Loving 〜Parzival version〜 ![]() |
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この 胸の想いは
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自分より先に、あの人が逝くわけはないと。 どこかでそう思っていた。 それはきっと自分だけの想いではなく。 誉れ高き六騎士……そう呼ばれる者の中で、戦場で倒れることがあるとすれば、彼女が一番最後のはずだった。 自分たちが無事なのに、自分が無事なのに、彼女が倒されることはあり得ないと。 けれど。 この命を盾にしても守るはずだった彼女に剣が刺さった時。自分たちは――自分は、そこにいられなかったのだ。 どうして大丈夫だなどと思っていたのだろう。 死はいつも――予定された戦場でなくとも降りかかり得るのに。 「…………」 パーシヴァルは、窓から見える月からすっと目を離した。 顔を、覆う。 「……俺は、いつからこんなにも弱くなった……」 愛しているのだと、痛いほどに思い知らされる。 彼女だけは、失えないのだと。 「――クソッ」 パーシヴァルは舌打ちし、椅子から立ち上がった。 息絶えようとしていたクリスの顔が、離れない。 彼女はたしかに、助かったのに。生きているのに。 こうして彼女と離れれば、自分は都合の良い夢を見ているのではないかとも思う。 血の気を失った彼女の肩を抱いたときの、恐怖が、まだ胸に生々しすぎて。 パーシヴァルは、部屋を出た。 クリスの部屋のある方へと、その足は向かう。 もう夜中。彼女を訪問することはできない。 それでも、少しでも彼女の側に近寄りたかった。 硬い扉の向こうでも、彼女を感じたかった。 パーシヴァルは、目の前の廊下を横切って行くクリスの姿に目を見開いた。 流れる長い銀の髪が、廊下の窓から降り注ぐ月の明かりに、キラリと光を残して消える。 パーシヴァルはその後を追った。 廊下を曲がると、たしかに彼女の後姿があって。 パーシヴァルは、強張っていた自分の身体からほっと力が抜けたのを自覚した。 そして、平静を装い。 「クリス様?」 そう、呼び止める。 彼女が、パーシヴァルを振り向いた。 「……パーシヴァル」 「こんな時間に、どうしたのです?」 「お前こそ、どうした」 クリスの問いに、パーシヴァルは珍しく言いよどむ。 貴女の息絶えかけた時の顔が、ちらついて眠れないなどと何故言えるだろう。 『クリス様にお会いしたくて』。そう、普段の自分なら返せるだろうに、今はまだパーシヴァルの心に余裕は戻っていないかった。 クリスは彼の返答がないのに息をついて、言った。 「眠れないのでな。久しぶりに少し飲みに行こうかと思ったのだ」 「…………それなら」 パーシヴァルは、クリスに近寄る。 「わたしの部屋でいかがです? 先日ボルスから貰った秘蔵のワインがあるんです」 ボルスから貰ったワインで彼女を誘うなど、友に悪いなとも思ったが。 こと彼女に関しては、いくらボルスにであっても譲ることはできない。 それに。 今は、少しでも近く彼女を感じていたかった。 「………それは、悪くないな」 クリスは頷く。 それに、パーシヴァルはいつもの調子を取り戻した。――表面的には。 「では、まいりましょうか」 パーシヴァルは、気取ったそぶりでクリスに腕を差し出す。 「……馬鹿者」 その腕を、呆れたようにクリスがはたいた。 そしてクリスは、パーシヴァルの部屋に向かって先に歩き出す。 そんないつもの彼女が、そしていつもの自分が、パーシヴァルは嬉しかった。 パーシヴァルはそんな自分に苦笑して、彼女の後を追った。 パーシヴァルは、完全にいつもの自分に戻ったことを自覚していた。 彼女が目の前にいれば、その現実の鮮やかさが昼間の悪夢を薄れさせてくれる。 二人でグラスを差し向かえるのは、パーシヴァルにとって嬉しいことだった。 クリスを愛しているのは、自分一人ではなく。彼女のそばにいたいと願うの者の数は、さらに多かったから。 しばらく他愛なく、だが十分に楽しいと言えるやりとりを続け。 パーシヴァルは、彼女がいつもより早く酔いかけていることに気づいた。 普段、彼女は周りから見て酔っ払うほど飲まない。 けれどやはり昼間の疲れが溜まっているのだろう。いつもの半分ほどの量で、彼女はすでにアルコールが回っているようだった。 パーシヴァルは向かい合ってまだグラスからワインを飲もうとしているクリスをじっと見つめ。 そして自分のグラスをコトリとテーブルに置いた。 クリスが飲もうとしたグラスを、彼女の持つ手ごと静かに抑える。 「そろそろ、やめておいたほうが」 その手に逆らうことなく、彼女のグラスがテーブルに戻された。 パーシヴァルは手を離す。 