The deep blue


Only he makes her happy.
Only she gives him happiness.
It is because there is love.



       
 3月14日。
 今日は朝からレオニスは悩んでいた。
 ホワイトデーというものを、メイの親友である二人に教えられたのはいいが、良いプレゼントというと何も思いつかない。
 花、菓子、宝石。
 それから洋服。
 女性へのプレゼントの定番を頭の中で並べてみる。だがどうせなら、メイが欲しいものをプレゼントしたかった。
 メイの欲しいもの。
 そこまで考えて、レオニスははたと気づいた。
 そういえば、彼は一度も恋人に何かをねだられたことがなかった。
 義務で行かなければならない舞踏会で、貴婦人たちが会話しているのを耳にすることがよくある。恋人や夫にネックレスを贈ってもらったとか、今度はそれにあった指輪をねだるのだとか。
 別荘をねだって買ってもらったという話も聞いた。
「・・・・・・」
 もしかすると甲斐性がないと思われているのかもしれない。
 顔には表れないが、レオニスは複雑な気持ちになった。
 たしかにレオニスの生活は華美とは程遠い。質素と言ってもいい。けれど決して余裕がないわけではないのだ。騎士の年棒はその名誉にくらべると少ないが、危険手当がついているため上級の騎士になるとその気になれば中堅の貴族並な生活もできる。レオニスは限られた近衛騎士であるから、さらに所得があった。しかも自分がほとんど使わないため、たまるばかりだ。
「そこまで」
 レオニスは手を打った。怒鳴るわけではないのに、彼の声に訓練場はさっと静まる。
「今日はこれまでだ」
「ありがとうございました」
 見習いの騎士たちが、礼をとる。
 それにあわせたように、入り口からひょっこりメイが顔を出した。
 恋人を見つけて、レオニスは優しく瞳を細めた。
 メイは中には入らず、声をかける。
「もう、いいのかな?」
「ああ」
 レオニスがうなずいたので、メイははねるようにレオニスのそばに駆け寄った。
「えへ。今日は早く終わるって聞いたから、来ちゃった」
「そうか」
「うん♪」
 にこにこと自分を見上げるメイを、レオニスはじっと見た。
 メイは小首をかしげる。
「なに?」
「・・・いや。少し待っているか? 私もこれから帰るから送っていこう」
「ほんと!? やった」
 ストレートな喜びの表現に、レオニスの口元がかすかに微笑む。
 メイは魔導士になった今正式に研究院の一員として籍を置いている。院で生活してもいいのだが、そうすると門限に縛られるため外で部屋を借りていた。余裕いっぱいの生活とは言えないが、外で生活する研究院の魔導士には手当てがつくため普通に生活するぶんには問題がない。
 レオニスは執務室に戻ると、手早く帰宅の用意をする。
 帰りにどこか店へ寄ってメイに好きなもの選ばせようと思った。



