| 夢の軌跡 |
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私の太陽が堕ちた時、世界は真っ暗闇になったと感じた。 身が凍てつくかと思うほどの喪失感。 奈落の底に落ちていくかと思うほどの虚無感。 あの方が。 あの方が。 私の全てだった………なのに。 短い昼のとき刻は終わり、永劫の闇が支配する夜となる。 それは決して明けることのない夜。何故なら太陽はもう無いのだから。 それからの十数年間は、私にとって全く無意味なものだった。 責任感と義務のみが、私を構成するものだった。 食事や睡眠は、せざるを得ないからしていただけに過ぎなかった。 毎日が同じ生活で、何の変化もない、否、変化のしようがない。 ………ないはず、だった。彼女に会うまでは。 彼女の名は、メイ=フジワラといった。魔法研究院のキールの失敗実験から、誤って異世界から来てしまった少女であった。 なんの変哲もない少女であった。肩口で切り揃えた濃い茶の髪と、くるくるとよく動くダークブラウンの瞳、ほっそりとした肢体は猫のように機敏で、そして気まぐれだった。 初めはただ喧しくて、元気で、乱暴で―――まるで子供のおもちゃ箱をひっくり返したかのような少女であった。 苦手なタイプだ、と直感的にそう思った。近づきたくない、とも思った。 今から思えばそれは、ある種の警告であったといえよう。―――彼女に近づいてはいけないという。 だが、そんな私の思惑とは裏腹に、瞳は自然と彼女のほうに吸い寄せられていった。 奔放で、自由で、明朗闊達で、どれをとっても私には無い物ばかりだった。それらは全て、欲しいと願いつつも決して得られないものであった。 何故なら私はとても臆病だからだ。傷つくことを恐れてしまったからだ。 そして気づくと、自分を薄くて透明で―――しかし丈夫な鎧を幾重にも身につけてしまっていた。戦闘時に着込む鎧はたやすく脱ぐことができるが、これは私自身ですらはずすことはもう、不可能だった。長いこと着すぎたのだ。 素の自分をさらけ出すのが恐い。あの、死んでしまうかと思われるほどの、胸の喪失感。 二度と、自分よりも大切な人をつくらないと決めた。一種の自己防衛であった。 他人が見れば、何と稚拙なことを、と笑うであろう。しかし私にとって、これはなくてはならないものであった。 私がこの世界で生きていくためには、必要であった。 「隊長さん!」 彼女が私をそう呼ぶたび、私の中で彼女の存在が大きくなっていった。 彼女が私を、あの何者をも見透かすきれいな目で見つめるたび、胸の奥がうずくのであった。 私を見ないで欲しい。私を見ていて欲しい。 そういう感情が、揺り子のように私を襲った。苦しくて苦しくて、眠れない夜が続いた。 そうして彼女と出会ってから数ヶ月後、私は降伏せざるを得なかった。 認めたくはなかった。気づきたくはなかった。 私が。 彼女を。 失いたくないと思っているなんて。 あの方のお墓参りの時だ。メイが私の後を、こっそり尾いて来ているのを知っていた。 だが、咎める気にはならなかった。私がこれからすることを知って欲しかった。彼女なら、あの方のことを教えてもいいとすら思った。……今まで誰一人、そう思ったことはなかったというのに。 それが始まりだった。 私は気づいてしまった。もう後戻りはできない。 私はこの時、あの頑丈な鎧にかすかなひびが入ったのに、気がつかなかった。 しかしそれでもまだ私は臆病だった。 あの方が、私の中から消えてしまいそうで恐かった。 メイに、こんな情けない自分を見せたくなかった。 自分の気持ちに気づいた分、以前より始末に終えなくなった。苛立ち、この頃は剣の鍛練に没頭していた。この時期が、一番つらい頃だった。 季節は明るく賑やかだった夏を過ぎ、静かで落ち葉の舞う秋へと移ってきていた。 私に縁談が持ち上がった。相手は軍団長の娘であった。 あくまで仕事として受けたのだったが、思わぬ出来事が起きた。シルフィスやガゼルと一緒に、メイがこの縁談をぶち壊しに来てくれたのだ。 「だって……」 叱った私を、まるで小犬のように上目遣いで見る彼女。愛しい、と思った。 この縁談は仕事だと言ったとたん、彼女は心底嬉しそうに笑った。 それを見た瞬間、私の中で何かが変わった。 私の鎧に、大きく亀裂が走った。今度は私も気がついたが、あえて無視をした。 なぜなら……… 12月24日。降誕祭。 毎年この日はあの方のところへ行っていた。 しかしそれは今年で止めにする。私は気がついたのだ、いつまでも過去を引きずっていてはいけないということを。過去は共にあるものではなく、振り返るものであるということに。 そして私はこの時初めて、あることに気がついた。 あの方がいつも哀しげな目で私を見ていたことに。それを今まで気がつかなかった。 何という愚かさ。所詮私は自分を哀れんでいただけなのか。 自分で自分を絞め殺したくなる。 呆然としつつも、大通りを通って神殿に向かおうとした。 その時。 「隊長さん!」 思わずびくりとした。彼女だ。メイだ。 ゆっくりと振り返る私に、嬉しそうに彼女は駆け寄ってきた。 一緒にいたい、という彼女を思わず抱きしめたくなる。 メイに自分の全てを知ってもらいたかった。直にメイを感じたかった。 一緒に神殿に行くか、と言うと行くと言ってくれた。 メイに見届けて欲しかった。 あの方を。 今までの自分を。 そして今日からの自分を。 雪が降り始めてきた。丸くて白くて、まるで妖精のようだ。 さらさらと、メイにも自分にも降り注いだ。 一緒にいてくれるかと問う私に、彼女は蕩けるような笑みをみせた。 雪がまるで、私達を祝福してくれているかのようにすら感じる。 私がそういうと、彼女は小さく笑った。 その瞬間、私の鎧は跡形もなく砕け散ったことを知った。 とても気分がいい。こんなに気分がいいのは久しぶりだ。空気すら初めてのもののように感じる。彼女が使う魔法のせいだろうか。 私の小さな魔法使いは、私の隣にいる。 そうして、十数年ぶりに太陽が昇り始め、長かった夜が明ける。 もう寂しさに一人でおびえることはない。 恐れることは何もないのだ――――彼女を失う以外に。 「お父さん、起きてよ。夕飯のしたくができたって」 「………ああ」 レオニスは、心地よいまどろみから目を覚ました。 夢、か……… 今ごろになって、あんな夢を見るとは…… 思わずレオニスは苦笑してしまった。 「お父さんてばー!お母さんに怒られちゃうよぉー」 「そうだな…行くか…」 今年5歳になるレオニスの愛息子は、彼の腕を引っ張りながら急かした。 「はやくはやくー」 そんな息子の様子を、微笑んで見ていた。 その時しびれを切らしたのか、廊下から声が聞こえてきた。 「あなた! レオニス!…・さめちゃうから早く来て!」 最愛の妻の声に、レオニスはなんとも言えない幸福感に包まれた。 「ああ……今行く、メイ」 彼は扉のほうに歩いていき、部屋を出る前に今まで寝ていた椅子をちらりと見、それから静かに扉を閉じたのだった。 END |