触れた彼女の手は、ひどく熱かった。 彼女は気づいていないようだが、その瞳はアルコールで微かに潤んでいる。けだるげに息をつくその様は、ひどく無防備で。 パーシヴァルはそんな彼女を見れたことを嬉しく思うのと同時に、複雑な気持ちにもなる。 今男と二人きりだとは、意識していない彼女に。 (俺も、男なんですがね……) パーシヴァルは、苦笑する。 クリスが、自分のことを憎からず思っていることは知っている。 しかしその好意が、自分が彼女に抱く恋情と同じだとは思っていない。 クリスは意識していないのだろうが、彼女の信頼や友情といった好意は――とても分かりやすい。 真っ直ぐに、その瞳に、その態度に表れる。 だから、錯覚してしまいそうになる。 自分もまた、彼女に愛されているのではないか、と。 男として、求められているのではないか、と。 そしてそんな期待はするんじゃないと、自分を戒める。 彼女への想いが敬愛だけだった時までは、自分は女に慣れていると思っていた。女から自分へ向けられるものが恋情かどうかなど、すぐに気づけた。 それなのに、クリスが相手では、そんな自信などどこかへ消え去ってしまう。 それほど。 (それほど、本気なんですよ、俺は) 酒を止められたクリスが、「そうだな……」と軽く額を抑える。 その彼女に、パーシヴァルはそっと手を伸ばした。 「大丈夫ですか?」 彼女の頬は、やはり熱い。 しかし、一瞬、触れたのは間違いだったかと内心舌打ちする。 理性は人並み以上にあると思うが、それでも。 手にかかる熱い彼女の息に。 ゾクリとした。 しかし、パーシヴァルの理性がまだ正常であるうちに、クリスはバッと身を離した。パーシヴァルは我に返る。 「あ、ああ。大丈夫だ」 クリスはそう言って、ちらり、とパーシヴァルを見た。 照れか怒るかするに違いないと思った彼女は、いつもとは違ってほっと微笑んだ。 「クリス様?」 「いや………生き延びたのだな、と思ってな」 彼女は、少し、笑う。 あの状況から。 今、ここで微笑む彼女が奇跡なのだと。 パーシヴァルは喜びとも切なさとも苦しみともつかない感情が、自分の中に渦巻くのを感じた。 「二度と、貴女をあんな状況にはさせませんよ」 「? 違う、お前のことだ」 そう怪訝な顔でクリスは言うと、パーシヴァルの見ている前で椅子から立った。 彼女は窓辺に寄ると、少しだけ窓を開ける。 風が、彼女の髪をさらりと揺らして行く。 クリスは、窓から城下町の光を見下ろしていた。 「まったく……。あの状況では私が命を失うのはしかたがないとしても、部下を道連れにするなど格好が悪すぎだろう」 外から目を離さずに、軽い笑みとともに言われたその言葉に。 パーシヴァルの体温が下がった。 氷が落ちたように、痛いほどの冷たさが胸に落ちる。 抱いても、止めることができない命の流失。 叫んでも、目を開かない彼女。 気が狂いそうなほどの、焦燥感。 そして、恐怖。 手の震えは、リアルに蘇るそれのせいで。 パーシヴァルは気づけば、すっと立ち上がりクリスに近寄っていた。 胸に落ちる喪失への冷たい恐怖は、カッとするほどの怒りへ変化する。 急に降りた沈黙にを不思議に思ったのか、彼女は怪訝に振り向く。 パーシヴァルがいつのまにか触れ合うほどに近く立っていることに気づいて、彼女は後ずさった。 彼女の背中が当って、窓枠がガタリと音を立てる。 パーシヴァルは、月明かりに照らされる彼女の自分を見上げる顔を見つめた。 いや、睨んだ、と言っていいのかもしれない。 死ぬということを平気で口に出す彼女が腹立たしかった。 彼女は、まるで分かっていない。 彼女の死が、どれほど自分にとって受け入れられないことなのか。 彼女を失うと思った時の、自分の苦しみを。 まるで分かっていない。 自分勝手な想いだと分かっていても、パーシヴァルは怒りを抑えることはできなかった。 今も、この手が震えるほどなのに。 目の前の、美しくも残酷な彼女は、何も分かってはいない。 彼女を腕の中の空間に閉じ込めるように、彼女が背を寄せる壁に、乱暴に手をつく。 クリスの身がビクリと揺れる。 「パ、パーシヴァル……?」 自分を見上げる、彼女の目に。 たしかに怯えを見て。 パーシヴァルは、我に返った。 (……俺は、何をやっている……!!) パーシヴァルは、唇を噛むと、彼女から顔を背けた。 パーシヴァルは、ついていた両腕を離す。 ……彼女に当って、どうするのか。 この身の内の想いは、全て自分自身の勝手な想いだというのに。 普段の自分なら考えられない余裕のなさに、パーシヴァルは自嘲した。 パーシヴァルは、クリスから数歩離れる。 息をつき、平静を装ってクリスを再び見た。 「………ご無礼を、クリス様」 いつもと同じ自分に安心したのだろう、クリスは強張っていた表情を緩め首を微かに傾げた。 