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この 胸の想いは
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失うかもしれないという現実は。 本当はいつもそばにある。 ゼクセンの盾となり戦うことを選んだ騎士団の一員としては、それは当然のことだった。 けれどその恐怖に目を向けていれば、日常が戦いの中といっても過言ではないこの生活で、生きていくことなどできはしない。 胸にある恐怖を。 忘れて、剣を振るうのだ。 いや、忘れるのではなく。胸の奥の、さらに奥にそれを沈めて。 そこに目を向けずに、戦っているのだ。 自分たちは、皆……。 「…………ふぅ」 クリス・ライトフェローはベッドに腰掛けて溜め息をついた。 イクセの襲撃で、死の門をくぐりかけたのは、今日のこと。 身体は疲れているはずだった。 それなのに、目が冴えて眠れない。 睡眠をとらなければならないのは、よく分かっていたのだが。 「……このままでは、眠れそうにないな……」 クリスはもう一度息をつくと、ベッドから立ち上がった。 夜着から軽装に代え、そっと部屋を出る。 彼女はあまり自分から嗜むほうではなかったのだが、今日はアルコールの力でも借りたほうがいいと結論を出したのだ。 彼女の部屋には酒類は置いていないので、当然酒を飲むなら城下町の酒場ということになる。 ボルスを訪ねれば喜んでワインを分けてくれるだろうが、夜も更けていきなり訪ねるのはいくら自分の部下相手とはいえ非礼な気がした。 ひっそりと静まり返った城の廊下を渡ってしばらくして。 「クリス様?」 よく知った声がかけられた。 クリスが振り向くと、そこには想像した通りの顔があった。 「……パーシヴァル」 「こんな時間に、どうしたのです?」 「お前こそ、どうした」 クリスの問いに、パーシヴァルは珍しく言いよどむ。 クリスは彼の返答がないのに息をついて、言った。 「眠れないのでな。久しぶりに少し飲みに行こうかと思ったのだ」 「…………それなら」 パーシヴァルは、クリスに近寄る。 「わたしの部屋でいかがです? 先日ボルスから貰った秘蔵のワインがあるんです」 「………それは、悪くないな」 クリスは少し考えてから、頷いた。 酒場よりひと目を気にしなくてもいい。 髪を下ろして私服だとはいえ、クリスと気づかれると静かに飲むことは不可能だった。 それに、ワインを趣味にしているだけあって、ボルスのワインはかなり味が良い。 「では、まいりましょうか」 パーシヴァルが、気取ったそぶりでクリスに腕を差し出す。 「……馬鹿者」 クリスの手が、軽くその腕をはたいた。 そしてクリスは、パーシヴァルの部屋に向かって先に歩き出す。 パーシヴァルは苦笑すると、彼女の後を追った。 やはり疲れがたまっているのだろうか。 クリスは、いつもより酔いが早くまわっているような気がした。 普段ならこれぐらいでは何も感じないのだが、今は頬が熱い気がする。 それは向かい合ってグラスを傾けているパーシヴァルにも分かるようで、パーシヴァルは自分のグラスをコトリとテーブルに置くと、クリスのグラスに手を伸ばしてきた。 「そろそろ、やめておいたほうが」 その手に逆らうことなく、クリスのグラスがテーブルに置かれる。 クリスは、軽く額を抑えた。 ふう、と漏れた息も熱い気がする。 「そうだな……」 「大丈夫ですか?」 ひやりとした感触に驚いて顔を上げれば、パーシヴァルの手が彼女の頬に触れていた。 クリスは、バッと身を離す。 「あ、ああ。大丈夫だ」 ちらり、とパーシヴァルを見。 クリスは無意識に表情を緩めた。 彼が、たしかにそこにいるのを感じて。 自分が死にかけたことは、実はよく覚えていない。 そして自分が死ぬことの覚悟は、いつもしていた。 けれど、他の六騎士たちを失うことは、考えたこともなかった気がする。いや、考えないようにしたいたのかもしれない。 この、目の前の彼を失うかもしれないということを。 「クリス様?」 「いや………生き延びたのだな、と思ってな」 クリスは、少し、笑う。 自分が、ではない。彼が、である。 騎士団の到着が遅れていたら。自分が死んだ後、彼もまた殺されていたかもしれない。 しかし、クリスの言葉を違う意味にとったのか。 パーシヴァルは真剣な目で言った。 「二度と、貴女をあんな状況にはさせませんよ」 「? 違う、お前のことだ」 熱いな、と思いつつ、クリスは立ち上がった。 窓辺によると、少しだけ窓を開ける。 冷たい風が、心地よかった。 クリスは、窓から城下町の光を見下ろす。 「まったく……。あの状況では私が命を失うのはしかたがないとしても、部下を道連れにするなど格好が悪すぎだろう」 軽い笑みを含ませて言ったクリスの目は、変わらず窓の外に向いていて。 