ、お母様譲りなんですの。お兄様が言うには、お母様はそれはお奇麗で、繊細な感じの御方だったそうですわ」
「へえ〜、麗しの王妃様かあ・・・」
「私がうんと小さい頃に亡くなられたから、全然記憶にないのですけどね。お母様がいなくてもあまり悲しくないのは、そのせいですわね」
 そういえば、と姫君は急に矛先を変えてきた。
「いままで聞いたことがありませんでしたけど、シルフィスのご家族って、どんな方々なんですの?」
「あっ、それあたしも聞きたーい!」
 はいはいっ、とメイが元気よく手を挙げた。
「ええっ!?」
 急に話を振られて戸惑うシルフィス。しかし気まぐれな少女たちは、好奇心に満ちた瞳で詰め寄ってくる。
(まったく、先が読めない人たちだなぁ・・・)
 それでもそのわがままにつきあってしまうのは、彼女たちが大好きだからに他ならない。アンヘル族という特殊な人種である自分に対して、こうまで屈託なく接してくれるのは、彼女たちくらいなものだった。 
この2人の前でだけ、自分は自分でいられる。シルフィスはそう感じていた。
 変化への不安も戸惑いも、2人の元気に触れるとどこかへ飛んでいってしまう。
 『彼』だろうが『彼女』だろうが、シルフィスはシルフィス。私たちのお友達
 ―――そんな風に言ってくれる彼女たちだから。
「え、ええと、そうですね・・・」
 ちょっと照れながらも、シルフィスは結局家族のことを話し始めた。
 子犬みたいにお行儀よく座ってこっちを見上げてくる少女たちを、姉妹のように親しく思いながら。

 夏の昼は長く明るい。
 クールピンクの花に囲まれて、3人は他愛のないお喋りと野歩きに興じた。

「このお花、一輪でも持って帰ったらダメかしら・・・」
 ディアーナがそう漏らしたのは、お昼寝もおやつも一段落して、そろそろ帰ろうというときだった。
 名残惜しげにユリの群生を見ていた姫君は、つい、とシルフィスの方を見上げてきた。
 ちょっと困って唸るシルフィス。
「うーん・・・それは・・・」
「やめといたほうがいいかもねー」
 言葉を途中から引き継いで、メイがあっさりと止めた。
「どうしてですの?」
「だーって、内緒で来てるんでしょ?野生のユリなんて持って帰ったら、郊外に行ったってバレちゃうよ」
 メイの言い分はもっともで、ディアーナはしゅんとうなだれる。
「残念ですわ・・・記念の押し花にしようと思いましたのに」
 友達同士で遠出するなんて、彼女にとって初めての経験だったのだ。そしてこの先2度とない経験かもしれない───シルフィスとメイは顔を見合わせて頷いた。
「それでは、姫」
 努めて明るい口調で、シルフィスが切り出す。
「私がこのユリを何本か持って帰って、押し花にします。できあがったら、姫に差し上げますね?」
 オトメユリは普通のユリよりもずいぶんと小振りだ。気をつけてやれば自分でも押し花にできるだろう。
「本当ですの!?」
 ぱっ、とディアーナの瞳に活力が戻る。やっぱりこの人は笑っていたほうがいい。そう他人に思わせる何かが、この姫にはあった。
「はい。それなら、秘密が保てますね」
「嬉しいですわシルフィス!楽しみにしていますわね!」
 あっという間にご機嫌になったディアーナ。適当な花を見繕いながら、シルフィスはふと、もうひとりの少女の方を見やった。
「メイはどうします?ユリ、持って帰ります?」
「へ?あたし? う───ん・・・」
 形のいい顎をつまんでちょっと考え込んだ後、メイはパチンと指を鳴らした。
「うんとねー、あたしは、今はいいや」
「今は・・・って?」
「花の時期が終わったら、球根を取りに来るわ。んで、秋になったら近くの庭に植え付けるの」
「・・・・・・・・・」
 妙に専門的な回答に、シルフィスばかりかディアーナまで点目になる。
(メイ・・・最近、シオン様とよくつるんでるって噂を聞いたけど・・・)
 どうやら影響を受けまくっているようだ。園芸に対する意気込みが生まれてしまっている。
 思わずため息。止めたいような、応援したいような・・・友人として複雑な心境である。『あの』シオンが相手となると・・・。
 そんなシルフィスの苦悩など気付かず、メイは得意そうに続けた。
「そんで、王宮の庭に植えてあげるよ。そしたら、来年はいつでも見られるところに咲くからね?」
「ありがとうですわ、メイ!!」
 彼女も自分を慰めてくれているのだと気付いたのか、ディアーナはメイに飛びついた。感激屋の姫らしいストレートな反応だ。
 じゃれあっている2人を微笑ましく思いながら、シルフィスは剣を引き抜いて幾つかの茎を切り取った。
 思い出に、一輪部屋に飾ってもいい───そう思いかけて、ふと手が止まる。
 涼しく儚げな、このユリの色。透明で寂しげなピンク。美しいのになぜか心が痛む。
(あのとき、隊長が見ていたのは・・・この花だ)
 思い出す度に苦しい、巡回の日の光景。たった一瞬のことなのに。
「やめよう・・・」
 何を、とはあえて続けなかった。自分でも自分の心がよくわからない。そんなときに考え込んでも堂々巡りになるだけだった。
 手の中に摘まれたのは、たった2輪。それでも押し花には十分過ぎるほどだ。
「さあ、メイ、姫。日が暮れないうちに王都に帰りましょうか」
 今はこの2人の保護者なのだから・・・この時シルフィスは、そうやって無理やり心を押し込めた。
 無意識の逃避であったかもしれない。

