Cry for the moon.



この声は
貴女の心まで届いていますか。

 騎士には向かないと、言われたことがある。
 それは本当は一度や二度ではなかった。
 ゼクセンの「誉れ高き六騎士」、烈火の剣士と謳われるボルスは一人広場の前に来ていた。
 噴水の音が涼しげだが、ボルスの耳には入っていない。
 評議会の建物の中に、今はクリスがいるはずだった。
 ボルスはそのゼクセの街でも一際立派な建物を見上げた。
 剣の腕は、騎士に叙せられる前から傑出して秀でていた。
 けれど、感情の起伏が激しい彼は、周りから騎士には向いていないと言われたことが少なからずあった。
 誉れ高き六騎士と呼ばれるようになった今でこそ、そんなことを言う者はいなくなったが。
 騎士に向いていないと言われれば言われるほど、昔の自分は立派な騎士になってやると思ったものだった。
 剣の腕には自信もあったし、周りの評価にも負けたくなかった。
 なにより、自分が騎士に向いていないなどとあるものかと思っていた。
「……不思議、だな」
 騎士になる前は、自分ほど騎士たる者に相応しい男はいないと思っていたのに。
 誉れ高き六騎士と呼ばれる今では、もしかするとやはり騎士に向いていないのではないかと思う時がある。
 それは、いつもではないけれど。
 そう、決まってそれはこんな時に。
 ボルスは小さく息をつくと、建物に向かって歩き出した。
 ボルスが自分が騎士に相応しくないのではないかと感じる時、それはクリスを想う時だった。
 騎士団を愛している。国を愛している。
 だがゼクセンの騎士はそれだけではいけない。
 評議会への、忠誠…………。
 今の評議会への不満は、真の騎士なら少なからず持ち合わせている。
 しかし最終的には評議会に従う。
 それが、ゼクセン騎士の真だからだ。ゼクセン騎士団は国の代表者である評議会の振るう剣。
 本来無私であるはずの立場だ。
 けれど。
 ボルスは扉をゆっくりと開けた。
 ボルスの姿を認めて、兵士たちが道をあける。
 自分が振るう剣は、すでに評議会のものではない。
 そう、ボルスは感じる時がある。
 国のため騎士団のため評議会のため。表面的にはそれは変わらない。
 けれどそれは、クリスがそう動いているからに他ならなかった。
 いつからかは分からない。
 自分がどこまでも着いて行くのは、クリス・ライトフェローただ一人。
 今はそれを自覚もしている。
 ボルスがクリスを守ると言葉にする時、ボルスは全ての覚悟を込めていた。
 たとえ評議会を敵に回すことになっても。
 もし自分の命以上に大切に思えるこの騎士団を裏切ることになっても。
 どんなに強大な敵が相手でも。……どれほど無力な相手が敵であったとしても。
 迷わず剣を振り下ろす覚悟。
 自分の命を捨てることも、他人を殺すことも、全てを成す覚悟があった。
「クリス様は?」
 ボルスは、近くにいた兵士を呼び止める。
 兵士は姿勢を正し、答えた。
「今、礼拝堂の方へいらっしゃいました」
「わかった。ありがとう」
 言い置いて、礼拝堂へ向かう。
 礼拝堂の扉を開けると、すぐそばに求める姿があった。
 正面のステンドグラスに目を置くクリスの表情は暗い。
 ボルスの胸は痛んだ。
 目に見える敵なら排除できる。けれど、心の中ではこの剣で苦痛を払うことなどできはしない。
 戸惑いがちに声をかける前に、クリスの方がボルスに気づいた。
「ボルス」
 すでに彼女の表情は平静に戻っている。
「……何かあったのですか」
「いや、何も」
 クリスはそう否定する。
 ボルスはカラヤの村のことだろうかと思う。
 そういえば、あの後から彼女の元気がない。
「あれは、貴女のせいじゃありません」
「…………」
 クリスは少し顔を伏せた。
「貴女が悪いんじゃない」
 ボルスはただそれだけを繰り返す。
 それしか方法を知らない自分が不甲斐なかった。
 心からの言葉なのに、口に出してしまえば何の力も持たない陳腐な台詞。
 パーシヴァルならもっと上手に彼女を救えるのだろう。
 サロメ殿ならもっと、彼女を納得させられる。
 そう、ボルスは思う。
 けれど。
「貴女のせいじゃない」
 言葉を知らなくて。
 方法が分からなくて。
 ボルスはただ、無力なのを分かりつつ他にどうしようもなくてそう繰り返す。
 クリスはそんなボルスをゆっくりと振り仰ぎ、少し、微笑んだ。
「ありがとう」
「…………」
 ボルスは、泣きたくなった。
 自分の方が慰められてどうするのだろう。
 どうして自分は、こんな時いつも、こんなにも無力なのか。
 守りたい、と思っているのに。
 その命だけでなく、その心も。
 こんなにも心から願っているのに。
「クリス様……」
 どれだけ心から思っていても、言葉はまるで羽のように軽く彼女の心の上を滑って落ちてしまう。
 決して彼女の心の中まで届いていないのが分かる。
「私なら、大丈夫だ、ボルス」
 頷いて見せるクリスが、辛かった。
「クリス様、俺は……」
「ボルス?」
「俺たちは―俺は、貴女の味方です。俺は、いつも、どんな時も、貴女の味方です」
「ああ」
 クリスが、笑む。
「わかっているさ、ボルス」
「…………」
 ボルスは拳を握り締めた。
 クリスを癒せない自分が腹立たしかった。
 クリスは「出発の用意をしてくる」と言って、ボルスを置いて歩き出す。
 彼女の消えた扉を、ボルスは見つめた。
「俺は、貴女の味方です。……俺は貴女に傷ついて欲しくない」
 ボルスの小さなその声は、礼拝堂に響きだしたオルガンの音に簡単に消えていく。
 貴女を守りたい。
 貴女が大切だ。
 本当に、大切なんだ。
「……クリス様……」
 ……俺の声は、貴女に届いていますか。
 
 END