 メイはすぐに、帰り道がいつもと違うことに気づいた。
 メイが普段行くような雰囲気ではない、重厚といっていい店屋が並んでいる。
「ねぇ、レオニス・・・」
「宝石と服、どちらがいい」
 唐突なその言葉に、メイは驚く。そして意味に気づいて、慌ててレオニスの腕をとった。
「いいよ、そんな・・・・・・。あ、もしかして今日がホワイトデーだから・・・?」
 さすが現役の女子高校生だっただけあって、すぐに今日が何の日かピンとくる。
 答えがないのが肯定の証拠だった。
「嬉しいけど、こんな高そうなとこ・・・」
「値段は関係ない」
 レオニスはいつもより強く言った。レオニスも男である、甲斐性がないと誤解されているのでは心穏やかでられない。
「お前が何を欲しいかだ」
「でも」
「・・・・・・メイ」
 レオニスは息をつくと、メイの正面にまわった。
 そういえば金銭のことなど話題にしたことがなかったなと、レオニスは思いやる。
「おそらくお前が想像しているより、私は稼いでいる」
 周りから聞いていれば、貧乏ではないのだと、苦労はさせないからと言ってプロポーズでもしているような言葉だったが、今はほかに人通りはなかった。
 レオニスはあまりこういうことを言うのは好まないのだが、目の前の彼女が納得しそうにないので再び口を開いた。
「お前が望むなら、姫が身に着けられている首飾りを贈ることもできる」
「あのね」
 メイは何か迷ったようにしてから、口を開いた。
「あたし、レオニスが結構お金持ちなの知ってるよ? ディアーナが前に言ってたから」
 メイが何も宝石を身に着けていないのに気づいて、以前ディアーナが言っていたのである。レオニスにねだってごらんなさいな、と。この世界でも、たいていの女性は宝飾品を身につけているものである。メイも高くはないが、向こうの世界で小さな指輪やネックレスを持っていた。
 そんなわけにはいかないよと答えたメイに、近衛騎士は高給でしかもレオニスのことだから散財しているわけがないからお金持ちですわよ、と姫はにっこり微笑んだ。
「でもね、レオニス」
 そう、その時親友に言った事と同じ事をメイは言った。
「本当に、別に欲しいものないんだ。だって・・・」
 そこで言葉を切り、メイは周りに誰もいないのを確かめてからレオニスの腕をとると、彼の顔を覗き込む。
「だって、ね、レオニスがいたら、ほかには何もいらないんだもん」
「・・・・・・」
「あのさ、レオニスにはわからないかもしれないけど・・・・・・。なんて言うのかな、レオニスがいてくれると、こうやってあたしを見てくれていると胸がいっぱいになって、嬉しくて幸せでほかに何にも欲しくなくなっちゃうんだ」
 メイは最後は、照れて赤くなりながら言う。
 愛しい。
 その想いに逆らえず、レオニスは恋人を抱きよせた。
「私にも、わかる」
 切ないほどの、満たされる幸福。
 メイが可愛くて愛しくて、レオニスは胸の中の小柄な娘を抱きつぶしてしまわないように自制しなくてはならなかった。
 人通りがないとはいえ、道の真ん中であることを思い出して二人は名残惜しげに互いを離した。
 レオニスは腕を組む。
「しかし・・・・・・今日はホワイトデーなのだろう」
 やはり何かを贈りたい。
 そんな様子のレオニスに、メイは自分でも考え込んだ。
 欲しいもの。
 メイの目は無意識にレオニスの顔を眺めていた。
 やっぱりかっこいいよねー。
 脈絡もなくそう思ってしまう。こんな素敵な人が自分を好きだと言ってくれるのを、メイは世界中に感謝したい気持ちだった。
 彼のブルーの瞳はどんな宝石でもかなわない。
 きれいで・・・きれいで、胸が痛くなるぐらい惹かれる。
「・・・・・・。何でも、いいの?」
「ああ」
「・・・・・・。ダメだったら、言ってね?」
「?」
「その・・・・・・ピアスを片方欲しいな・・・」
 深いブルーのピアス。いつもレオニスの耳にある・・・・・・。
 レオニスは怪訝な表情で、自分の耳に手をやった。
「これか?」
「あ、やっぱり、ダメだよねっ」
「そうではないが、ピアスが欲しいならもっといいものを・・・」
「それがいいの!」
 叫んでしまってから、メイは頬を赤らめて視線を外す。
「だってさ。その・・・・・・いつも、レオニスがしてるから。それつけてたら、離れている時もいっしょにいるみたいで、嬉しい、なんて・・・きゃっ!?」
 そっと耳に感じるぬくもりに、メイはビクリとする。
「レ、レオニス?」
 レオニスの手が、メイの耳に触れていた。
「・・・・・・お前に傷をつけたくはないのだがな」
 指が、メイの耳たぶをそっとまさぐる。
 レオニスの触れるその耳までが、赤く染まった。
 レオニスの方を見れないまま、メイは自分にかがんでいる彼の顔に手を伸ばした。
 その手はレオニスの耳のピアスに触れる。
 ひやりと、冷たい感触。
「片方だけ。あたしにちょうだい。ずっとつけてるから」
「・・・・・・」
「・・・ずっと」
 それはまるで、神聖な誓い。
 街の通りで雰囲気も何も特別なものはなかったが、それでも。
 決意ではなく、ただ自然にメイは思った。
 間近にあるレオニスの端正な顔に、目を上げる。
 ・・・・・・ずっと、あたしはレオニスを好きでいる。これからも、ずっと、愛してる。
 この人だけを。
「・・・・・・」
 レオニスは顔を寄せ、さらうように恋人の唇を自分のそれでかすめた。
 メイは驚いて、すでに離れたレオニスを見上げた。
 いくら人影がないからといって、往来でこんなことをする恋人ではなかったはずだ。
 自分でもそれをわかっているのか、レオニスはことさら何もなかったようにふるまう。
「行くぞ」
「・・・・・・。うんっ」
 嬉しそうに、メイはレオニスの腕をとった。
 レオニスはそんなメイを、そっと見つめる。
 愛しさは、いつも胸にある。
 この幸福は、彼女だけが与えてくれる。
 レオニスには今、世界の全てが優しく思えた。



 次の日宮廷の筆頭魔導士は、風に揺れたメイの髪に透けて、可愛い耳たぶに深青の小さな輝きを見つけかなり荒れることになる。
 「自分のものだと印をつけたようなものだ」と散々幼馴染の皇太子に愚痴ったとかいないとか。
 それから一週間後、メイはレオニスの館に暮らすようになる。



End