「あれ、シルフィス。おっかえりー!!」
 出かけたときと同じく、寮に入ったとたんに呼び止められて、シルフィスは歩調を乱す。
 誰かなんて考えるまでもなく、銀髪の少年が元気よく走り寄ってきた。
「やあ、ガゼル」
「ちょーどよかった、そろそろ夕飯の時間だろ? 食堂、一緒にいこーぜ!!」
 夕日の朱に染まった廊下。2人並んで歩きながら、腹へったなーっと少年は正直に漏らす。
 彼らしいなと笑いながら、シルフィスは尋ねた。
「補習はどうだった?」
「だーっ、もうアタマ煮えたぜ。明日の剣術訓練で憂さ晴らししてやるーーっ!!」
 がるるる、と獅子の児のように吠えるガゼル。この調子では、明日の彼の稽古相手は悲惨なことになるに違いない。
 できればそれが自分ではありませんように、と心ひそかに女神に祈る。
 と、少年が不思議そうに聞いてきた。
「あれ?お前、何で花なんて持ってんの?」
「ああ、これ?これは・・・」
 郊外に出たから、ついでにね───そんな風に続けようとして、シルフィスの言葉は中止を余儀なくされた。
 嬉しそうな、ガゼルのひと言によって。
「あっ、隊長!!」
(え!?)
 真正面から感じる、圧倒的な存在感。
「・・・お前たちか・・・」
 抑揚の少ない、だが決して冷徹ではない、低い声。
 息が止まるかと思った。急いで目をこらしたのに、彼の姿が鮮明に映るまでが長く感じられて、ひどくもどかしかった。
 余裕と威厳を無意識に織り交ぜながら、歩いてくる人がいる。仏頂面は相変わらずだが、慣れた者には大して怖いものではない。
「隊長も今日はどっか行ってたんですか?」
 無邪気なガゼルの声がなんだか遠く聞こえた。
 シルフィスは微妙に視線をずらして、上司を観察する。
 窓から差し込む赤光を浴びて、レオニスは眩しそうに目を細めた。疲れると額に手をやるのが、この騎士の癖だった。
「ああ・・・王宮に行っていただけだ。所用があってな」
「ごくろうさまです」
 純粋に彼を尊敬しているガゼルは、ぺこりと一礼する。シルフィスも慌ててそれに習った。
(・・・・・・?)
 頭上に感じる違和感。
「・・・・・・!!」
 ふと頭を上げて、シルフィスはパキッと凍りつく。もの問いたげなレオニスの視線が、自分の上に張りついていたからだ。
「・・・・・・・・・」
 反射的に、再び頭を下げるシルフィス。
「シルフィス」
「は、はいっ!!」
 呼びかけに即答する。それ以外はできない。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 奇妙な間。瞼を震わせて言葉を待ちながら、シルフィスはぐるぐると思考を渦巻かせていた。
 なにか隊長の気に触る様なことをしただろうか。姫を郊外に連れ出したことが耳に入ったんだろうか・・・叱られそうなネタが無いか、片っ端から記憶を当たる。
 だが───
(違う・・・この人が見ているのは・・・)
「・・・・・・・・・」
 ややあって、シルフィスはスッと顔を上げた。
 心臓が耐えられない―――そう思えるほどの深い青の視線が、自分に注がれているのではないのだと悟って。
 正確に言うなら、自分が持っているものに彼は視点を合わせているのだ。
「・・・隊長」
「いや・・・何でもない」
 小さく笑って、レオニスは彼らの横を通り過ぎた。あの日と同じように、花から視線を逸らして。
 シルフィスの澄んだ声が、石造りの廊下に響いた
「どうぞお持ち下さい、この花を」
 驚いたように、レオニスが振り返った。