クリスは、パーシヴァルが今どんな目で彼女を見ているのかに気づかなかった。 急に降りた沈黙に、クリスは怪訝に振り向く。 が、座っていたはずのパーシヴァルが、自分のすぐ後ろに――しかも、触れ合うほどに近く立っていることに気づいて、思わず一歩下がった。 がたり、と窓枠にクリスの背中が軽く当たる。 パーシヴァルの自分を見下ろす眼差しは怖いほどで。 彼女の知る彼とはまるで別人だった。 パーシヴァルの手が、乱暴にクリスの横の壁につかれた。 そして、もう片方の手は、少し開きかけた窓枠に。 クリスは、後ろにも横にも逃げられなくなってしまう。 「パ、パーシヴァル……?」 「…………」 パーシヴァルは、唇を噛むと、横を向いた。 彼の強い視線から逃れられて、クリスは無意識に張り詰めていた力を抜く。 パーシヴァルの手が、放された。 「………ご無礼を、クリス様」 息をつき、クリスの方を再び見たパーシヴァルは、すでにいつもの彼で。 クリスはほっとした。 「どうしたのだ?」 「……あまりに、貴女が無神経なことを言われるので」 さらり、と涼やかな笑みとともに言われた言葉に、一瞬聞き流しかけるが。 クリスは先ほど、怖気ついてしまった自分を腹立たしく思っていたぶん、カッとなった。 「何が無神経だ! 私は本当のことを言ったまでだぞ!!」 「なおさら悪い」 「何!」 「ご自分が死ぬなどと、二度と口に出してほしくないですね。……わたしがあの時、どれほど苦しんだか貴女にはお分かりにはならないのでしょうが」 「お前こそ!!」 心配してくれてありがとう、と。 普段のクリスなら言えたかもしれない。けれど、全ては今日の出来事で。 パーシヴァルが死ぬかもしれないと思った、その時の恐怖はまだ胸に生々しく残っていて。 クリスは感情のままに怒鳴り返していた。 「私が! どれだけ恐ろしかったか、分かっていない!! お前が……ッ」 その時の辛さが胸に込み上げて。 クリスは顔を伏せた。 「お前が……殺されるかもしれないと思った時の私の気持ちが。……お前だって、全然、分かっていないではないか!!」 眠れなかったのも、そのせい。 いつも側にいると思った。 それは決して確実なものでなどなかったというのに。 「私は……私は……、貴方を失ったら……」 耐えられない。 そこまで言いかけ、クリスは自分が叫んだ内容に我に返った。 頬が熱いのは、アルコールのせいだけではなかった。 (何を、言っているの、私は……!) 「……イクセでも、同じようなことを言ったと思いますが」 静かな声に、何のことだろうとクリスは顔を上げる。 「そういう言動は、誤解の元ですよ?」 「何……?」 「ですから。ここでわたしが貴女を喜んで抱いてしまっても、文句は言えなくなりますよ、ということです」 にっこり笑って言うパーシヴァルは、完全に普段の彼で。 自分だけが感情を揺らしていることが悔しくて、悲しくて、クリスは目をそらした。 きっと、アルコールのせいだ。 そう、クリスは自分に思う。 そうでなければ、どうしてこんなに、泣きたい気分になるわけがあるだろう。 「……お前には言われたくない」 「さて? どういう意味です?」 「お前こそいつも、その手の冗談が過ぎるではないか。勘違いする女性も、本気でお前の愛情を期待する女性もいるだろう。お前こそ、罪なことはあまりするな」 パーシヴァルが女性に人気のあることを、クリスは知っている。 クリスにする言動と同じことを、彼女たちにもしているのだろうと思う。 それなら、それこそ罪作りだ。 そう胸ではき捨てた時、クリスはふっと側に気配を感じた。 視線を戻せば、触れ合うかと思うほど近くにパーシヴァルが立っていて。 思わず下がろうとして、自分がすでに壁際にいることを思い出した。 「……期待しているのですか? わたしの気持ちを」 「!」 そんなことはない、と。クリスは、そうすぐに返すことのできない自分に驚く。 パーシヴァルの親指が、クリスの唇にそっと触れる。 熱を帯びた瞳が、彼女をじっと見つめている。 「違う、と言うのなら、今ですよ? 一言、違う、と」 パーシヴァルの顔が、さらに近づく。 ……やはり、整っているな、とどこか遠くでクリスはそんなことを考えていた。 「そうでなければ、もう聞きません」 ささやきと共に落ちて来るくちづけに、クリスは目を閉ざした。 抱きしめられる温もりが、彼の存在を教えてくれる。 深いキスに翻弄されて、クリスはパーシヴァルの背にぎゅっとすがりついた。 それに応えるように、パーシヴァルの腕が彼女を支える。 長いキスの後に、苦しいほど強く抱きしめられて。 「クリス……」 耳のそばで囁かれた切なげな彼の声に。 胸が震えて。 クリスは、自分が彼をずっと好きだったことを自覚した。
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