「どうしたのだ?」 「……あまりに、貴女が無神経なことを言われるので」 これくらいのイヤミは許して頂きたい、と。 パーシヴァルは少し意地悪く思い、にこりと言った。 クリスが、思っていた以上に過敏に反応する。 「何が無神経だ! 私は本当のことを言ったまでだぞ!!」 「なおさら悪い」 「何!」 「ご自分が死ぬなどと、二度と口に出してほしくないですね。……わたしがあの時、どれほど苦しんだか貴女にはお分かりにはならないのでしょうが」 「お前こそ!! 私が! どれだけ恐ろしかったか、分かっていない!! お前が……ッ」 それはまるで、悲鳴だった。 「お前が……殺されるかもしれないと思った時の私の気持ちが。……お前だって、全然、分かっていないではないか!!」 泣きそうな叫びに。 その内容に。 パーシヴァルは息を呑んだ。 「私は……私は……、貴方を失ったら……」 その苦しげな声は、自分の都合のよい幻聴ではないはずだった。 鼓動が速まる。 じっと彼女を見つめてしまう。 彼女の、どんな言葉も聞き逃さないように。彼女のどんな表情の変化も見逃さないように。 何を期待しているのかと、自分の浅ましさを嘲る自分がいる。 けれど、自分が叫んだ内容に気づいたのか、頬を染めて顔を伏せる彼女は。 まるで。 パーシヴァルを想ってくれているようで。 彼女を抱きしめたい衝動を、だが、パーシヴァルは必死に堪える。 初心な少年のように胸を高鳴らせるらしくない自分を、違う、とパーシヴァルは抑える。 彼女は優しいのだ。パーシヴァルにではなくとも。 美しくて、残酷な彼女。 「……イクセでも、同じようなことを言ったと思いますが。……そういう言動は、誤解の元ですよ?」 「何……?」 「ですから。ここでわたしが貴女を喜んで抱いてしまっても、文句は言えなくなりますよ、ということです」 内心の葛藤を綺麗に隠して。 パーシヴァルは、にっこり笑ってそう言った。 そうでなければ、自分を抑えられそうになかった。 彼女の真意を無視して、都合のいいように受け取って、彼女を傷つけても自分のものにしてしまいそうで。 クリスはそんな彼の思いが分かるはずもなく。 目を伏せると震える声で言った。 「……お前には言われたくない」 「さて? どういう意味です?」 これ以上、すでに紙一重で残っているだけの理性を崩すようなことは言わないでくれればいいと、パーシヴァルは内心願いながら。 そんなことを欠片も気取らせぬそぶりで涼しく返す。 クリスは顔を伏せたまま、唇を震わせた。 「お前こそいつも、その手の冗談が過ぎるではないか。勘違いする女性も、本気でお前の愛情を期待する女性もいるだろう。お前こそ、罪なことはあまりするな」 「…………」 パーシヴァルは、顔を上げない彼女に近寄った。 空気を通して互いの体温が伝わるほどの距離の近さに、彼女は顔を上げて、驚いたようにパーシヴァルを見上げる。 多少飲んだアルコールの影響などでは全くなく、パーシヴァルは自分の鼓動が痛いほど打っているのを自覚する。 「……期待しているのですか? わたしの気持ちを」 ささやくように、言う。 しかしパーシヴァルは分かっている。期待しているのは、彼女ではない。自分なのだと。 クリスは、答えない。 そうだ、とも違う、とも言わない彼女の唇に、パーシヴァルはそっと手を伸ばす。 ずっと触れたいと思っていた、その唇は思っていた以上に魅惑的な感触で。 ゾクリとする。 「……違う、と言うのなら、今ですよ?」 唇をなぞり、そしてその指を少しだけ曲げる。 微かに開かれた唇から垣間見える、白さに目がくらむ。 パーシヴァルはその手を、首筋をなで上げるようにして顎にかける。 「一言、違う、と」 今、彼女が拒否しなければ。 もう止まらない。止める気はない。 これは最後の通告なのだと。 パーシヴァルは胸で囁く。 パーシヴァルは、息が交わるほど近く彼女の唇に自分のそれを寄せる。 「――そうでなければ、もう聞きません」 そして。 口付けた。 彼女の唇は柔らかに甘く。 パーシヴァルはクリスを抱きしめると、さらに深いキスをする。 ふいに。 彼女の腕が、ぎゅっとすがりつくのを背中に感じて。 パーシヴァルの胸を歓喜ともいうべきものが、湧き上がる。 パーシヴァルは、彼女を支える腕にさらに力を込め。いっそう激しく舌を絡めた。 そして。 パーシヴァルは、長いキスの後に、力の抜けた彼女の柔らかな身体を強く抱きしめた。 あれほど焦がれた彼女が、自分の腕の中にいる。 痺れるような幸福に、胸が震える。 「クリス……」 彼女の身体が、それに小さく反応するのをパーシヴァルは感じて。 愛しげな眼差しを、いっそう深めた。
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