 差し出す右手。そしてユリの花。
 愛らしい花弁が夕日に染まり、炎のような緋色の花となる。
 レオニスの精悍な目が、今度こそシルフィス自身を捕らえた。
 それは、なんという喜びだっただろう。
 だからシルフィスは───微笑むことができた。

「2つありますから、1つ差し上げます。野生のものですから、日持ちはしないでしょうが」
 微笑んだまま、シルフィスはそれ以上口にしなかった。口にできないのだ。
 心の糸が今にも焼き切れてしまいそうで。
「・・・・・・すまん」
 吐息にも似た言葉。レオニスの長い指が伸びて、ユリの一輪をすくいとる。
「感謝する」
 短い台詞の後、彼は一瞬だけ花に目をやった。
 それは夢見ているように優しくて・・・あの日と同じ視線だった。
 これが欲しかったのだと、何よりもその表情が語っている。
 シルフィスは目を逸らした。
「・・・・・・」
 けだるい沈黙。レオニスが身を翻す。
 そして今度こそ、彼は悠然と歩み去っていった。
「おい・・・今のはいったい何なんだ?」
 完全に状況から取り残された形のガゼルが、呆然と呟いたとき───シルフィスもまた、その場から足早に去ってしまっていた。

 自室の扉を閉めると途端に体中の力が抜けて、シルフィスはずるずると床に座り込む。
「・・・・・・ふっ・・・」
 頬を伝う涙があった。とめどなく流れるそれを、今は拭うことすらできなかった。
 なぜわかってしまうんだろう。わからなければいいのに、あの人の心など。
 わかってしまうから、こんなにも胸が痛い。泣きたいくらいに。
(あの人の心には、誰かが住んでいる・・・)
 レオニスが見ていた儚げなユリの花。あれは、その女性の面影そのもの。
 そこに向ける視線は、彼の想いそのもの。
 間近に見ればそれは明らかだった。
(知りたくなんて、なかったのに・・・・)
 彼の想い人誰なのか、シルフィスには知る由もない。もしかしたらディアーナかもしれない。それとも噂に聞いた、過去に愛した人かもしれない。
 ただわかるのは───わかってしまうのは───彼の心はその女性で占められていて、自分の入る隙間などないのだ、ということだけ。
 悲しかった。とるに足らない小さな存在である自分が。
「私は・・・!!」
 あの優しい熱に満たされたセルリアン・ブルーの瞳が、どこへいっても脳裏から離れない。離れるはずが無かった。あんな風に見つめられたらいいと、あの日からずっと焦がれてきたのは、自分自身。密かに、だが無視できないほどの強さで。 
「ああ、そうか・・・・・・」
 この時になって、シルフィスは唐突に己の運命を理解した。
 誰かの意志など関係ない。自分の理性すら越えたところで、それはもう決定されてしまった。そのことに嫌でも気付かされた。

 自分は騎士になる。そしてその前に───『女』になるだろう。

 予感ですらない、それは確信。他のものになどなれない。なりようがないのだ。
「『男』になんてなれないです、隊長。こんなにも、あなたに心を捕らわれていて・・・!」
 呟きを聴くものは、手にした花ひとつ。
 いろんな想いが心ではじけて、シルフィスはぎゅっと目を閉じた。
 見つけたばかりの恋の行方など、知るはずもない。
 今はただ静かに、何も考えずに泣いていたかった。
 
 クラインに本格的な夏がやってきた日。
 7月最初の日曜日は、こうして暮れようとしていた。


                             END